◇6◆ 想像とは、ズレた太陽。
〖Boutique Sun〗のショーウィンドウから、望んでいたはずの陽光が静かに届く。
鱗粉を引き連れて、朝日が与えてくれるはずの温かさは空虚な私達には受け取れない。膝を抱えた私は足元に届いた陽光に怯えるように、純白のショートブーツを引っ込めた。
私達が待ち望んでいた太陽が連れてきたのは、望まぬ朝だった。【混沌の筆】が奪っていたのは、リィナの平穏な眠りだけじゃなかったと、無力な私は気づいてしまった。
「……何で、パパっ……ママっ……! 」
笑顔を取り戻したはずのリィナの泣き声が、〖Boutique Sun〗に響く。泣き声に胸を突かれた私は、そんなリィナを離れて見つめる事しか出来なかった。
朝になり、リィナは再会した両親と喜びと安堵を味わうはずだった。だがリィナを連れて、叩いた扉が開かれると……現れた両親は不思議そうにリィナを見つめた。
『ウチには、子供はいませんが。別のお宅の間違いだと思いますよ? 』
リィナとよく似た色彩と顔立ちの両親は、嘘なんてついている様子が無かった。振り返った私が、目に焼き付けてしまったリィナの呆然とした顔が忘れられない。事実が染み込んだ彼女は、ただ涙を流す事しか出来なかった。
「どうして……御両親は、リィナの事だけ忘れちゃったのかな」
「恐らく……色をひっそりと喰われるはずだったから、【混沌の筆】達はリィナに関わる者達の記憶を消していったんだ。リィナが居なくなっても、パレットの上で絵の具たる彼らが平穏な暮らしを続けられるように」
穏やかに語るネリアルは、朝日に透ける紫黄水晶の双眸を伏せる。静かな声音はリィナに同情しているようにも見えるが、同じ為政者である『クヤカラ』に共感しているようにも見えた。
私は『クヤカラ』とネリアルを同一視したくなくて、静かな怒りで否定した。
「色だけじゃなく、悲しみさえ存在ごと奪うの? ……許せないよ。記憶を消すなんて、そんなの救いじゃない。覚えてなくたって、リィナの痕跡は残る。違和感の棘は、残された人達を苦しめる」
「アイがそう思いたいだけじゃないか? 痕跡すら、残された人達は感じられるかどうか……」
「分かってるよ! 私が覚えて欲しいって思ってるだけだって!」
リィナを想う私の怒りは、紫黄水晶の双眸を見開いたネリアルにとっては思わぬものだったのだろう。理解できないように秀眉は寄せられた。
――なんで、一緒に怒ってくれないの? 優しい『お兄ちゃん』なら、私を理解してよ。
リィナの泣き声で我に返った私は、衝動のままに紡ぎかけた言葉を呑み込む事が出来た。その言葉を世に放ってしまえば……傷つくのは、結局私だ。
本当にネリアルが他人の気持ちを理解出来ないんだとしたら、彼は『為政者』になってしまう気がする。
「クヤカラに会えば、リィナの御両親の記憶が戻る可能性はあるよね」
「為政者に会って、アイはどうする。『説得』だけでリィナの両親の記憶を戻して貰えるとでも……? 寧ろリィナの色が再び脅かされるだけじゃないか」
静かに問うネリアルに感じるのが、小さな寂寞で済んでよかった。
色を救うためには色を奪うしかないと、私はもう理解している。獣である【混沌の筆】と、人であるクヤカラの色の重さが私にとって違っても……リィナみたいな子には罪を背負って欲しくない。
「……戦うよ。説得が通じなければ、クヤカラの色を奪う。例え私と共に戦う仲間が現れても……為政者の首を刎ねる罪悪感は私だけが持っていく。私は〖太陽の救世者〗だから」
立ち上がり『前向きな妹』に逃げた私を、紫黄水晶の瞳で強く縛り付けたネリアルは何かを言いかけるように唇を開きかけたが……やがて閉ざす。
再びその唇を開いて紡ぐのは、呑み込んだ言葉とは同じじゃないんだろう。
「それでいい、アイは正しいよ」
「なら、また私を手伝ってくれる? 創って欲しい物があるの、お兄ちゃん! 」
気を取り直し、ねだる時はしっかりと媚びなくては。後ろに手を組んだ私はキラキラと上目遣いを意識して、ネリアルとの距離を攻めた。
「な、なにを……」
紫黄水晶の瞳孔を泳がせて動揺する兄が心地よくて、微笑した私は調子にのる。自らの唇の端を、トントンと指先でしめす。ヒントなんだけどな。
「アレだよ、アレ」
「は……? 意味、分かんないんだけど……!? 」
ネリアルは理解するどころか、何故か白皙の頬を朱に染めて目線を逸らしてしまう。こら、ヒントから逃げるんじゃない! ムッとした私は、逃げようとするネリアルの両手を掴まえた!
「とりあえずリィナに、ちょっとでも元気を取り戻して欲しいの! 」
「リィナと今の行動に何の関係が!? とりあえず離れて……限界がくる前にっ! 」
「限界ってナニ!? 名前が思い出せないんだよ、アレ……鮮やかな赤紫だよ! 」
「……もしかしてローズジュースの事だったりする? 」
ピタリ、と逃げるのをやめたネリアルはゆっくりと振り返る。無表情だけど、刺すような紫黄水晶の双眸に背中がピリピリするような……?
「そう、二つ創ってよ! リィナと私の分、お願い」
ピースサインを頬の近くで作って、しっかりと兄へのアピールを忘れない私。おねだり作戦は完璧ではと、満面の笑みでウィンク☆……したのに……なんだかネリアルの様子が……吹雪の幻覚が見えるよ。
「欲しければ、たっぷりと反省してからだ」
掴まえたはずのネリアルに、私が捕まえられてない……? もしかして憂いのある美貌を冷たく張り詰めさせるネリアルは……怒ってたり、する?
「ハハハ……やだな……何で反省なんか……私が何をしたっていうの……」
「自覚ないなら、とりあえず口開けて」
宵闇の睫毛瞬く紫黄水晶の双眸は、やはり私を刺すように逃がさない。そもそも顎を掴まれていて逃げれないんだけど。吸い込まれそうな紫水晶と金の黄水晶のバイカラーが思ったよりも近くて、脳内も心臓もチカチカする……色彩パニック!?
「は……口!?……何で」
紺滅から白菫色に化す髪を艶めかせ、ネリアルは魅惑的な微笑を唇にのせる。頬が好調するままに反論しようとした私の口に何かが放り込まれた!
思わず噛んでしまった私を、眠気も吹っ飛ばす暴力的な清涼感が突き刺す! 逃げたくても飲み込めないし、口内を暴れ回るままに、舌を麻痺させる辛い刺激物を吐き出したら……乙女的な何かが終わってしまうからムリ!
「何でっ! 私がミントガム苦手だって知ってるの!? しかも黒いやつでしょ、コレ! 」
「さぁ? しっかりと反省してればいいよ」
口元を押さえて涙目で這い蹲る私を、ガムの銀包みをちらつかせたネリアルは妖しい微笑で見下ろす。
「鬼畜兄! 最低! 」
「ミントが苦手なんて、アイは可愛い」
屈辱……! しかもミントガムに対抗する為には、やっぱり甘いローズジュースが必要なのだ!
「救世者活動の初めの一歩が辛いよ……」
リィナの為にも……自分の為にも……、口内を暴れ回る反省の責め苦からは暫し逃げられないのであった。