◆5◇ 日宮殿は、今何処?
ぐずぐずと涙を溜める淡い青みの桃色の髪の美少女を前に、しがみつかれた私はほとほと困り果てていた。彼女を助けたは良いが……しゃがみ込んだまま、動かないのだ。
「ねぇ、貴方の名前は……? 」
「リィナ……」
そう答えたきり、くりくりとした瑠璃唐草の瞳からリィナは再び涙を伝わせるだけ。瑠璃色の双眸に咲く五弁花の瞳孔を潤ませる涙は乾く事を知らず。桜色の唇を触る指先は、その内赤ちゃんみたいに指を咥えるんじゃないかと思う。
「殺されかけて、赤ちゃん返りでもしちゃったみたいだね」
心地良いピアノみたいな声は、私を【混沌の筆】の群れにぶん投げたネリアルの物。戦闘が収束したのを見届けた所で、迎えに来たらしい。冷静に瞬く紫黄水晶の双眸へ、頬を膨らませた怒りは最高潮に沸騰したが!
「ちょっとお兄ちゃん!! 幾らなんでもスパルタ教育過ぎなんだけどっ、可愛い妹が死んだらどうする気だったの!? 」
「アイはあれくらいじゃ死なない。愛しい妹を殺す訳無いだろ」
うっ。愛しい、と言う言葉で誤魔化そうったってそうはいかないんだから……。ついでにキラキラと美しい微笑もつけた訳ね。
次の反論に口火を切りかけたが、きゅう……と私の紅白の羽織を掴んだリィナの掌に口を閉ざす。
「アイ……? 」
「そう、私の名前だよ。リィナは……ん? 足、血だらけじゃない!」
どおりでずっと涙を流していた訳だ。命懸けで、夜の街を裸足で駆け回っていたリィナの白い脚は胸が痛む程に傷だらけだった。足裏だけじゃない。転んだり、【混沌の筆】に捕まりかけたのだろう。擦り傷だけじゃなく、ぐちゃぐちゃに混ぜた絵の具のような色にくすんだ傷もあった。
「【混沌の筆】に色を奪われかけたんだ。色がくすみかけていてもおかしくない。【混沌の筆】は、無彩色【漆黒】を扱う為政者達の使い魔達。正反対の無彩色〖純白〗を扱えるようになったアイなら、使い魔を具現化すれば【混沌の筆】に負わされた傷を治せるはず」
傷だらけのリィナを、冷静に見つめるネリアルを睨む。
「またまた詳しい方法は私に投げるのね……どう具現化すればいいのか分からないのに」
「実際、【漆黒】を扱う為政者の一人である俺には〖純白〗の事は分からない。〖太陽の救世者〗になったアイの方が〖純白〗に近しい」
「……結局、ヒントは私の中か」
私はどんな使い魔を必要としているのだろう。
【漆黒】を絶ち、〖太陽の救世者〗との強い結びつきにより、為政者へと導いてくれる使い魔……。導きを期待しているのは、本当にそれだけ?
見上げた漆黒の夜空に浮かぶ『月』。
異世界が異世界人の月宮殿なら、現代人の帰るべき日宮殿は何処に有るのだろう。夜空へ羽ばたける翼があれば、道案内を受けて帰れるだろうか。
――もう二度と戻れないはずなのに、『日本』に焦がれてしまう心は純白の陽光を待つ。私は、新たな光源『太陽』を選んだ救世者だから。
―◆ 心象◇◆具現化◇―
「来て、〖白絕の八咫烏〗」
私は真横に構えた〖純白の槍〗に止まる、一羽の白い烏を具現化した。八咫烏は、太陽の化身であり導きの神。その三足は神と自然と人が、同じ太陽から生まれた兄弟である証。 月宮殿に居る私の心は、離れてても日宮殿に居る大切な人達と繋がっている。
紅の瞳を宿す白烏は翼を広げて、純白の陽光を放った! 色を奪う為では無く、救う為に。眼を見開いたリィナの傷が……治っていく。零れた涙は、最後の一雫。
「……あったかい」
「すぐに気づいてあげられなくてごめんね。もう痛くない? 」
リィナの怪我は見た目では治っているが……私は自信が無い。具現化して能力を扱うのは初めてだから。何もかも既知の事なんて無いけど。
だけど、涙の露を弾いた蕾が花開くように笑顔が溢れたリィナに安心する。私が男なら、この時点で美少女にノックアウトされていたかもしれない。
「うん! もう平気 」
「良かった……。なら、リィナに聞きたい事があるの。さっき『私以外本当に誰も起きてないの?』って言ってたけど……どういう事? 」
「目が覚めたら、さっきの野犬達がベッドに居た私を取り囲んでて……パパとママは起きないし、野犬達は私だけを狙ってたの。何とか外に逃げ出したは良いんだけど、ドアを叩いて助けを求めても誰も起きなくて……」
リィナは涙を我慢するように唇を結ぶ。思わず私は〖白絕の八咫烏〗を肩に乗せ、よしよしと頭を撫でてしまう。
「そっか……リィナだけが狙われてた理由なんて分からないよね」
リィナは頷く。何故【混沌の筆】はリィナの両親も狙わなかったのだろう。あんなに色に飢えていたのに。ネリアルは淡々と事実を述べる。
「獲物は決められていた。必要な色を選んで起こしたんだろう。獲物以外は眠らせて……」
「さっきの【混沌の筆】を従えていた為政者がって事だよね。あの 灰礬柘榴石……絶対怪しい」
ボス:【混沌の筆】の額にあった 灰礬柘榴石は為政者に繋がっていたのかもしれない……と思ったところで私は大失態に気づく!
「 灰礬柘榴石! 回収してないっ……やっぱ消えてるよね。為政者に繋がるヒントにはならないか。ネリアル、他の為政者について知らない? 」
「 灰礬柘榴石と言えば……『クヤカラ』か。彼女の姿くらいは知ってるけど……詳しい居場所は分からないな。何を考えてるかも分からなければ、連絡手段も無いし」
【混沌の筆】達を跡形も無く陽光で色を掻き消してしまったから、残骸もヒントもこれ以上無い。戦いの最中、そこまで考える事は出来なかったけど。ガックリと肩を落とした私に残るのは、良くも悪くも為政者の名前だけ。
「どちらにしろ【混沌の筆】達を具現化する供給源を残すわけにはいかないだろう。……で、彼女は仲間に相応しい? 」
きょとんとするリィナを前に、私はすぐにネリアルに答えられない。確かにリィナは『少女』で初めの仲間の条件に相応しい。だが仲間になるという事は、私と共に反旗を翻すという事……。またリィナが今日のように危険な目に合うかもしれない、と思うと頷けなかった。
「私には決められない。……だってリィナは明らかに未成年じゃない! 推定年齢十三歳! 」
びしっとリィナを指し示した私に、ネリアルは紫黄水晶の双眸をきょとんと瞠目する。
なぬ……意外に可愛い……ですと!?
「……そっち? 」
あ、胸になんか刺さったかも。私はキュンとした胸を押さえ……じゃなくて!!
「私達の仲間になるなら、リィナはまた危ない目に合うかもしれない。ご両親と一緒に相談すべきでしょ! 」
「……アイは変なとこ常識的なんだ。肝心のリィナ自身はどうなの? 」
「確かに!! 」
クスリ、と微笑したネリアルから急いで目を離し、我に返った私はしゃがんでリィナに向き直る。
「ねぇ、リィナは……もし私が仲間になって欲しいって言ったら、どうする? 」
「仲間……? 」
可愛らしく小首を傾げたリィナはあまり状況が飲み込めていないようだ。詳しく説明する必要があるけど……そもそもとして命の危機に瀕したばかりの彼女を、暖かい場所で安心させてあげたいという気持ちが湧いた。成程、これが保護欲ってやつか。
「もし、リィナが良ければだけど……とりあえず今夜は、私達の〖Boutique Sun〗に来ない? また【混沌の筆】が、色をもう一度狙いに現れたら危険だから。朝になったら、おうちに送ってあげる。ご両親も心配するだろうし」
リィナの瑠璃唐草の瞳が瞬く、暫しの沈黙。
大丈夫かな、私……。ロリ少女の誘拐者と間違われてないよね。微妙に心臓が痛いぞ。
「アイはおひさまが好きなの? 」
「ん……? そ、そうね。好き……なのかな」
リィナの天然は、私の緊張をズルリとコケさせた。〖太陽の救世者〗とか〖Boutique Sun〗とか……故郷を想う私の心情なんて、リィナは知らないからそう思うのも無理は無いかも。
「私も好き。アイと一緒におひさま、見たいから……それまで手を繋いでくれる? 」
おずおずと差し出された手に、私は思わず微笑んでしまった。
「もちろん! 一緒にブティックまで散歩しよっか。朝になったら、きっと綺麗な太陽が見れるよ。実は私も異世界の太陽見るの……」
初めてで。そう、紡ぎかけた唇を私は止めた。そんなはず、無い。この世界に転生した私は、生まれてから何度も見たはずだ……。異世界の月も……今日が初めてじゃないはず。何でそんな事を言おうとしたのだろう、変だな。
「楽しみだね」
にこり、と幸せそうな微笑を向けてくれたリィナに我に返る。私は手を取る。私より小さい掌に、暖められたのは私の方だった。
異世界の陽光もきっとリィナの掌のように暖かいんだろうと、朝を想像しながら……私達は〖Boutique Sun〗へと歩み出した。