◇4◆ 可愛い妹には、槍を持たせよ。
冴え渡る月明は、漆黒の夜に眠る異世界人に天蓋のような光の束を丸く降ろす。月明の天蓋はきっと、月の雫と言われる真珠の光沢を持つ、シースルーオーガンジーで出来ているんだろう。
異世界でも存在する『月』は白銀だった。現代から甦った私から見れば、寧ろ異世界が金銀青瑠璃の月宮殿のようだ……。
がらんどうの夜の街。冷えた月下で歩む『太陽の救世者』である私は異端。それでも、強く歩を進められるのは……手を繋ぎ先導してくれるネリアルが居てくれるから。すらりとした指なのに節が目立つ男性的な手は、ピアノ奏者のよう。
漆黒の夜を味方につけたように、ネリアルは紺滅から白菫色に化す髪と燕尾を夜風に靡かせる。
暗い灰みの青紫である褐色の袖と燕尾は、芥子色のピンストライプで夜に沈まない。だが燕尾服は上から漆黒のベストで引き締めたようなデザインで……為政者であるネリアルは、やはり夜の眷属なのだ。
遂に私は、張り詰めた緊張に耐えかねて言葉を零してしまう。
「静かだね。みんな眠ってるんだ」
ドキリとしたのは、憂いのある美貌に宿る繊細な睫毛の奥……紫黄水晶の双眸が、臆病を呟いた私を捉えたせいか。血のように鮮やかなタイブローチのせいか?
「色が奪われるのはいつも、皆が眠る漆黒の夜だよ。無彩色は色を塗り潰すから」
「……一体どうやって異世界人は色を奪われているの」
刺すような双眸に抗えず、私は逃げるように睫毛を伏せる。繋いだ手が僅かに力が込められた気がした。
「【混沌の筆】。為政者の使い魔たる彼らが、ベッドから眠る異世界人を静かに引き摺り出して、狩った色を為政者の元へ連れていくんだ」
「異世界人は眠っている間に、夢ごと色を奪われるんだね……。なら、異世界人が目を覚ます前に【混沌の筆】を穿てばいいの? 」
私が選んだ『救世者』と言う道には、命が天秤に載る……。今更嵌められた重い枷が、覚悟を探す私の歩みを止めさせた。
「いや、アイは目覚めた異世界人を救済するべきだ。仲間に相応しい色を救済し、反旗を翻さなくては。初めは少女がいいと思う。新しい衣を纏うことに心惹かれてくれるはず」
私は耳を疑い顔を上げた! 私を真っ直ぐに見つめるネリアルは笑みなど浮かべる様子は欠片も無い。
「色を選べって言うの……コーディネートとは違うんだよ!? 」
「アイは忘れているようだけど、俺は為政者なんだ。協力してあげられるのは案内まで。色を奪う他の為政者達を打つ前に、アイを隠す俺の隠蔽を敵に完全に破かれれば革命は死と同時に破綻する。敵の疑いが俺達を襲う牙になる前に、革命を起こさなければならない。だからこそ、俺以外にもアイを守る仲間が必要なんだ。……妹に生きていて欲しいと思うのは、兄なら当たり前だろ」
祈るように見つめられて繋いだ掌を引き寄せられたのに、私は否定に首を横へ振った。
「私は救う色を選べない。みんな鮮やかに生きていて欲しいと思うのは、そんなに悪いことかな? 」
「アイが生きていなくちゃ、望む色も『救済』出来ないんじゃないか? 」
瞬きに閃光が散った! 自らの色を異世界人を救済する対価にしたところで、たった一人でがむしゃらに進むだけじゃ無力だ。
「確かに、ネリアルの言っていることも分かる。だから異世界人を救済し、仲間となってくれる人を探すよ。……色を取り零すことは出来ないけど」
ネリアルはため息をつく。無謀だと言うように。
「時間は限られているから本当は効率的に、救う色を選んで欲しいけど。……それと」
手を繋いだまま私の頬に触れたネリアルは、私の黄緑色の欖石の双眸を覗き込んだ。紫黄水晶の瞳に、喰われてしまいそうな程深く反射するくらいに。美しい顏と吐息が近い。背筋がピリピリするのは何でだろう。
「……お兄ちゃん? 」
瞬く私に、ネリアルは不意に美しく微笑した。
「明るい黄と紅白、鮮やかで似合ってる。鈍い紫の髪と、黄緑色の欖石の双眸を引き立てる補色か。アイは良い色を選んだね。……食べたいくらいに」
ちろりと見えた燕脂色の舌の不穏さに肌が逆立つ。食べたいくらいに妹が可愛いってやつなんだろうけど……冗談に聞こえないよ!? 色を喰らう為政者のネリアルを前にした、明確な色の危機に私は動けず微笑が強ばる。
「その……ありがとう……」
本当に私の色を食べたりしないよね、と上目遣いで、憂いのある睫毛を瞬いたネリアルを警戒し始めた時……がらんどうだったはずの夜の街を甲高い悲鳴が引き裂いた! 少女の声だ!
「誰かっ、だれか居ないの!? 私以外本当に誰も起きてないの!? 」
暗い路地から、漆黒の寝巻き姿のままの少女が素足で飛び出す! 淡い青みの桃色の長い髪を乱して走り抜ける少女の、涙を溜めた瑠璃唐草の瞳と一瞬かち合った。
だが、助けを求めているはずの彼女は止まる事無く走り去る。一体何故……と呆然と混乱する私の前を、理由が駆け抜けていく!
――ギラリと飢えた野犬の群れだった。絵の具をパレットでぐちゃぐちゃに混ぜたように、まだらに濁った色の獣達は筆のような尾を引き歓喜に吠える! 追われる彼女は、狩りの獲物なのだ……。
「【混沌の筆】の色狩りが始まった」
私を解放したネリアルの冷めた一言に、我に返る。
「早く助けないと! このままじゃ色が奪われてしまう! ネリアル、あの子を助けるにはどうすればいいの!? 」
息を吹き返した焦燥感で、ネリアルのタイブローチ事しわくちゃにしがみついたが……何故か丁寧に指を解かれてしまう。……え?
「【混沌の筆】を穿つのは為政者じゃなくて、〖太陽の救世者〗であるアイでしょ?……『可愛い妹には旅をさせよ』って言うよね」
ぞわりとするような魅惑的な微笑を浮かべたネリアルから滲む、嫌な予感に片頬が引き攣る。固いはずの地面がふわふわと動いているような……。私はぐらりとしゃがみ込んだ。
「微妙に間違ってるし、何で現代のことわざ知ってるの!? 私のシスコン兄はどこ行ったの! 」
「やだな。可愛いからこそ、鞭打つんだよ。さぁ、『 習うより慣れろ』だ! 」
荒々しく叫んだネリアルが両手で一拍打つと、波打った地面にぶん投げられた私は漆黒の月夜を飛ぶ!
「嘘でしょぉぉおおおおっ!? お兄ちゃんの馬鹿ぁっ!!」
妹はスパルタ過ぎる教育に断固反対しながら、華麗なる内股とぶりっ子ポーズのまま涙を散らす! 少女と【混沌の筆】の間を、目標地点として堕ちていく!
「こうなったら自暴になるしかない! 何か……なんかナンカ何かッ! 私もあの子も助かる良いアイデアどっかに無い!? 」
だが固い地面と、新たな色の到来に歓喜の咆哮をあげる【混沌の筆】は迫る! このままじゃ笑えない明確な【死】に堕ちる……。
俯いた淡い青みの桃色の髪の少女は空から堕ちてくる私に気づかず、恐怖で憔悴しきっていた。
「やだ、死にたくないよ……パパ、ママっ! 助けて!! 」
彼女の言葉に、堕ちる私は背筋を貫かれた!
迫る【混沌の筆】の群れが、私を喰らった八個の車輪と、凶暴な前照灯だという錯覚で本能がビリビリと逆立つ! また死にたいの?と鼓動が爆発寸前まで、踏切の警報音でうち鳴らされる!
色を救うためには、色を奪わなければ! 無彩色は漆黒だけじゃない、とかつて命を強烈な光で掻き消された私が耳元で怒鳴った!
―◆心象◇◆|具現化《Realization》◇―
「あんた達に、もう二度と色はやらない!! 喰われる前に、喰ってやる!! 」
喉が焼き付くほど強く叫んだ私は、無彩色の〖 純白の槍〗を具現化した! 色を太陽で白く飛ばしてやる!
淡い青みの桃色の髪の少女に、牙が届く寸前だった【混沌の筆】を着地マットにして、はっ倒す!
私は旭日旗を柄に翻す〖純白の槍〗をバトンのように踊らせ、襲いかかる【混沌の筆】を地面へ叩きつけて返り討ちにした!
【クゥン……】
新たに現れた色が、牙の届かぬ存在だと知った【混沌の筆】達は犬耳を伏せ距離をとる。
【混沌の筆】も色を持つ生き物。異世界人の色を脅かす存在でも、自らの色を脅かされるのは恐ろしいのだ。コロリと変わった態度にイライラするけどね!
「怯えたって許してあげない。【混沌の筆】達は、私の大好きな色を嫌という程食らってきたんだから! 」
【ヴヴヴゥゥッ……】
怯える【混沌の筆】達の中、一体の大きな【混沌の筆】が影より現れる。ははぁ、あれがボスってわけ。額には、美しく輝く 灰礬柘榴石。
「ぐちゃぐちゃな色の【混沌の筆】には、勿体ないから私が食べてあげる! 」
ボス:【混沌の筆】が、生臭い咆哮と同時に牙を剥き出しに迫る! 〖純白の槍〗を振るう前にその牙に咥えられ、私の苛立ちは決壊を切られて大噴火した!
「醜いヨダレを、真新しい〖純白の槍〗に垂らさないでくれる!? 命懸けで具現化した新アイテムなんだから!! 」
〖純白の槍〗に喰らいつく、ボス:【混沌の筆】は中々重たい。雑魚みたいにぶっ飛ばせない。ならば……!
「あっ! あんなところに美味しそうな『明るい赤』が! 」
クルッと、牙を離し私の指さす方角を嬉々として振り向くボス:【混沌の筆】。私は可笑しくてペロリと舌を出す。色とみれば尻尾なんか振っちゃって……あんたも私と同類か。
「隙あり! 」
ギラリと強烈な輝きを放った高い明度の槍先で、振り向いたボス:【混沌の筆】の 灰礬柘榴石を穿つ!
【グギャッァァァアッ!!! 】
光源、〖純白の槍〗が強く放った輝きに呑まれたボス:【混沌の筆】はぐちゃぐちゃな色を掻き消された! ボスが掻き消えたと同時に、雑魚:【混沌の筆】達も消失していく。
成程……今後はボスを狙えばいいのか。
私が息を吐いて振り返ると、淡い青みの桃色の髪の少女はまだ恐怖が去った事を知らずに俯いていた。
「もう大丈夫! 貴方は助かったんだよ」
私の声に肩をビクつかせ、おそるおそる少女は顔を上げる。よく見ると、とんでもない美少女だった。涙を溜めてくりくりとした瑠璃唐草の瞳は、赤ちゃんみたいに澄んでいる。
「貴方は……? 」
美少女の言葉に、私は救済した後のシュチュエーションを一切考えて無かった事に気がついた。無計画なのは、初めからなんだけど。……妹を放り投げたシスコンの兄も。
「えぇと……そうだな…… 異名が〖太陽の救世者〗になったばっかりの新米救世者で……」
きょとんとする美少女を安心させる言葉を、必死に脳内本棚から引っ張りだす。彼女はかつての私のように、命の危機に瀕していた。不安を取り除いてあげたいんだけど……こう言う時……言うべき言葉は……。ピンと、私はある一冊の言葉に閃く!
「私は、貴方を救いに来た! 」
漫画本に載ってた台詞を自分の物かのように溌剌と叫んで、満面の笑みを浮かべた私は美少女に手を伸ばした。