◆11◇【疑念】を追え、乙女達。
―◆◇〖アイ side〗◆◇―
「アイ……聞いてほしいの」
〖 青と白唐草模様の防壁〗を解き、
リィナは振り向いた。瑠璃唐草の瞳に、月明を強く宿した彼女は……朝に打ちひしがれていた弱々しい印象を塗り替える。
「私にアイを追いかけるように伝えたのは、ネリアルなの。まるで私が〖海穹の守護者〗となり、アイを救うことを知っているようだった」
「……まさか」
欖石の瞳を見開いた私は握りしめた掌から、〖純白の槍〗がじわりと嫌な汗で滑りそうになる。私が窮地に追い込まれ、リィナが私と同じように【混沌の筆】と戦える力を手にする事を知っていたならば……何故、ネリアルは告げなかったのだろう。
私と同じように、荒療治で能力を手に入れさせようとした可能性も無きにしも非ずだが……。リィナが語った疑念以外にも、私の感じていた疑念はある。
深く考えようとしなかったのは……兄であり為政者であるネリアルを疑うのを、本能的に避けていたから。異世界に生きる色として喰われる事を恐れていた部分もあるが、私はネリアルにただ妹を愛する『シスコンの兄』で居て欲しかったんだ。
日本から切り離され、異世界に独り転生した私は……親しい人を失うのを恐れていたから。
「ネリアルとアイが信頼し合っていると思っていたから、考えないようにしていたけれど。ネリアルに会ってから、私は漠然とした違和感を感じていたの。一人で抱えきれなくなっちゃった」
苦く微笑するリィナが明かしてくれた違和感の火種は、私の中に飛び火した。私も、自分の内の疑念を明かしたい。けれど、その前に『愛』についてリィナに知って欲しいと思った。
「リィナ。私、言っていない事がある。私は別な世界から転生して、蘇った人間なの。前世である『現代』の記憶もある。……信じてくれると嬉しいんだけど」
リィナはやはり瑠璃唐草の瞳を驚愕に瞬いたが、やがて私を真っ直ぐに見つめて微笑した。
「私を救ってくれた、アイの事を疑ったりしないよ。それに、弱い私なんかが能力に目覚めて【混沌の筆】を倒せた事も……異常じゃない? 」
「そうかもしれない。思えば私も……リィナを助けようとして本能的に得た〖純白〗の力について何も知らない。何故、私が〖 太陽の救世主〗になれたのかを」
異世界だから、摩訶不思議なんでもアリじゃない? と現代の漫画アニメに浸っていた私は感覚が麻痺してたんだと思う。だが異世界と言えど……ここは私が生きる第二の現実だ。
「私達、お互いの『未知』を穴埋めした方がいいみたいだね」
弱々しく笑うリィナに、私は頷いた。
「リィナ。私に、この異世界について出来るだけ教えてくれないかな? 」
「良いよ。私も『現代』や、アイから見たネリアルの事を教えて欲しい」
リィナが教えてくれた『異世界』の現実は、ザックリと三つ。
I. 各地域に自治を持つが、異世界人は『為政者』を知らない。【漆黒】に制限された色彩の支配も、色を奪われている認識も無かった。他に〖純白〗という対抗手段を持つ者も、やはり居なかったようだ。
II. リィナの知識は『学校』で得た情報だけ。“禁書”の存在も無論、皆知らない。この世界を全て記した地図すら……リィナは見た事が無いらしい。
III. 私達が今いる居住地の一つ『キトゥロ』から、他地域へ赴く者は地域長や教育者以外あまりいない。
『大海原』や『瑠璃唐草の花畑』へ赴いた、リィナや幼なじみだというキレヲは珍しい方だと言う。他地域の名は……リィナは思い出せないらしい。色彩図鑑で『明るい灰みの青』を見つめるまで、『大海原』と『瑠璃唐草の花畑』を忘れていたように。
『現代』から転生した私が、リィナに話した現実も三つ。
一、兄であるネリアルは、私の前世である『現代』の知識がある事。異世界に転生した、ネリアルの妹となる前の愛についても詳しい気がする。
まるで……愛と親しい人物として、現代を生きていたかのようだ。積み重なってきた小さな疑念が、現代で私を殺した一人の少年の輪郭に重なる。
二、この異世界に生まれたはずなのに……私は無知だ。おそらく異世界の『太陽』すら知らなかった。それなのに、『外』について記憶や知識があった。時としてリィナより異世界について詳しい場合すらある。……知識や記憶が不自然に偏っている。
〖Boutique Sun〗が創造される前。私が目覚めた『何も無い部屋』は私達の家だと思っていたが……私の目覚めを待っていたネリアル以外、私を待つはずの家族について何も知らない。ネリアルが兄だと言うなら、リィナのように両親がいてもいいはずなのに。
三、私自身を導くネリアルを……何故無条件に信じていたのだろう?
「疑念は尽きないけれど……私達がやっと掴んだのは『何も知らない事』と『疑問すら覚えなかった事』。……きっと今まで忘れさせられていたんじゃないかな。リィナの両親の記憶を、為政者『クヤカラ』が【混沌の筆】を使って消したように。知識も制限されて」
「その可能性が高いよね。為政者であるネリアルも……アイの記憶を操作していたのかな? 」
私は分かっていても、刺し貫かれた信頼により胸がジクジクと傷んだ。
「……どちらかと言うと、思考そのものに干渉していた可能性はある。リィナが他地域の名を思い出せないように。為政者は皆、思考や記憶に干渉出来るのかもしれない」
「為政者は何が目的なんだろう。姿を異世界人に隠して、裏から色を支配して。【混沌の筆】により わざわざ丁寧に痕跡まで消してまで……平穏な暮らしを続けさせようとした。他地域との交流をなるべく遮断して」
「目的は分からないけど……。ネリアルを疑うなら、私の『色を圧政から救う』という目的に同意して、同じ為政者であるクヤカラに敵対する理由が分からない。……為政者達の中でも、内部分裂があるのかな」
小首を傾げたリィナは、可愛らしい眉を難しく寄せる。
「そこなんだよね……ネリアルを、他の為政者と同じように完全に『敵』だと思えない理由。ネリアルに他の為政者とは違う目的があるとしても……私から見て、ネリアルはアイの望みなら何でも叶えてくれるように思えた。やっぱり……ネリアルはアイの事を大切に想っているんじゃない? 」
私はなんだか泣きそうになって、ツンとする衝動を瞬きで誤魔化す。
「他の為政者に敵対してまで、か。それってなんだか」
異常だ。そう続けようとした唇は凍えて、先を紡げない。繋がれた疑いの鎖は、血で濡れた【八個の車輪と、凶暴な前照灯】を引き摺り出すから。
「私……まだ、ネリアルを信じていたいのかもしれない。やっぱり、ただの『シスコンの兄』でいて欲しいから」
呑み込めなかった信頼を言葉にすると、焼け付くように心臓が鼓動した。
「アイがネリアルを信じていたいなら……尚更、嫌なもやもやを晴らしに行かなきゃ。ネリアルはアイの知りたい事にきっと答えてくれるはず。『シスコンの兄』なんだから」
優しい青みの淡い桃色の髪を夜風に靡かせたリィナは、まるで聖母のように慈愛の微笑を浮かべて手を差し伸べた。
私がリィナを救ったはずなのに、今はリィナに私が救われていた。私達はたった一人で戦う訳じゃない。
「そうだね、お兄ちゃんを問いたださないと。 私達、まだ始まってすらいないんだから! 」
私は私らしく笑みを爆発させて、リィナの手をとった! リィナも聖母では無く、年相応の少女らしく笑み崩れた。
「行こう。私より先に〖Boutique Sun〗を出たネリアルは、きっとまだ『沈黙の夜』に居るはず」
頷き合い『仲間』になった私達は、互いの掌の体温を拠り所にするように手を繋いだまま、『沈黙の夜』へと駆け出した。