◇10◆ 私にだって、与えられる!
―◆◇〖リィナ side〗◆◇―
太陽は沈んだ。私が裸足で駆け抜けた、あの夜が再来する。安心しきって眠りに落ちたはずの私が、ふいに目を覚ますと――消えたベッドサイドランプの脇に、潰れた影。唸る【混沌の筆】の牙から忌まわしい唾液が糸を引いて滴り落ち、眼が凍った私の悲鳴に誰も答えぬ『沈黙の夜』が月と蘇る。
私はアイに問う。引き留めたいのか、震えを消せない私の恐怖を塗り替えて欲しいのかも分からずに。仲間となっても弱い私は……彼女を待つことしか出来ない。
「本当に……行くの?」
「行くよ。それが、私が……〖太陽の救世者〗として決めたことだから」
塗り潰された夜へ向かい合うアイは、欖石の瞳に私の届かぬ強い光を宿して、頷く。彼女の手により、〖Boutique Sun〗の扉は開け放たれてしまった。
「アイは、夜が怖くないの。【混沌の筆】に……殺されるかもしれないんだよ。何故、行くの? 」
置いて行かないで。そう告げる代わりに私は、アイも抱くはずの恐怖を探して躊躇わせようとした。あまりにも自分勝手だ。それでもアイは私に答えてくれる。答えを自らの内に探すように、睫毛を伏せながら。
「暗いのも、死ぬのも怖いよ。でも私は、リィナみたいに色鮮やかな人達に惹かれているんだと思う。だけどそれだけじゃないって……私はリィナに出会って分かった。私、大好きな自分の世界を守りたいだけなの。リィナに会って、私の世界の一部は、貴方になった。私……世界の一部になるかもしれない人達の色の鮮やかさが、くすんでしまうのが嫌。だから、行くの」
高く結い上げた鈍い紫の髪を揺らし、アイは真っ直ぐに顔を上げる。〖純白の槍〗と〖白絕の八咫烏〗を具現化し、私を置いて『沈黙の夜』の街へと駆け抜けて行った。私の憧れた明るい黄を、チュチュワンピースに連れて。
アイの覚悟に、私はもう一度名前を呼ぶことも出来ず、空の息が喉を吹き抜ける。伸ばした指先は、無駄になった。
「……貴方も、私を置いて行くの? 」
アイに【混沌の筆】が狙うであろう色を伝えたネリアルも彼女に続き、夜へ向かおうとする。残される私を振り返ったネリアルは紫黄水晶の瞳を忌々しく細め、色を喰らうという燕脂色の舌で――『未知』を与えるのか。
「与えて貰ってばかりだな。アイから無償に受け取った『食』だけじゃない。今纏う『衣』も、お前が待つ『住』も。何も返せない。だから、弱いままなんだ」
ネリアルの言葉は、『赤ちゃん』のように他人の好意を受け取ってばかりだった私の愚かさを浮き彫りにした!
十三歳になっても家事一つ出来ず、パパとママに『赤ちゃんみたいね』と甘やかされるままで。自分で海にも踏み出せず、キレヲに手を引かれ。今だって、アイに優しい言葉すら何も返せずに見送るまま……。
「だって……だって、私は無力だよ!! 返せるものを何も持っていない!! 」
私は自分自身に対する劣等感のままに、火をつけられた苛立ちを吐く! パパとママに私を思い出して欲しいと、アイ達の仲間になったのに。その為に出来る事すら、まだ見つけられていない。自分の弱さを自覚して、変わりたいと願っても!
―― ムカつく程に、私は空っぽだ。
「本当にそうか? 返せない、とお前が思っているだけだ。別に物である必要なんて無い。アイに返せる行動を、お前は成せる」
苛立ちに擦られた燐寸の火は、今。
可能性の燈になった。
「私にも出来る行動があるの……? 」
弱者の鼓動は熱をもって、心臓を太鼓撥で叩きのめす。
「アイを追いかけろ。立ち止まっていては、成せる事など無い」
可能性の光源に影が強まるように、輪郭の無い『未知』が疑念に変わっていく。 燕尾服を翻し、漆黒の夜へ消えたネリアルは……やはり何かを知っている。
この違和感は、最早一人で抱えきれない。だが、吐き出すべきは今では無い。伝えるべきアイは、ここには居ないのだから。
私は『沈黙の夜』の街へと駆け抜けて行った、アイの軌跡を追う! 背後――『追いかけられた恐怖』の幻影に耐えながら、独りぼっちでも私は走る。アイも独りで戦っているはずだから!!
【ワフォオオオオ――ン!!】
私は肌が粟立つ。【混沌の筆】の遠吠えだ! 色狩りはもう、始まっていた! 曲がった角の路地裏、〖純白の槍〗が旭日旗と共に漆黒の夜に翻る!
「今度は多勢って訳!? 三十匹 VS 一人とか卑怯でしょ!! せっかく眠る色が引き摺り出される前に、間に合ったのに!」
アイは、やっぱりたった独りで【混沌の筆】と戦っていた。色を喰われるのは、アイ自身かもしれないのに!
その時、私の嫌な予感は顕現してしまう。
【網となれ】
見知らぬ女の人の声がしたと思うと、【混沌の筆】の群れの動きは統率された。狩りの獲物へ網を投げるかのように一斉に、アイへと飛びかかる! アイは動けないまま、欖石の瞳を一瞬の恐怖に見開いた!
「アイ!!! 」
強く叫んだ私はアイの元へ、勝手に身体が動いていた。このままママとパパとの『思い出』すら取り返せずに、私を救ってくれたアイすら喪うなんて、奪われるままでいいの!?
荘厳の瑠璃唐草の花畑を、見に行ったあの日。ピクニックシートの上、当たり前だと思っていた『幸せ』が、ママが作ってくれたお弁当と一緒に広がっていた。
ふわふわの黄色い玉子焼。赤いタコさんウィンナーに、優しく茹でた緑のブロッコリー。
もう、行動することを諦めたくない。私も、ママみたいに与えられる人になりたい!
―◆ 心象◇◆具現化◇―
明るい灰みの青ワンピースを纏った弱者に、〖純白の柔盾〗が具現化されて重なる!
私が纏うエプロンは【汚れ】を防ぎ、体を保護するという目的に生まれた。『赤ちゃん』が『ママ』みたいになりたいだけの、飯事なんかじゃないの!
〖海穹の守護者〗となった私は、〖純白の柔盾〗のポケットから、〖 青と白唐草模様の防壁〗を展開する!
【クゥンッ!? 】
突如現れた防壁に阻まれた【混沌の筆】達は、地へと弾き返された!
「どうして、リィナがここに!? この防壁、リィナがしてるの!? 」
初めての防壁の展開に集中する私は、驚愕するアイに振り向けない。
「後で伝える! 私の疑念も! 」
アイへの攻撃は防ぐ事が出来た。だが、【混沌の筆】達自体はダメージを加えられた訳では無い。再び起き上がった彼らは、私の展開する防壁を喰い破ろうと牙を立てる!
植え替えが出来ない瑠璃唐草と同じように、
〖 青と白唐草模様の防壁〗を展開した私は根付いた場所から動けない!
「このままじゃ、【混沌の筆】にずっと囲まれたまままだよ! 防壁を解いて! 私が隙をついて【混沌の筆】のボスを穿つから! リィナが持たない! 」
「大丈夫! 」
私とアイを穹のように丸く守った
〖 青と白唐草模様の防壁〗は、一部が実は水だから。防いだ【混沌の筆】達の色を、海の〖純白の波〗が引くように白唐草模様で吸い取った!
【ヴヴヴゥ……】
濁った【混沌の筆】の色は消失したはずが。一匹だけドレインに耐えた【混沌の筆】が居た。起き上がった一匹の額には……灰礬柘榴石!
「リィナ! 一部だけ防壁を解ける!? 」
「やってみる! 」
防壁の一部、白唐草模様を空に変えた瞬間。ボス:【混沌の筆】が飛びかかる!
「ラッキー☆ この瞬間を狙ってたの!! 」
防壁の隙間。ウィンク☆したアイは〖純白の槍〗の高い明度の槍先で、灰礬柘榴石を貫いた!!
【グヴェオオオッ!!! 】
額を貫かれたボス:【混沌の筆】は、光源〖純白の槍〗の強烈な輝きにより色を掻き消された!
「はい、さよなら! 中々スリリングだったけど、結果オーライ! 」
胸を張るアイの横、安心した私は
〖 青と白唐草模様の防壁〗を解く。
「アイ……聞いて欲しいの」
疑念を打ち明ける覚悟をした私は静かに口を開く。アイは不思議そうに小首を傾げて欖石の瞳を瞬いた。