侯爵と妻は絆される期間で賭けをした
「私、アストレア領に行きます」
三年ぶりに実家に帰ったその日の夕食の席で、私は宣言した。
両親は唖然としたが、兄は想定内だったのか落ち着いていた。
「ちょ、ちょっと待ちなさい、フィー。どういうことか説明してくれ」
「学院を卒業した時点で私がアストレア様の妻になりたいという気持ちがあったら正式にアストレア様に結婚を申し込むというお話でしたよね」
「ああ、まあ、それは……」
「私は変わらずアストレア様をお慕いしております。なので、アストレア領に行きます」
きっぱりと言うと、父が勢いよく首を横に振った。
「だ、駄目だ!求婚は許可する、だが行く必要はないだろう!?」
「急に押しかけたらユリウスにもアストレア侯爵家にも迷惑がかかるわ」
母も父に追従する。兄は呑気にデザートのゼリーに乗ったさくらんぼを口に入れた。
「ええ。勿論先触れは出します」
「そういうことじゃないのよ!まずは手紙で色々と相談しないと」
「それでは断られますでしょう?」
両親の表情が苦いものになった。
「ええ、でもアストレア侯爵家に迷惑がかかるのは事実ですわね。ではまずはアストレア侯爵様にアストレア様宛の縁談を持ち込みつつ、アストレア様が絆されて下さるまでの領地での滞在をお願いすることにします」
「だが」
「いいではありませんか。お願いしたところで許可して頂けるかも分かりませんし、するだけしてみても良いのでは?」
兄からの援護射撃が入った。13年前に兄も私を応援してくれたが、その気持ちは変わっていなかったらしい。
「許可して下さったらフィーは行ってしまうのでしょう?そんなの駄目よ」
「母上。どちらにせよ、いつかは家を出るのです。それが少々早まっただけではありませんか」
「早まったら私やランスがフィーと一緒にいられる時間が短くなるじゃないの。ただでなくてもアイリスが家を出て寂しいのに!」
悲壮感たっぷりに言われてしまうと流石に罪悪感を抱いてしまう。
だが、私の気持ちは変わらない。
「それに関しては申し訳ありません。ですが、どうしてもアストレア様の妻になりたいのです」
「フィー、私たちよりもアストレア様の方が大切だと言うの?」
「優劣はありません。勿論お父様やお母様やお兄様はとても大切です。かけがえのない家族ですから。ですが私はアストレア様も大切なのです。将来の伴侶、いずれ家族になる方なのですから」
母は潤んだ瞳で私をじっと見つめ、ぎゅっと目を瞑り、そして目を開けて微笑とともに小さく溜め息を吐いた。
「分かったわ。13年我慢したのだものね」
「リーナ!俺は許可しない、男の元に行くなんて論外だ」
「ランス、もういいじゃない。私とランスも一年たたずに婚約したでしょう。フィーにもフィーの人生があるのよ」
父は口をへの字にして黙り込んでしまう。
「父上。そもそもアストレア侯爵様にまずは許可を取らなければなりません。すぐには許可して頂けないでしょうし、実際にアストレア領に行くのはかなり先になるのではないでしょうか」
「そうよ、今すぐ行く訳ではないのだから」
そう言った後、母が父の耳元で何かを囁く。父は大きく目を見開いて、それは駄目だと首を横に振り、悩みに悩んで大きく息を吐いた。
「分かった。許可を取るまで行くなよ」
「ありがとうございます、お父様!」
「ランス、もしもアストレア侯爵に手を回したら……」
「う、分かったって」
どうやら父はアストレア侯爵様に許可を出さないよう根回しをするつもりだったらしい。
「父上、母上は何と?」
「うぐっ……フィーに干渉しすぎるようならしばらく抱かせてあげないと言われた」
「ちょっとランス!子供に何てこと言うの!」
母の顔が真っ赤になった。心なしか兄の顔も赤くなっている。もしかして想像しちゃったの?
私?そんな程度で赤くはならない。というか子供の前でも、いや所構わずいちゃいちゃしている両親なので、別に驚くことではない。
真顔の私を見た母は少し気まずそうにしつつ、話を戻した。
「フィー。貴女がしようとしていることはそこそこ、いえかなり非常識なことだわ。私やランスが許可するのは、単純にユリウスのことを考えたからよ。事情は言えないけれど、強引で滅茶苦茶な貴女ならきっとユリウスを幸せにできる筈だと思ったの」
「ユリウスが何故独身を貫こうとしているのか、俺とリーナは知ってる。それを崩せるのはお前だけだ、フィー。だから俺たちはお前の非常識な行動を許可する。だがな、だからこそアストレア侯爵には礼儀を尽くせ。言い回しに細心の注意を払え。分かっているとは思うが……分かったな?」
「はい」
滅茶苦茶とは酷いと思ったが、両親は真面目に言っている。私は一切反論をせずに肯定した。
「フィー。父上や母上に相談しづらいことがあれば、いつでも僕に言うんだよ。僕はフィーを応援しているから」
兄が私の頭を撫でる。
「ありがとうございます、お兄様」
「うん」
⁑*⁑*⁑
『お手紙ありがとうございます。
愚弟に求婚の旨を伝えたところ、お断りして欲しいとのことでした。
しかし、私としても愚弟に幸せになって欲しいと思っております。愚弟が絆されるまでどれだけ時間がかかるか分かりませんが、どうぞ押しかけてやって頂けるとありがたく思います。
領主館に部屋をご用意致します。食事も領主館でお召し上がりください。その方が、愚弟と接する機会も増えるでしょう。
愚弟に一度手紙を送らせますのでお待ち下さい。
どうか愚弟を幸せにしてやって下さい。』
アストレア侯爵様からの返事を要約するとこんな感じであった。まさか快く受け入れてくれるとは思っておらず、説得の手紙をいくらか送らなければならないかと思っていた。
手紙を見た両親や兄も驚いていた。父は男泣きした。
二日後ユリウス様から手紙が届いた。いつでも来て構わないということだった。
私の求婚を断ったことに関しては、きちんと考えた上で断ったのだと書かれていた。
そして、その日のうちに荷物をまとめ、翌日の朝早くに家を出ることになった。
「フィー。ユリウスは領主代行で領地経営をしているのだから、当主ではないからといって迷惑だけはかけないように。いつでも帰ってこい」
「13年間待ったのだから、後悔しないようにするのよ」
「何度も言うけど、僕は何があってもフィーの味方だから」
「はい。ありがとうございます」
一人ひとり私を抱き締めてくれる。この温もりも最後だと思うと寂しい。
私が馬車に乗り込もうとしたところで、家紋のない地味な馬車が入ってきた。出てきたのは、姉とディーだった。
「間に合ってよかったわ。今日はお忍びだから子供は連れてこられなかったの、ごめんね。フィー、寂しくなるわ。卒業したら一度くらいは私に顔を見せにきてくれると思っていたのに、手紙だけだなんて薄情な子ね。でも、幸せになるのよ」
「ごめんなさい、お姉様」
姉が私を包み込み、そっと離した。
「シュリー。良かったな。ルクレツィア嬢とは今のところ良い関係だと思う。上手くいけば婚約になると思う。ありがとう、シュリー」
「良かったわね。婚約発表パーティーには招待してくれるのかしら?」
「勿論だ。アストレア卿と一緒に来い」
「ありがとう」
ディーが寂しそうに微笑む。次にいつ会えるか分からないというのは、三年という期限があるよりずっと寂しい。
もう気軽に触れ合うこともできない幼馴染を目に焼き付けて、私は馬車に乗った。