卒業試験の点数は1点差(体育実技)
そして私は、第一クラスを貫いたまま卒業を迎えた。
学院で特筆すべきことは特にない。言うなれば、ルート様とコールリッジ侯爵家長男のクリストファー・フォン・コールリッジ様が両想いになったことくらいだろうか。
ツィア様は特に恋をした様子はない。そこで本人にもう一度ディーの妃候補として紹介しても大丈夫かと訊くと、覚悟を決めたような顔で頷かれた。
残念ながら、卒業試験の首席はブランドナー様に奪われてしまった。
卒業まで結局ブランドナー様は私を好きなままだった。こんなのユリウス様と同じだ。
ユリウス様を幸せにしたくて押しかけ妻になろうとしたのに、ユリウス様と同じ境遇の人を作ってしまうだなんて思いもしなかった。
「シュリーレン嬢。君をエスコートできて光栄です。私のことはどうかセオドリックとお呼び下さい」
「私こそ光栄です、セオドリック様。私のこともシルフィーネと」
「ありがとうございます、シルフィーネ嬢」
卒業パーティーのパートナーがブランドナー様――じゃなくて、セオドリック様になるのは予想通りだった。
パートナーはくじで選ばれ、代わることはできない。と言われているが、実際のところは男子生徒が操作している。先生は見て見ぬふりをする。だがこれを女子は知らない。では何故私が知っているのかというと、原作小説にばっちり書かれていたからである。
男子どもは、もし好きな人がいる男子生徒がいれば、好きな人とパートナーになれるように操作しているのだ。四六時中一緒にいれば大体分かるものである。
卒業パーティーのパートナーは特別だ。名前で呼び合う仲となり、すなわち家同士の繋がりができる。また、少々仲良くしすぎていても見逃される。あくまで少々の範囲ではあるが、要するにパートナーの選ばれ方は皆知っているということである。
「ドレスは慣習通り私が決めても構いませんか?」
「ええ、お願い致します」
ドレスを贈るのは男性だ。女性は贈られてきたドレスに合うアクセサリーや靴を見繕う。
ドレスやタキシード、服飾品は全てオーダーメイドであるが、業者は複数学院が指定している中から選ぶ。社交界デビューとはいえ学院のイベントであるため、費用は全額学院負担である。
二週間後、贈られてきたドレスはシェリー色。セオドリック様の瞳の色だ。裾や袖口には黒で上品な刺繍が施されている。
私は注文こそ済ませていないものの、どの宝石にするかは決めていた。ツァボライトである。私の瞳はよくエメラルドと形容されるが、実はもう少し明るくてツァボライトが一番近いのである。さらに、ドレスの色はシェリー色、エメラルドだと少し濃くて合わない。
正直ツァボライトも大して合っていないのだが、普通は相手の瞳の色か、自分の瞳の色のどちらかを選ぶ。前者は、配偶者や婚約者、あるいは自分が相手を想っている場合。
もし私がセオドリック様を好きだったならば、インペリアルトパーズを選んだと思う。だが私が好きなのはセオドリック様じゃない。本当ならばユリウス様の瞳の色であるパープルサファイアを選びたかったが、流石に非常識だ。
「ああ、とてもお似合いです、シルフィーネ嬢。精一杯エスコートを務めます」
「セオドリック様も素敵ですわ。本日は宜しくお願い致します」
セオドリック様は鬱陶しい前髪を全て流し、長髪をゆるく後ろで纏めていた。
本当に素敵だった。美辞麗句ではなく、本当に。
「こちらこそ。貴女に酔ってしまわないよう気を付けないといけないようですね」
「お上手ね。けれどシェリーは酔いやすいもの、確かに気を付けないといけませんわね」
言葉遊びをしながら会場に入る。
セオドリック様がテーブルに並んだ白ワインを手渡してくれた。
「ノンアルコールです。シェリーではないので酔いませんよ」
「ふふ。貴方の瞳に酔ってしまいそうと言えば良いのかしら?」
「酔ってくれて構いませんよ?」
「ご冗談を」
全員の入場が終わると国王陛下からの挨拶があった。孫が元気に生まれたという報告が直々になされたのだが、でれでれしながら孫の話を始めたのでうんざりしてしまったのは仕方ないと思う。ただ姉の子でもあるため、安堵したのも確かだ。
陛下が退場したところで音楽が流れ始める。ダンスの始まりだ。
「美しい方。私と踊って下さいますか?」
「喜んで」
差し出された手に私の手を重ねる。セオドリック様はそのまま優しく私の手を取ってフロアの中央に私を導いた。
セオドリック様のダンスは上手い。リードが巧みで非常に踊りやすいのだ。
「……シルフィーネ嬢は」
セオドリック様は躊躇いがちに口を開いた。
「婚約者は、いらっしゃるのですか?」
直球だった。
「おりませんわ」
「ならば、私が立候補しても?」
本来は卒業パーティーで話す内容ではない。
だが、多分セオドリック様は自分の口で話し、自分の耳で聞きたかったのだと思う。
私がセオドリック様に気がないことに気付いているから。
「婚約者は、おりません。でも、お慕いしている方は、おります」
「そう、ですか。その方と、恋仲?」
「いえ。私が一方的に」
「ならば、もしその方と結婚しないならば、私が貴女の夫になりたい」
セオドリック様は私をじっと見つめる。いつもより数℃高い温度で私を捕らえて離さない。
「貴女は首席を争う優秀さを持ち、見目麗しい。それは事実です。ですが、それが理由ではない」
言わないで。
懇願を込めて小さく首を振って見せるが、セオドリック様は微かに口角を上げただけだった。
「私は貴女を愛しています、シルフィーネ嬢。もしその方と結婚しなければでいい。私を夫にしては頂けませんか」
頷かなければいけないと、そう思わせる空気をセオドリック様は作った。頷いてしまいそうになるのを何とか留め、私は口を開く。
「もしも、もしも私がその方をお慕いしていなければ、きっと私は貴方を愛していたでしょう。けれど、申し訳ありません。私はその方以外は考えられないのです」
声はギリギリ震えなかった。セオドリック様は目を伏せ、そしてもう一度私を見た。
「貴族である以上、誰かと結婚せねばならないのではありませんか?」
「口外しないと誓って頂けるのであればお話しします」
「分かりました、ここだけの話にしましょう」
曲がクライマックスに近づく。多分、残り一分程。
「妻を持たないと仰っている方です。かなり歳は離れていますが……私が家の許可を取って押しかければ置いてはくれるでしょう。彼の方が私に絆されてくれるまで待つつもりです」
どうやら思い当たったようだ。セオドリック様は僅かに目を瞠り、そして口元を緩めて溜め息を吐いた。
「……分かりました。貴女を諦めることにします」
「ごめんなさい」
「もしもその方より早く、いや誰より早く貴女に会っていれば、私を好いてくれましたか?」
「……恐らく」
「そうですか。悔やまれますね」
柔らかな余韻を残して曲が終わり、お互い礼をする。
「幸運を祈ります」
「貴方も」
優しい微笑みに微かに苦みを滲ませてセオドリック様が頷く。
少し距離が離れた途端、彼には女子が、私には男子が群がる。何だかどっと疲れた気分になった私はダンスを全て断り、ノンアルコールの赤ワインを持ってテラスに出た。
春の風は思ったより冷たい。
そして、どこか重い気持ちを引きずったまま、卒業パーティーは終わった。