ささやかとはいえBはある
時は飛ぶように過ぎ、十年後。
「今日で最後だな」
「ふふ。寂しい?」
「幼馴染と三年会えないってんなら誰でも寂しいだろ」
全く寂しそうには見えない顔でディーがにかっと笑う。
三日後が学院の入学式だ。全寮制の貴族学院は、入学すれば休日でも学院からは出られない。使用人もつけられない。学院生の自立を促すという名目だ。
学院には王族は入学しない。だから乙女ゲームのように身分の低い令嬢と王族が恋に落ちることもない。元々は王族も入学していたそうだが、王太子が男爵令嬢と恋に落ち、国王に無断で婚約者の公爵令嬢と婚約を解消したことが理由で入学しないことになったらしい。まさに乙女ゲーム。
幼い頃に比べると、登城する頻度は格段に落ちた。とはいえ月に二、三回は登城していた。だが、もう卒業まで来られない。
「ならもうちょっと寂しそうにしたらどうなのよ」
「……シュリー。お前に会えなくなるのはすごく寂しい」
ディーは泣きそうな顔をする。それは演技か本当か。
「私も寂しいわ、ディー。でも……卒業しても、ううん、卒業したら余計に会えなくなるわね」
「……そうかもしれねぇな」
社交界デビューをすれば、対外的な私とディーの立場は『幼馴染』から『公爵令嬢と第二王子』に変わる。今のように気軽に登城することもできなくなるし、いくら幼馴染でも仲良くしすぎるのは問題だ。婚約関係にない男女が親しくするのはマナー的に問題がある。
「でもお前は、卒業したらアストレア卿に求婚するんだろ。ずっと待ち望んでたじゃねぇか」
「そうね。でもディーとこれまでのようにいられなくなるのも嫌なのよ」
きっと卒業したら、ディーは私に他の令嬢と同じように接するだろう。私にだけ使う砕けた口調も、私にだけ見せる乱雑な性格も、もう見せてくれない。
他の令嬢の前で私をシュリーと呼べないし、私もディーをディーと呼べなくなる。
「お前がアストレア卿を好きじゃなけりゃな。俺が求婚してたのに」
「私がアストレア様を好きじゃなかったら貴方の求婚を受けてたのに」
「求婚してねぇぞ」
「話の流れじゃない!もうほんとにディーは……」
わざとらしく溜め息を吐いてみせると、ディーは口をへの字にしてテーブルに頬杖をついた。
「俺はお前のこと女として愛してる訳じゃねぇけどさ。知らねぇ女と結婚するよりはお前と結婚したかったよ」
「ほんとは私のこと好きなんでしょう」
「義姉上がシュリーレンじゃなくてお前が他の男のこと好きじゃなければ好きになってたかもな」
ディーが鼻で笑う。ディーは本音を隠すのが上手いが、私のことを好きじゃないのは確信できる。十年一緒にいるのだ、ディーの考えていることを見抜くくらい朝飯前だ。その代わり私の考えていることも筒抜けなのだが。
「大体私と結婚したとしてディーは私を女として見れるわけ?」
「見れるわけあるか。でもそれとこれとは別だろ」
「堂々と言うことないじゃない」
「お前が聞いたんじゃねぇか」
「そうだけど」
私は頬を膨らませる。呆れたように笑いながらディーが私の頬をつついた。こういうことができるのもこれで最後。
「ねぇ本当は好きなんでしょ?」
「好きって言ったら?」
「断るけど」
「安心しろ、お前のことを幼馴染以上に想ったことはねぇ」
別に本気で言っている訳ではない。ただのふざけた言葉遊びだ。
「なら私がディーのこと好きって言ったらどうするのよ」
「悪いな、俺はお前のこと好きじゃねぇ」
「安心して、ディーのことを幼馴染以上に想ったことはないわ」
「分かってるがそれはそれで何か腹立つな」
「ディーの真似よ」
「そうかそれは悪かったな」
「ならちょっとは悪びれなさいよ」
ディーは言葉を返さずに鼻で笑った。私にだけ見せる気安い態度ももうこれで終わり。
「フィー、久しぶりね!やっぱりフェルといたのね」
「王太子妃殿下」
「王太子妃殿下、ご機嫌麗しゅう」
私とディーは周囲に女官の姿を確認して丁寧な態度を作る。姉は鷹揚に笑って手を振った。
「いやね、そういうのいらないわ。普通に接して頂戴」
「ありがとうございます、義姉上。それで、どうなさったのですか」
「もうフィーはここには来られないでしょう?だから最後に会っておこうと思ったのよ」
姉は寂しそうに笑って私を軽く抱き締めた。
「寂しくなるわね。いつでもいらっしゃい、私はフィーが来てくれるのを待っているから」
「お姉様……。また、来ます」
「ええ。貴女は私の妹なのだから。気軽に来ていいのだからね」
「はい」
少し涙の混じった声で言われると、私の瞳も潤んでしまう。
姉はそっと私を放した。
「では私は公務が残っているから、行くわね」
「わざわざありがとうございました」
「可愛い妹と会えなくなるのだから当然のことよ。体に気をつけてね」
「お姉様も。元気な子が生まれますように」
「ありがとう」
姉のお腹には新しい命が宿っている。まだ大きくはなっていないお腹を大切そうに撫でながら姉は去って行った。
その背中を見送って、ディーがぽつりと呟く。
「私も義姉上のような体の女と結婚してぇなぁ」
「それは巨乳の女性のことかしら」
「ああ、お前の貧相な体とは真逆だな」
「否定はしないけれど貴方最低ね」
私は胸を見下ろす。ドレスから零れんばかりの姉の胸とは違い、すとんとまではいかないもののささやかな胸がそこにあった。
「お前みたいな貧相な体も好きだって言ったらいいのか」
「貴方最低ね」
「じゃあ何言えば満足なんだよ」
「体つきは気にしないって言えばいいのよ」
「私は体つきは気にしない」
「今更よ……」
私が冷めた目でディーを見ると、ディーが私の胸を見つめていた。
「どこ見てんのよ変態」
「揉めば大きくなるらしいぞ」
「それデマらしいわよ。好きな人に揉まれたら女性ホルモンが出るから大きくなるだけらしいわ」
「アストレア卿に揉んでもらえ」
「ちょっとその言い方やめなさいよ、アストレア様が変態みたいじゃないの」
「男は皆変態だ」
私が眉間に皺を寄せると、神妙な顔でディーが頷いた。
アストレア様が実際のところ変態かどうかは知らないが、少しくらい夢を見てもいいじゃないかと思う。
「シュリーも気を付けろよ。お前は体は貧相だが顔は可愛いんだからな」
「ありがとう」
「そこは余計なお世話だって言えよ」
「ディーが本気で心配してくれているのは分かるもの」
余裕の微笑みを浮かべた私を見てディーの片頬がひくりと引き攣る。
ディーははぁと溜め息を吐いて話を変えた。
「それより。学院にいい女がいねぇか見繕っておいてくれよ」
「何、私のクラスメイトから妃を見つけるつもりなの?」
「いや。もし見つからなかったときのための保険だ。一回や二回会っただけで人柄なんて分かる訳ないだろ。その点お前のおすすめなら確実だ。もし卒業したときに俺に婚約者なり妃なりがいなければ紹介してくれよ。三年間第一クラスなら爵位は問わない」
「はぁ、分かったわ」
爵位は問わないという言葉に私が疑問を持つことはない。
学院には第一クラスから第三クラスまで存在し、クラス分けは完全に実力だ。貴族としての一般常識は勿論のこと、例えば男女ともに領地経営の知識、あるいは男性は剣技で女性は護身術の実力、その他諸々でクラスが決まる。
そこに爵位は関係なく、男爵令嬢でも実力があれば第一クラスに入れるし、公爵令嬢でも実力がなければ第三クラスに入ることになる。そこに忖度は一切ない。実際母は当時子爵令嬢で母方の祖母は当時男爵令嬢、母方の祖父は当時子爵令息だが、ともに三年間第一クラスだった。
とはいえ、爵位順といっても過言ではない。何故なら入学当初から第一クラスに入れるような教育を受けるのは高位貴族だけだからだ。勿論母や祖父母のように自主的に学んで第一クラスに入る人もいるが。
この世界は、貴族学院時代のクラスが全てだ。特に婚姻がそうであり、政略の場合は勿論別だが、基本的に爵位は関係ない。無能な高位貴族の令嬢令息よりも、優秀な低位貴族の令嬢令息が欲しい。
その考え方は王族も例外ではない。王族が入学しない理由となった男爵令嬢は、勿論第一クラスなどではなく、顔が良くカリスマ性はあるが第三クラスだった。もしもその男爵令嬢の方が婚約者の公爵令嬢よりも有能だったならば、また結末は違っていただろう。
という訳で、第一クラスに内定されている私のクラスメイト、つまり第一クラスの令嬢ならば爵位は問わないというディーの言葉はこの世界では極めて常識的なものであるといえる。
原作小説を読んでいない元の世界の人たちならばきっと疑問に思うことだろうが、これが普通だ。
「でも、学院で恋愛をして結婚する人も多いから。見繕うといっても推薦できる女性がいないかもしれないわよ」
「それはそれで仕方ない。相手がいない女で私に見合う人だけでいい」
「ディーに見合う人というと、かなり懐の広い人じゃないと駄目ね」
「な!私の懐は海よりも広いだろ」
「貴方の懐が広くても貴方に付き合える人じゃないと駄目でしょう?……貴方が素でいられる相手じゃないと貴方が疲れるわ」
ディーはふいっと私から目を逸らす。
「そうかもしれないけどな。仕方ないだろ、王侯貴族は皆そうだ。配偶者に自分の素を曝け出せる者がどれだけいると思う?素を曝せるのなんて幼馴染だけだろ。それに、貴族は学院で素を曝せる相手を見つけられるかもしれないが王族は無理じゃないか」
「……そうかもしれないわね」
否定も肯定もできなくて、曖昧な言葉で濁す。
ディーは暗くなった空気を吹き飛ばすように明るい声を出した。
「まあ、それは仕方ないことだからさ、お前に良い女を見つけてきて欲しいんだよ。とびっきり懐の広い女にしろよ」
「巨乳がお好み?」
「体つきは気にしない」
先程のやり取りを持ち出して茶化す。私とディーは顔を見合わせてふはっと吹き出した。
その日は父が一緒に帰ろうとこちらに来るまでディーと話し込んだ。
人目を気にせず幼馴染として接することができる最後の日だから、父が帰るまでディーといる許可を貰えたのだ。
別れを惜しみながら私は馬車に乗り込む。私の目にもディーの目にも光るものがあったが、お互い口にすることはしなかった。
フェルディナンドがシルフィーネを女性として見ていないのは本当。
実は好きだけど権力が偏るしシルフィーネには好きな人がいるしで隠している……という訳ではありません。