兄も応援してくれた
立ち話もなんだからと屋敷に招き入れられる。客室に案内された。
「部屋割りは性別ごとっていう話だったから四名一室と二名一室、隣同士にしているが、大丈夫か?」
「ああ。ありがとう」
客室はなかなか豪華だった。贅を尽くした公爵家には劣るが、完璧に整えられている。
部屋の確認を終えた侍女たちが部屋を出て行ったのを見計らって私は母に尋ねた。
「ここにとまるのですか?」
「ええ、そうよ」
「やどにとまるのかとおもっていました」
「初めはそのつもりだったのだけれど、ユリウス様がここに泊まればいいと仰ったのよ。嫌?」
「うれしいです」
「あら、どうして?」
どうしてって、そんなの。
「ユリウスさま、じゃなくて、アストレアさまに、あえるから」
駄目だ、顔が熱い。今私の顔はきっと真っ赤になっている。
母はぽかんとし、姉は瞳を輝かせた。
「わたしっ、アストレアさまのおよめさんになりたいです!」
言った。言ってやった。
しぱしぱと目を瞬かせてから、母は困ったように眉を下げた。
「少し年の差がありすぎるわ。それにフィーはまだ三歳なのよ?これから沢山出会いがあるわ。学院で出会って恋をするかもしれないの。他の貴族の男の人に会ったことがないから憧れてしまっただけではないかしら?確かにユリウスはとても格好いいから、憧れてしまうのは仕方ないけれど」
優しく諭されるのが辛い。他の男性に恋をするなんてあり得ないのに。
前世で私はユリウス様のファンになった。今世で私はユリウス様の元に押しかけて妻の座を手に入れようと決意した。そして今日、私は本気で恋をした。
ずっとずっとユリウス様を想っている。
「としのさはきにしないとおとうさまがいいました。わたしがしあわせになるならいいと」
「うぅん、それはそうなのだけれどね?まあ、学院を卒業するのが先ね。卒業してもフィーがまだユリウスを好きでお嫁さんになりたいって言うのなら、婚約を申し込んでも構わないわ」
「でも!そつぎょうまであと13ねんあります!そのあいだにほかのおんなにとられたらどうするのですか!」
ぐ、と母が言葉に詰まる。しかし何とか言葉を紡いだ。
「ユリウスは、生涯独身を公言しているわ。実際クラリス様との縁談も破談にしているのよ。爵位を継ぐ訳でもないユリウスに嫁ぐのはそれほどメリットがある訳ではないし、わざわざ申し込む女性は殆どいない……のではないかしら」
格下の貴族ならば薄くても繋がりが得られると考えるのではないのだろうか。母も分かっているのか歯切れが悪い。
「でもフィー。今ユリウスに貴女との婚約を申し入れても冗談だとしか思えないでしょうし、貴女を女性として見ることもないわ。だって貴女今三歳なのよ?」
「うぅ」
中身が大人でも私は三歳。大の大人が三歳児を恋愛対象にしたらもうそれは通報ものである。ロリコンどころの話ではない。
だから私はユリウス様からの気持ちは求めていない。大人になったそのときに気持ちを向けて貰えればいい。ただ私を印象づけておきたいだけなのだ。
着替えと湯浴みの後、ユリウス様と夕食をとった。
すぐそこにユリウス様がいる。ほんとかっこいい。じっと見つめているとユリウス様が私の視線に気付いた。にこっと微笑んでくれる。
「どうしたのですか、シルフィーネ嬢」
「ぁ、いえ、その、かっこいいなぁとおもって」
ちょっぴり頬を染めて、上目遣いでユリウス様を見遣る。ユリウス様は胸を押さえた。
「かわいい……!父親がランスロットというのは不満だが…天使だ」
「おい俺が不満って何だ。フィーは俺にそっくりなんだぞ、俺が父親じゃなかったらこんなに天使にはならなかったんだぞ」
「大体どうやってこんな男を誑し込む技を身に着けたんだ。大きくなってこれを男にやってみろ、あっという間に襲われるぞ」
「しませんっ」
思わず言い返してしまった。ユリウス様が目を丸くしている。
失敗した。でも後には退けない。
「アストレアさまにしかしません!」
顔から湯気が出そうだ。
「わたしを!アストレアさまのおよめさんにしてください!」
ぎょっとしたように両親がこちらを見る。
母は頭を抱えているし、父は卒倒しそうだ。ごめんなさい。
「シルフィーネ嬢、」
「フィーってよんでください!」
「……フィー嬢、」
「フィーとよんでください」
「…………身内しかいないときだけですよ、フィー」
ああ、何て甘い。
ユリウス様が私の愛称を呼んでくれるなんて。
「でもね、フィー、私は貴女と結婚はできません」
「っどうしてですか」
「例えば私が貴女と婚約したとしましょう。でも結婚できるのはフィーが学院を卒業してからだ。その頃には私は四十です。今はフィーにとって私は格好よく見えているのかもしれません。けれど四十になった私はどうですか?髪が薄くなっているかもしれないし、太っているかもしれない。あまりに釣り合わないのですよ。分かりますね、フィー」
髪が薄くなっていたり太っていたりするユリウス様を、変わらず愛し続けることができるのか。
私が知っているのは、小説で潔く身を引いたイケメン設定のユリウス様と、今私の目の前にいる格好いいユリウス様だけ。そのルックスがなくなったときに私は好きでいられるのか?
でも。
「みためのはなしは、ひとめぼれのひとにはみんなあてはまることでしょう?それと、わたしはねんれいさはきにしません。わかくてどうでもいいひととけっこんするよりも、よんじゅっさいのアストレアさまとけっこんしたいです」
「学院で良い人を見つけるかもしれないでしょう?実際私も学院のクラスメイトに恋をしましたから」
両親の空気が凍ったのに気付いたのは、事情を知っている私だけだと思う。誰ですかと無邪気な三歳児である私が聞いてしまわないかとハラハラしているのも分かる。勿論そんな野暮はしないけれど……。
「ひていはできません。きもちはうごくものですから。でもわたしだって、アストレアさまにこいをしたのです。いまアストレアさまがわたしをおよめさんにするそうぞうができないのはわかります。でもかのうせいはのこしておいてもらえませんか?わたしががくいんをそつぎょうしたときにアストレアさまにけっこんをもうしこんだら、きちんとかんがえてほしいのです」
ユリウス様は困ったような顔をする。私は気にせず言い募った。
「アストレアさまがだれかにこいをしたなら、わたしのことはほうっておいてくれてかまいません。そのかたとごけっこんしてください。けれどそうでないなら、わたしのためにかのうせいをのこしておいてほしいのです。わたしがけっこんしてほしいといったことを、わすれないでほしいのです」
三歳児らしからぬ物言いだとは思う。けれど幼い私の戯言だと流すのではなく――きっと流されるだろうけれど、それでも私が真面目に言っているのだと、私がユリウス様と結婚したいのだと、きちんと認識して欲しかった。
本当はもっと後から、せめて母が元婚約者に気持ちを伝えた七歳とかになってから言おうと思っていた。でも本気で恋をしてしまったのだから、口から滑り出てしまったのだから仕方ない。
アストレアさまも私が幼いなりに本気で言っているのだと分かったようで、真剣な顔を作った。
「分かった。ちゃんと考えるよ」
そして優しい顔でふわりと笑った。
「まあ、私は元々独身を貫くつもりだったから、私の結婚は気にしなくていい。それと、もしも学院で好きな人ができたり、結婚したい人がいたりしたら、私のことは放っておいて構わないからね」
「わかりました」
そしてそれきりその話は終わり、父が意識を飛ばしかけていた以外は和やかに夕食は終わった。
部屋に戻ってから、姉がぎゅっと私を抱き締めた。
「フィー、私は貴女を応援しているわ。お父様とお母様が反対したとしても、私は貴女の味方よ。学院で好きな人ができても、他に結婚したい人ができても、いつでも私はフィーの味方だからね」
「……ありがとうございます、おねえさま。だいすきです」
「!私も愛してるわ、フィー」
それから二日間アストレア領を満喫し、私たちの短い旅行は終わった。