父は私に甘いのだ!
とはいえ、どうやらユリウス様自身が母を避けているらしいし、まだたった一歳である私はパーティーにも出られないので、会うこともできない。
つまりは私が社交界デビューをする16歳まで待たねばならないのである。
……15年。
15年はあまりに長すぎやなかろうか。
と落ち込み、はっと閃いた。
アストレア領は観光地が盛りだくさんだ。そして、貴族が他領に入るときは領主への先触れが必要という暗黙のルール。因みにこのルールはエリーゼが教えてくれた。何故教えてくれたのか、理由は知らない。
しかし、だ。
今私がアストレア領に行きたいと言っても不審に思われるだけだと思う。やっと話し始めた一歳児が突然アストレア領に観光に行きたいと言えばびっくりである。もしかしたらエリーゼの言葉を完全に理解できる天才児と言われるかもしれないが。
どちらにせよ、今ユリウス様の元に行ったところで私を認識してくれるかすら怪しい。彼が気にするのは多分両親だけだ。子供は単なる付属品。
私が片言で可愛く話しかければ応えてはくれると思うが、性別の判別すら難しいこの姿では一瞬で忘れ去られてしまいそうな気がする。
仕方がない。折を見て連れて行ってもらうことにしよう。
だが、そんな都合の良い機会はなかった。
何しろ父の休日は月に一日。私達が住むタウンハウスからアストレア領主館までは馬車で片道二日だ。要するに遊びに行く暇はないのだ。
そして時は過ぎ、私は三歳になった。
その日は姉が父と共に登城していたのだが、帰って来たとき、落ち込んだ様子の父の陰で姉は笑みを堪えきれないというように口元をむずむずさせていた。
「ランス……」
「……ああ」
父が返事をすると、母が落胆の溜め息を吐く。
「おかあさま、おとうさま、どうしたの?」
「私が言うわ」
微笑みを浮かべながら姉が一歩前に出た。
美しいカーテシーを見せて強い目線で周囲を見渡す。
「この度、王太子殿下との婚約が決まりました。これからは王太子妃教育として登城することも多くなると思います。レイとフィーには寂しくさせるかもしれないけれど、ごめんなさいね」
まあそうだよね、小説でもそういう流れだったもんね。知ってる。
「姉さん……」
兄が心配そうに姉を窺う。姉は微笑んで兄の頭を撫でた。
「安心して。私は王太子殿下をお慕いしているし、王太子殿下も私を好きだと仰って下さったわ。私今とても幸せなのよ。確かに王太子妃教育はしんどいかもしれないけれど、大丈夫よ」
「それなら、いいのですが」
兄が目を伏せる。単に寂しいだけだと思う。兄はシスコンだから。
「フィー。遊んであげられなくてごめんね。お休みの日はいっぱい遊びましょうね」
「やくそくしてくれますか?」
「ええ、約束よ」
姉が差し出した小指に自分の小指を絡めて指切りする。
「さみしいです」
「私もよ。でもたまにレイとフィーが王城に来たときには会えるのではないかしら」
「ほんとに!?」
「多分だけれどね」
小説に姉と兄が王城で遊んでいる描写があったが、その通り二人はたまに王城に行っている。王妃陛下が母とユーステス公爵夫人を呼んで三人でお茶会をするのについて行くのだ。
それは私も同じで、王妃陛下の第二王子殿下と私は一歳違いという年齢的にもぴったり揃った幼馴染となった。
姉や兄たちと少し年齢が離れているため、私と殿下はその中には入れなかった。というか、年上組は私達を入れてくれようとしたのだが、気遣わせてしまっているのが気まずく、殿下の方が音を上げた。
たった一人の幼馴染ということもあって親密になるのも早く、今では殿下を愛称呼びである。え、何て呼んでいるかって?ディーだ。本名はフェルディナンド。因みに私はシュリーと呼ばれている。
そのときの会話がこちら。
「シルフィーネじょう。わたしはおまえとたったひとりのおさななじみとしてなかよくなりたいとおもっている。そこでまずあいしょうよびからはじめようとおもうのだ」
「はあ」
「シュリーとよんでもいいか?」
「……それはシュリーレンのシュリーですか?」
「はっ!?ちがう!シルフィーネからのシュリーだ!」
「すこしとくしゅすぎませんか」
「だれもよばないよびかたがしたいのだ!たったひとりのおさななじみだぞ!」
「はあ」
「わたしのこともあいしょうでよんでほしいのだ!ちなみにちちうえとははうえはフェルとよんでいるぞ!」
「……ではディーさまと」
「さまはいらない!けいごもふようだ!」
「じゃあディーってよぶわね」
「ごうかくだ!」
「……それはどうも」
ひらがなだと非常に読みづらくなりそうだな。まあ仕方ない。
ディーとどうこうなるつもりはない。私はユリウス様の妻になるのだ。ディーはどちらかというと悪友で、男女の仲にはなり得ない。三歳で悪友も何もないかもしれないが。
それに例え――万に一もないが――ディーと恋仲になっても、私とディーが結婚することはあり得ない。姉が王太子殿下と結婚するからだ。私とディーが結婚すれば、シュリーレンに力が偏りすぎる。
まあディーの話はどうでもいいからこれくらいにしておこう。
姉と王太子殿下が婚約したため、婚約発表パーティーが開かれる。王家主催のパーティーは一定年齢以下の貴族は全員参加のため、王都にユリウス様が来ることになる。
そこで偶然の遭遇を……と思ったのだが、よくよく考えるとできる訳がない。
貴族は入学が義務である貴族学院の卒業パーティーで社交界デビューしていなければ、パーティーへの参加は禁止されている。参加できる式典は、親族の結婚式と葬式。しかしシュリーレンに未婚の人は子供以外いないし、結婚披露パーティーがあったところできっとユリウス様は参加してくれないだろう。葬式は論外。
まあつまり、結局は私がもっと大きくなるまでユリウス様はお預けなのである。
しかし!足がかりを逃す私ではないのだ。
私は母に訴えたのである。
「おかあさま、こんどのパーティーはきぞくがみんないくのですよね?」
「ええ、そうよ。学院を卒業していないフィーやレイは参加できないけれどね」
「わたし、ほかのきぞくのすんでいるところがどんなところかしりたいです」
驚いたように目を瞬かせる母を見て少々不自然だったかと内心唇を噛む。
が、その次の瞬間には母は嬉しそうに笑っていた。
「ええ、いいわよ。教えてあげるわ。教師をつけましょう」
「きょうしはいらない!」
「まあ、幼い頃のアイリスと同じことを言うのね。流石姉妹だわ。分かったわ、私が教えるのではどう?」
「それがいいです」
にこにこと笑いながら母が頭を撫でる。
「じゃあどこからにしようかしら……」
「かんこうちがあるところがいいです」
「貴女さては遊びに行きたいだけね?」
こつんと額を小突かれる。ある意味その通り。にへらと笑って濁すと、母が呆れた顔をした。
「まあ!それはいつ身に着けたのかしら。まあいいわ。そうね、この国で一番観光地が多いところは、アストレア領。ジェレミー・フォン・アストレア侯爵が治めている土地よ」
「あすとれあ」
「ええ。とはいえ、実質領地を回しているのはその弟のユリウス――ユリウス・フォン・アストレア卿よ」
「ふぅん。いきたいです!」
目をきらきらさせて言ってみるが、母は難しそうな顔で首を横に振る。
「うぅん、そうねぇ。でもお父様が忙しいから時間がないの」
「ディーにたのんだらおやすみをもらえますか?」
「なんてこと!そんなことしちゃだめよ!王族を利用するなんて以ての外よ」
思ったより怒られた。
「ごめんなさい……」
「分かったらいいのよ。そうねぇ、一応お父様に相談してみるけれど期待はしないでね」
「ありがとうございます!」
そしてその翌日、父が一週間の休暇を勝ち取ってきた。
つまり、アストレア領行きが決定したのである。
王太子殿下の本名はウィルフレッド。
シルフィーネとディーがどうこうなることはありませんのでご安心を!