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「じゃあモモちゃんはもういいか。二人運ぶの大変だし、こんな発育不全には興味ないし」
美大生風が合図をすると、モモちゃんにナイフを突きつけていた男がうなずき、彼女の腕をつかんで乱暴に引き倒した。お前は用無しだってよ、よかったな、とケタケタ笑いながら。
モモちゃんはぽろぽろと涙をこぼしながら震えて、その場から動けそうになかった。
「さて、ぼうや」
あらためて僕に笑みを浮かべる美大生風は、流々と言葉を並べていく。
「邪魔するなら力づくで黙らせるよ。あんまり目立ちたくないんだけどね。本当に警察呼ばれたら困るし。僕たちは穏当に“気持ちの良いこと”を楽しみたいだけだから」
「相変わらずおめーは上品だな。この女とヤリてぇって言えよ」
「そういう言葉遣いは嫌いだな」
小太りに首をふり、美大生風が僕に向かってくる。
僕は身構えた。細面の優男だ。いくら年上でも簡単にやられたりは――。
「ぐはっ!」
鳩尾に強烈な一発を食らって僕は倒れた。
ヤバい……。
激しく咳きこみながら、僕は自分がほとんど無防備に殴られた事実に驚愕していた。
たしかに優男にしては喧嘩慣れしてるけど、そんなことよりも――。
体が動かなかった。振りかざされた拳を見た瞬間、恐怖に身がすくんでしまって――。
――お母さん……。
僕の全身は覚えていたんだ、あのせまい六畳で痛めつけられたことを。
暴力を前にして、僕はまるで幼い子どものように立ち尽くすしかなくなってしまった。
倒れ伏した僕の耳に、涼乃の悲鳴が飛び込んでくる。
「優磨っ!!」
ハハっと美大生風がやけに爽やかに笑う。
「見た目に騙される奴が多いんだけどね、これでも俺は格闘技が得意なんだ」
這いつくばって見上げた男はにっこり笑っていた。
くそぉ、僕がやられたのはお前が強いからじゃない。涼乃を守るために僕だって精一杯鍛えてきたんだ。
いざって時にこんなにも無力だなんて。
「さぁ、ぼうやに彼女を助けられるかな?」
男の背後を涼乃が横切るのが見えた。ナイフをつきつけられ、恐怖におびえて、僕に視線ですがりながら。
タオルの隙間からのぞく銀色の刃に、怖気だった。それは、まるで死神の鎌のようで――。
ダメだ……こんなの絶対にダメだ!!
このままじゃ涼乃が連れていかれる。
彼女の体も心も、そして命も、取り返しのつかないことになる。
――このまま行かせてたまるか!
「ふ……ふざけんな、二人から手を離せ!」
立ち上がる。ナイフを持った男たちに飛びかかろうとして――、
「うざいなぁ」
頭に美大生風の蹴りをくらった。
いってぇ――やばい……っ……。
脳が揺れる。気持ちが悪い。
また倒れてしまいそうで、なんとか気合で踏みとどまったけど、今度は顔面を殴られた。
鼻血が……それより、頭が……くらくらして……。
膝が地面についた。ぽたぽたと血だまりができていく。
意識がぶっ飛びそうだった。それを手放さずにすんだのは、涼乃のおかげだった。
「優磨ぁっ!! 誰か、誰か助けてっ!!」
涼乃はついに叫んだ。けれど駒沢通りの交通量がそんな彼女の声を簡単にかき消してしまう。