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ピストルの音とともに全員リレーが始まると、僕の視線は涼乃だけを追いかけた。
風に乗って涼乃は走る。すらりと長い足がその力を存分に発揮して、他のクラスのライバルたちを引き離す。
あんなに元気がなかったのに。
きっと体育祭なんて大嫌いだろうに。
クラスの勝ち負けなんてどうでもいいだろうに。
それでも涼乃は手を抜かない。
彼女は潔くてかっこいい。
「涼乃、頑張れ!」
どうしたって応援したくなる。
この気持ちは僕の胸の奥から絶えることなく湧き上がってくる。
――僕はやっぱり君が好きだな。
もしも僕が普通に生きて、死神と出会うことがなかったとしたって、きっと涼乃のことを好きになったと思うんだ。
あの死神は、僕の運命を“呪い”だなんて言ったけど――この気持ちは、決して“呪い”の産物なんかじゃない。
不意に僕の前に並んだ本山が振り返った。腹に軽いパンチが飛んでくる。
「おい、いいんちょー。敵を応援するんじゃねーよ」
「いいじゃん別に」
「ダメだ。クラスよりカノジョを優先させるような野郎を俺は許さねぇぞ」
「はぁっ!?」
僕はギョッとする。
「カノジョってなんだよ。涼乃は友だちだけど」
「え? 優磨って夏原さんと付き合ってんじゃないの?」
「あんな素敵な女の子が僕なんかと付き合うわけないだろ」
なんて説得力があるんだ。自分で言ってて虚しくなる。
でも本山は納得しなかった。いやいやいや、と高速で首を振る。
「確かに全くちっとも全然つりあわないとは思うけど、お前ら毎日公園で一緒に朝ごはん食べてるんだろ? しかも“涼乃”って名前呼びだし。それで付き合ってない方がおかしいでしょ」
僕はふきだしそうになった。
「なんで公園のこと知ってんだよ? 本山、お前やっぱり僕のストーカーだろ?」
「んなわけないだろ。とっくに噂になってるよ。誰でも知ってる」
信じられない。学校の噂って怖い。
「で、まさか本当に付き合ってないのかよ?」
「しつこいなぁ、付き合ってないってば」
「じゃあこれから告るのか。頑張れ、健闘を祈る」
なにを勝手なことを。
“告る”なんて、そんなことするわけないだろう。
「夏原さんの誕生日、もうすぐだしな。ちょうどいいから誕生日に告っちゃえよ」
僕は再びギョッとした。
「なんで涼乃の誕生日なんて知ってんの?」
だって一応長い付き合いだし、と本山は肩をすくめる。そういえばこいつ、涼乃とは保育園からの付き合いなんだっけ。
「“夏原”なのに夏生まれじゃないんだなぁ、って思って印象的だったんだよな」
「当たり前だろ、夏原は名字だぞ。この世の夏原さんがみんな夏に生まれるわけがないだろうが」
「よし、優磨、俺が決めてやる。お前は夏原さんの誕生日に告白するのだ。応援するぞ」
「はぁ? 勝手なこと言うなよ! ていうか、お前もうすぐ走る番だぞ!」
やっべ、と叫んで本山はウォーミングアップを始めた。切り替えがはやい奴だ。
はぁ、と僕はため息をつく。
告る、だなんて。そんなことできるわけがない。
万が一涼乃が僕の気持ちに応えてくれたとして、それでどうする?
――かたんかたん。
鼓膜が異音を感知する。耳鳴りのように脳を直接支配するこの音――。
――かたんかたん。
背すじを冷たいものが下っていく。底無しの沼から放たれるようなあの視線を感じ取って。
いる。
間違いない、死神がいる。僕を監視してる。
――あなたのその命は、運命の女の子を救うためのもの。
分かってる。ちゃんと分かってるよ。そのために生き延びたんだから。僕はどうせ、すぐに死ぬ。彼女を守って。
だから。
涼乃の恋人になるなんて。
そんな恐ろしいこと、許されるわけないんだ。