26
しんと静まり返った山丘家のダイニングで、僕は縮こまって椅子に座っていた。
目の前に黙って構えるおばさんの表情はいつになく険しい。
あぁ、僕、本当にまずいことをしてしまった。
なるべく山丘のおじさんおばさんに迷惑をかけないよう、大人しく生活していたのに。
自分の行動を冷静に振り返ると、冷や汗がにじむ。
要するに、僕は山丘家の誰にも何も言わず、夜の寒空の下に突然飛び出したんだ。たしかに「家出」だ。これはまずい。しかも鞄も財布も何一つ持たずに。
あの時は涼乃のことで頭がいっぱいで、常識的な判断が何一つできてなかった。せめて一言メモでも残して家を出ればよかったんだ。
ガチャリ、と玄関のドアが開く音がして、山丘のおじさんがダイニングに現れた。
外を探し回ってくれたんだろうか、マフラーに半分埋まった顔が霜焼けたように赤かった。
「あの……」
謝らなきゃと思って僕は立ち上がった。
「すいません、僕、すごく焦ってて、何も言わずに家を出ちゃって」
お父さんは眉をひそめたまま黙っていた。
怒っているのか、呆れているのか。表情が複雑で読み取れない。
「あの……今日は迷惑をかけてしまってごめんなさい……もうこんなことは……」
二度としない、と約束する前に、僕の言葉は怒声に遮られた。
「お前は何を言ってるんだ!」
怒鳴ったのはおじさんだった。
山丘家に来て五年、こんなに激しく怒られたのは初めてだった。
でも、怒られるのも当然だ。こんなに迷惑をかけたんだから。警察沙汰になっちゃって、きっと近所の人の噂にもなってしまう。
ただでさえ山丘家にとって、僕は迷惑な厄介者なのに。
――僕、もうここにはいられないかもしれない。
そんな考えが思い浮かぶと、情けないことに少し泣けてきた。
「優磨、よく聞きなさい」
おじさんはコートのまま椅子に座って、僕にも座るよう促した。向かい合うおじさんの瞳には、強い憤りが燃えている。
「優磨、今日お前がしでかしたことは、私たちに迷惑をかけたことじゃない――心配をかけたことだ」
「……えっ?」
思いがけない言葉に、僕は目を見開いた。
おじさんの隣でおばさんは大きくうなずいていた。
「心配……ですか?」
そうよ、とおばさんが身を乗り出した。
「こんな寒い日に何も言わずに外に飛び出して、何時間も帰ってこない。事件に巻き込まれたのかしら、外で凍えてないかしらって、気が気じゃなかったよ!」
「えっ……」
僕は驚いて、なんと答えるべきなのか分からなくなってしまった。それで、思ったままの言葉が口をつく。
「僕なんかのことを、心配してくれたんですか?」
「当たり前でしょう!」
おばさんの言葉に、今度はおじさんが大きく頷いた。その表情には、怒りとは違う、もどかしさみたいなものが浮かんでいる。
「優磨、私たちは本当に君を心配したんだ。……もう少し自分のことを大事にしてくれないか? こんなことが何度もあったら、私たちの心臓がもたないぞ」
あれ……?
胸を衝かれたような衝撃だった。
――僕、今のおじさんと同じようなことを、夏原さんに……涼乃に伝えたばかりじゃないか。
『夏原さんはもう少し自分のことを大事にしなきゃ。僕、こんなことが何度もあったら身がもたないよ』
涼乃のことが心配で、いてもたってもいられなくて。
それで僕は家を飛び出した。
夜空の下で眠り込んで青ざめた涼乃に、『なにやってんだ!?』って怒鳴りつけた。
心配だったから。
涼乃に何かあったらどうしようって。
――それと同じように、山丘のおじさんおばさんも……。
「僕を心配してくれたんですか?」
突然ぽろぽろと涙がこぼれてきた。
――知らなかった。
目の前で、山丘のおじさんが困ったように笑っている。
おばさんはハンカチを差し出してくれた。
その笑顔が、仕草が、これまでとは全く違ったものに見えた。
紅茶のカップみたいに、芯から凍えた命を、まるごと温めてくれるような……。
涙が、止まらない。
――……僕、この人たちに、こんなに大切にされてたのか。