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死神が僕にくれた幸福な運命  作者: 風乃あむり
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「今日、鍵をなくしたのは本当よ。それであそこで待ってたんだけど、すぐに寝ちゃったの。昨日の夜、遅くまで勉強しちゃったから、疲れてて」


 しばらくして目が覚めたらあたりはもう真っ暗で、と淡々と夏原さんは続ける。


「寒いし、はやく家に帰りたいなぁと思って、ニ階にある自分の家を見上げたんだ。そしたらね……家の灯りがついてたの」


「え……?」


 心臓が冷たい手につかまれた気がした。


「ねぇ山丘くん、こんなことってあるのかなぁ。自分の子どもが冬の晩に玄関の外で寝てて、それを無視して家に帰っちゃうなんて……」


 僕には何も言えなかった。

 夏原さんはそっと瞼を伏せて、続く言葉を冷えた地面に落としていく。


「なんかもう、どうでもよくなっちゃったんだ。インターホンを押したり、携帯で電話したり、どうにかすれば家に入れたと思うんだけど……もう、どうでもいいや、って」


 重たい沈黙が僕たちの夜を支配する。それをぐっと跳ね除けるように、夏原さんが微かに笑った。


「それでまた寝ちゃったんだ……そしたら、山丘君が現れたのよ。びっくりしたなー、君って本当に唐突に現れるから。最初に話した時もそうだったよね」


「うん。あの時も黒猫が君のところに導いてくれたから」


「……あの時はひどいことたくさん言ってごめんね。私、入学してすぐの頃、山丘君の存在が目障りだったから」


「なんで? 僕、君に何かしたのかな?」


 さっきから考えてるけど、本当に思い当たるふしがない。


「私、剣道以外は全然ダメなんだよね。人並みに学校になじめなくて、友だちだって作れない」


 目に浮かんだのは、頬杖をついた夏原さんの姿だった。

 教室の窓際。ひとりぼっち。同級生の姿を視界からしめだして、じっと空を見上げてる。


「あのね、ネグレクトを受けた子どもは、人とのコミュニケーションが下手な子が多いんだって。だから、私が“ぼっち”なのはしようがないんだって自分に言い聞かせてたの」


 ああ、そうか。夏原さんの心の声が聞こえてくる気がした――友だちができないのは私のせいじゃない、私自身が欠陥品だからじゃない。大丈夫。だいじょうぶ――。


「そんな中で、君のことを知ったの。“親のいない、かわいそうな男の子”。私ね、その噂を聞いて、きっと自分みたいな男の子なんだって思ったんだ。孤独で、寂しくて、空っぽで冷たい一人ぼっちの男の子。それなのに君は全然違った。ニコニコ笑って、まだ入学して間もないのに友だちもちゃんといて、私みたいにクラスで浮いてなくて」


 彼女はまぶたをふせる。薄いまつ毛が繊細に揺れていた。


「私、すごく傷ついたのよ。親がいなくても――私より苦しい身の上でも――ちゃんとしてる人はいる。私が孤独でなじめないのは、親のせいなんかじゃなくて、自分がダメな人間だからだって。君に逃げ道を塞がれた気分だった」


 そこで彼女は力を抜いて、困ったように笑う。


「それなのに、君の方から突然話しかけてくるから」


 くすくすとささやくような笑い声。


「それで、あの時あんなに怖い顔をしてたんだね」


 初めて君と話した、晩春のあの日を思い出す。勇気をふりしぼって一歩を踏み出した、木漏れ日の朝。


「まさか“運命”なんて中二病みたいなこと言い出すと思わなかったけど」


「だって、僕にとってはそれが真実だから」


 変な人、と彼女はまた笑った。僕の運命なんて信じてないのかもしれないけど、大事なものをそっと包みこむような優しい声音で。


「正直に言うと、バカみたいだって無視したい気持ちよりも、嬉しさの方がまさったんだよね。運命なんて笑っちゃうけど……誰かに無条件で好意をもってもらえるなんて、初めてだったから」


 ねぇ、山丘くん、と彼女は僕をよぶ。淡々と前を見て歩きながら、目を合わせずに。


「今日は本当にありがとう……私のこと叱って、立ち上がらせてくれてありがとう。君がくれた紅茶、本当にあったかかった……」


「夏原さん……」


 僕は泣きたくなった。

 自分の母親の影が脳裏に浮かぶ。顔、腹、足、腕――僕はあらゆるところを殴られ、蹴られた。


 でも、それはもう過ぎ去ったことだ。

 夏原さんは、今も親に殴られ続けている――心を、やわらかくて傷つきやすいところを。


 体中に熱いものがみなぎるのを感じた。


 死神の予言なんて関係ない。僕はこの女の子を守らなきゃいけない。


 夏原さんのマンションの前にたどりついて、エントランスでインターホンを押すと、返答がないまま扉だけが開いた。


 苦笑して、彼女は扉の中に入る。


 そして振り返った。


「山丘君、今日は本当にありがとう。気をつけて帰ってね」


「うん、僕は大丈夫だよ。ありがとう」


 あとさ、と彼女は少し言いにくそうに口籠もった後、最後にこう言った。


「ねぇお願い、山丘くん。私のこと、涼乃ってよんでくれない? あなたが私の名前をよんでくれたら、私、自分がちゃんとここにいるんだって、安心できる気がするの」


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