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まったく、と夏原さんは苦笑いだった。
「ファミレスに行こうって言ったのは山丘君なのに、どうして財布を持ってないのよ」
「ごめん」
お会計を済ませてお店の外に出ると、乾いた風がぴりぴりと頬に刺さった。水路に沿って夏原さんと並んで歩いている。都会の空は星が少ない。それでも夜空は澄んで見えた。
思い出してみれば、家を飛び出した時かろうじてコートを掴んたけど、それ以外は何も持っていなかった。もちろん財布も。
ファミレスの代金は夏原さんが支払うことになってしまった。
格好悪いなぁ、僕。ダサいスウェットだし。
でも待てよ。
「夏原さん、お財布があるならあんなところで寝てないで、お店で待ってればよかったじゃん!」
せめてコンビニで温かいものを買うとか、どうにでもできただろうに。
「あぁ……うん」
続きをにごして、夏原さんはぐっと顎をあげた。何かをこらえるように口を引き結び、少しの間を置いて、息を吐いた。
「ごめんね、山丘くん。実はうちの親……もう家に帰ってるの」
「……はっ?」
口を空けてしまう。じゃあなんであんなところで……。
「ねぇ、山丘くん。“ネグレクト”って知ってる?」
会話の中に場違いに浮かび上がる横文字に、僕はまた愕然として、
「知ってるよ。僕、子どもの虐待については人より詳しいんだ」
とうなずいていた。
ネグレクトは児童虐待だ。育児放棄、と訳されることもある。
親が自分の子どもの面倒を見ない、放置する、無視する。そんなカタチの虐待。
僕にとって、児童虐待を理解することは、自分の母に近づくことだ。
なんでお母さんは死んだんだろう。どうして僕を殺そうとしたんだろう。
だから、図書館でたくさん本を読んで、ネットもあさった。
「私ね、その言葉をテレビで知った時、胸にしっくりと何かがおさまった気がしたのよ」
彼女がそっと吐いた息が、白くて、痛々しい。
「あぁ、私のことだ、って。私、虐待されてる子なんだ、って」
その冷えた声に、僕の指先はじんと軋んだ。
「テレビで見た例ほど、私の場合はひどくないけど。少なくとも食事とか着るものに困ったことはないから……あのね、私の両親はたくさんお金をくれるのよ」
彼女はスクールバッグの中の財布をちらりと見せてくれる。その中に何枚もお札が入っているのを、僕はさっき目撃していた。
「いつも乗ってるマウンテンバイクだってね、けっこういい値段するのに、ほしいって言ったらすぐ買ってくれた」
でも、それだけなの、と細い声がもれていく。
「お金だけたっぷり渡されて、朝も夜も一人でご飯を食べるの。コンビニとか、スーパーの惣菜コーナーで買ったやつ。母も父も私より仕事が好きなんだ。私がなにをしてても気にならないし……私のことなんて見えない」
彼女は自分の手をじっと見ていた。そこに自分が存在していることを確かめるように。