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彼女の腹の中で育った男の子が生まれ、私の囚われた檻の中にたどりつくまで、七年の歳月が経った。
彼がその死に至るまでの、針を敷き詰めた道を踏みしめて歩くような日々をも、私は眺めることしかできなかった。
私の愛する女性が幼い我が子をいたぶり、なじり、我に返っては抱き締める。彼は常に飢えていた。腹をすかせていたし、心を空っぽにしていた。
だから、小さな彼が水に引き込まれて魂を奪われそうになった時、私はその光を必死で己のもとに手繰り寄せたのだ。
できれば彼女も救いたかった。けれど凝った闇で重くなった彼女の魂は水底へと落ちていくばかりで、とても私の力では引き上げることができなかった。
――私はまた、彼女を見捨ててしまったのだ。
「おや、これはずいぶんかわいいお客様だ」
初めて彼に声をかけた時、自分の声が震えていたことを知っている。突然奇妙な場所に連れてこられきょとんと目を見張っていた彼は、そんなことには気づきもしなかっただろうが。
彼は傷だらけだった。殴られた跡、蹴られてできた痣、投げつけられたもので切った唇。魂までもが傷つけられていたのだ。
謝りたかった。抱きしめたかった。傷ついた魂を手当てしてやりたかった。
でも、時間がない。
魂を失った肉体は永くは保たない。はやくこの子を地上に返してあげなければならない。
「あなたはまだ地上に戻ることができる――そんな若さで死にたくないでしょう?」
問うた私に向けられた瞳の純真と、続く言葉が、私を打ちのめした。
「ううん。死んだっていいよ」
絶望は深い。あまりにも。
幼さゆえか、生物としての防衛本能ゆえか、彼は自分の絶望に思い至っていない――けれど、彼は徹底的に傷つけられているのだ。
「だって、いいことないもん」
ああ、そうだ、彼の今までの日々には“いいこと”なんてなかった。
全部私が悪いのに――私の受けるべき罰を、こんな小さな子どもに背負わせて――。
なんとか生きてほしい。そして、幸せになってほしい。子どもらしく笑って、癇癪を起こして、遊びまわって、夜は良い夢を見てほしい。
私のエゴだ。でも、そう願わずにはいられないから――。
「じゃあこうしましょう。私はあなたにとっておきの呪いをかけます」
そんなことを口走っていた。
「あなたは、“運命の女の子”に出会います。あなたの特別で、大好きになって、好きでいることで幸せになれるような、素敵な女の子に」
私が知り得た未来の一つ。ここで彼が生き延びれば、たどることができるはずの道の先。
「ただね、その幸せはそんなに長く続きませんから、一緒の時間を大切にしてくださいよ」
――たとえその道のいく先がすぐ途絶えるのだとしても――それでも、君が大きくなるのを見守りたい。
「……どうして長く続かないの?」
「その女の子が短命だからです。残念ながら、すぐに死んでしまう」
彼は思わぬことを口にした。
「そんなのかわいそうだよ。ねぇ、その子のこと助けてあげられないの?」
胸を衝かれた。
「あなた……自分の命は簡単に捨てるのに、見も知らぬ女の子に同情するんですね」
優しい子なのだ。こんなに傷つけられてボロボロなのに、他の子のことを気にかけてあげられるほどに。
胸が熱い。あふれそうな涙を、意志の力でなんとかおしとどめる。
「いいでしょう、あなたみたいな男の子なら、もう少し助けてあげてもいい」
こうして私は、言わずもがなの未来を口にしてしまった。
「あなたの命で、その子の命をあがないなさい」
打算だった。
自分のためには生きられない彼でも、他人のためなら生きてくれるのではないかと。彼の育つ姿がみたいという、それだけのエゴで。
そのおかげで彼は素直に地上に戻ってくれた。
最後に彼が尋ねた言葉が忘れられない。
「ねぇ、あなたは何者なの? なんで僕の未来を知ってるの? ……もしかして死神?」
笑ってしまった。
彼はよく分かっている。
そうだ、私は死神だ。愛する者を見捨て、水底に沈め、幼い彼をこんなにも傷だらけにした死神――。




