第5話 独裁者はゴブリン軍と遭遇する
出発から三日後。
前方に森が見えてきたところで、馬車の外から伝令兵が話しかけてきた。
「総統、ご報告があるのですが……」
「何だね」
「この先にゴブリンの縄張りがあります。想定より活動域が広がっており、迂回せざるを得ない状況です」
伝令兵は苦い顔で説明する。
ほぼ同時に馬車が止まる。
どうやら予定の進路が、小鬼の魔物であるゴブリンに塞がれているらしい。
そこで責任者の私に判断を仰ぎに来たようだ。
実に理想的な行動である。
速度を重視する局面ではないので、こうして逐一の報告があると軍全体の動きが安定する。
勝手な判断で暴走しない兵士はそれだけで価値がある。
とにかく、進路に関する命令を返さねばならない。
そのためにも詳しい情報が欲しい。
頬杖をつく私は伝令兵に尋ねる。
「ゴブリンはどれほどの規模だ」
「少なく見積もって五百……繁殖が盛んだった場合は倍になるかもしれません」
「なかなかの戦力だな。ゴブリンとはそれほど強大な勢力なのか」
「通常は多くても百匹未満の集団です。異常繁殖で生態系の上に立つと、組織立った行動を始めます。今回はその中でも特に成長した例です」
伝令兵は緊張した面持ちで述べる。
彼の責任ではないというのに、まるで叱責を受けることを覚悟しているかのようだった。
無論、ここで責め立てたりなどはしない。
私は記憶の中から異世界の知識を掘り出す。
ゴブリンとは最下級に属する魔物だ。
基本的に力が弱く頭が悪い。
ただし狡猾な一面を持ち、罠や奇襲といったゲリラ戦法を使うことがある。
個体によっては魔術も扱うそうだ。
そして最大の特徴として、繁殖のサイクルが非常に早い。
村から攫った女で急速に数を増やすのである。
これこそがゴブリンの強みだった。
単体ではそこまでの脅威ではないが、数を揃えることで格上の敵にも対抗できる。
普段は定期的な駆除でゴブリンの急増を防いでいるらしい。
ところがこの先の地域は人手不足で放置されており、その間に繁殖が進んだのだろう。
結果としてゴブリン達の戦力が向上し、安定して縄張りを維持できている。
(ゴブリンの軍勢か)
私は伝令兵を待たせて思案する。
普通ならば迂回が正解だろう。
大量のゴブリンと戦うとなると、必然的に銃の弾を消費する。
それは戦力低下と同義だ。
盗賊国に辿り着く前に半端な真似はしたくない。
召喚で調達した銃火器は有限である。
無駄撃ちするほどの余裕はない。
だから伝令兵が迂回を前提に話すのも当然だった。
「ゴブリンの斥候に見つかると厄介です。迂回路について総統にご相談したいのですが……」
「このまま進め。迂回はしない」
私は遮るように断言する。
伝令兵は困惑気味に意見を口にした。
「や、奴らは軟弱ですが侮れない数です。武器の消耗を考慮すると、接敵すべきではないかと」
「問題ない。私が対処しよう」
そう言って私は馬車を降りた。
戸惑う伝令兵を置いて軍の先頭に向けて歩き出す。
即座にシェイラが後を追ってきた。
彼女は仄かに喜色を滲ませながら尋ねてくる。
「殲滅するのですか」
「いや、違う。せっかくの大戦力だ。有効活用すべきだろう」
数分もせず軍の先頭に到着した。
こちらの姿を認めた指揮官らしき兵が、背筋を伸ばして警告する。
「総統! この先は危険です。ゴブリンどもが待ち伏せしている恐れが――」
「知っている。だから解決しに来た。私達が戻るまで軍は待機だ」
「は、はいッ!」
指揮官は王国式の敬礼をする。
それに合わせて、他の兵士も私達の進む道を開けた。
従順で模範的な反応だ。
短期間ながらも訓練をした甲斐がある。
私とシェイラは前方に大きく広がる森を目指して歩く。
手には拳銃を握り、ナイフもいつでも掴めるように意識を向ける。
不覚を取られることはないだろうが念のためだ。
森に入ってからはさらに警戒心を強める。
進路上には点々と罠が設置されていた。
いずれもお粗末なブービートラップだが、気を抜いた者が相手なら十分に役立つに違いない。
中には即死しかねない罠もある。
もっとも、数々の戦場を経験した私達には通用しない。
鍛え上げた観察眼と危機察知能力で回避していく。
何も難しい話ではなかった。
丸腰で地雷原を駆け抜けた時もあるのだ。
この程度で苦戦するわけがない。
道中に潜むゴブリンの斥候は、ナイフや小石の投擲で始末した。
見つかる前に攻撃を仕掛ければ、大して苦労せずに殺すことができる。
銃は発砲時に音が鳴るので使用を控えた。
シェイラと二人がかりで抹殺しながら進む。
森に入って一時間が経過した頃、私達はゴブリンの軍勢を発見した。
彼らは開けた土地で戦闘準備をしている。
既に王国軍の接近自体は知っているようだ。
棍棒や剣を担ぐゴブリン達は、意気揚々と喋り合っている。
そのような様子を茂みから監視する。
ざっと数えても千匹は下るまい。
巣穴に潜んでいるであろう分を加えると、総戦力は相当な数になるだろう。
私は状況を冷静に評する。
「まともにやり合えば弾切れは必至だな」
「そうですね。武装は原始的ですが十分な脅威です」
「君は戦ってみたいのではないかね」
「興味はありますが、さすがに無謀すぎます。元の世界の一個小隊がいれば話は別ですが」
シェイラは澄まし顔で述べる。
彼女の双眸は、狂気じみた戦闘意欲を滾らせていた。
きっと私が命令すれば、シェイラは今すぐにでも飛び出して攻撃を仕掛けるはずだ。
それほどまでに飢えている。
とは言え、今回は穏便な形で解決するつもりだった。
残念ながらシェイラの出番はない。
私は拳銃を携えて茂みから進み出る。
「万が一の時は迎撃を頼む」
「かしこまりました。閣下のお手は煩わせません」
頼りになる返答を聞きつつ、私は空に向けて拳銃を撃った。
数度の発砲音が鼓膜を叩く。
ゴブリン達は突然の銃声に驚いていた。
彼らはすぐさま私を発見して睨み付けてくる。
「そうだ、こちらを見ろ」
私は不敵に笑いながら銃を連射する。
引き金を引くたびに怒気と殺意が全身に刺さった。
銃声が良い刺激になっているようだ。
そうしてゴブリン達の注目が最高潮に達した瞬間、私は両目に宿る能力を発動した。
「――支配される喜びを知れ」
こちらに殺到しつつあったゴブリン達が急停止する。
彼らは武器を捨てて一斉にひれ伏した。
そこから微塵も動かない。
直前までの喧騒は消失して、不気味な静寂に満ちている。
その光景に私は拍手をした。
これで追加戦力が確保できた。
殺すのではなく支配するのが目的だったのである。
マインドコントロールは魔物が相手でも抜かりなく機能した。
平伏するゴブリン達の前で私は朗々と語る。
「おめでとう、君達は私の所有物となった。今後は王国のために献身的な働きをするように」
翻訳魔術の効果により、私の言葉はゴブリン達に伝わったはずだ。
彼らは畏怖に駆られながらも忠誠心を訴えている。
とても素直な反応であった。
満足した私は命令を口にする。
「立て」
その一言でゴブリン達は直立不動になった。
私に従うのが必然であるかのように振る舞っている。
茂みを出たシェイラが銃を下ろして感嘆した。
「これが勇者の能力……マインドコントロールですか。凄まじい効力ですね」
「そうだろう。城の魔術師に聞いたが、召喚された人間の才能を発展させたものらしい。私の場合はそれが洗脳術だったようだ」
「絶対的な支配とは、まさしく閣下のための能力ですね。心より敬服致します。ゴブリン達も幸福でしょう」
シェイラは目を輝かせて言う。
彼女の狂信ぶりは、マインドコントロールを使うまでもなかった。
最も信頼の置ける部下の一人である。
用件を済ませた私は、来た道を戻り始めた。
整列したゴブリンの軍勢が足音を揃えて後をついてくる。
「戻るぞ。迂回の必要はなくなった。加えて強大な戦力が手に入ったことも伝えねばならない」
「兵站はどうしますか」
「考えなくていい。支配したゴブリンは使い捨てだ。巣穴を放置しておけば、また数を増やすだろう。足りなくなればいつでも補充できる」
今回のゴブリン達は臨時参加だ。
たとえ全滅しても惜しくない戦力である。
本命の兵士達が勝利するための肉壁にしようと思っている。
ただ突撃させるだけなら知能も何も関係ない。
数に任せた混乱を引き起こせるはずだ。
マインドコントロールで制御すれば、恐怖心すら感じさせずに行動を強いることができる。
ゴブリンの進路妨害は予定外だったものの、結果としては良い収穫と言えよう。
「略奪は何も人間の専売特許ではない。早く盗賊国に証明しようではないか」
「さすがは閣下……素敵です」
シェイラはうっとりとした顔で呟く。
私は背後の軍勢を一瞥して、静かに笑みを深めた。