第1話 独裁者は異世界で戦争を再開する
機銃がゴブリンを肉片に変えた。
高密度の絨毯爆撃は、屈強なオーク達を木っ端微塵にする。
屍と鉄片が突き刺さる大地を、主力戦車の列が均していった。
ライフルを持つ歩兵が進む。
けたたましい銃声を鳴らして、槍を持つ槍を持つリザードマンを射殺した。
暗視ゴーグルを装着する兵士達は、闇夜の視界不良をものともしない。
隠れ潜む魔物はあっけなく暴かれて葬り去られる。
魔術で築かれた土の砦は、頭上を飛ぶ爆撃機が一方的に粉砕した。
轟音と共に砦が崩れていく。
そこに地上部隊が突撃し、穿たれた穴をさらにこじ開けた。
断末魔は敵部隊――すなわち魔王軍のものだろう。
些細な反撃は圧倒的な物量で攻め潰す。
多種多様な魔術も、所詮は武器の一つに過ぎない。
扱い方を知っていれば対処も容易であった。
仮に犠牲が出たところで、損害などいくらでも補填できる。
「進軍だ。戦争だ。奪え。殺せ。薙ぎ払え」
血と硝煙の香りが漂う。
後ろ手を組んだ私は、戦争の狂気を味わいながら歩む。
胸中に広がるのは果てしない喜びだ。
私は今、満たされている。
しかしその感覚も一時的なものである。
魔王軍を壊滅させれば、いずれまた渇き始める。
どうしようもない飢えと衝動に苛まれる。
だから私は戦争を求めるのだ。
この程度では飽き足らない。
満足できるわけがない。
進め。進め。進め。
ひたすら進んで戦果を築き上げるのだ。
私は右手を指揮者のように振る。
後方から飛び出した戦闘機の部隊が、敗走する魔王軍を強襲する。
機関砲の掃射が魔物と地面を無差別に耕していく。
右手を反対方向へと揺らした。
対空ミサイルの連打がドラゴンを撃墜する。
そこに戦車砲が容赦なく浴びせられた。
ものの数秒でドラゴンは絶命する。
私の些細な動作で軍が動き、数多の魔物が殺される。
無尽蔵の兵力は死を恐れず突き進む。
恐怖と洗脳と忠誠心だ。
それぞれの動機を抱く兵士達は、微塵の躊躇いも見せずに戦う。
「素晴らしい。これが私の戦争王国だ」
戦場の只中で私は笑う。
一度は失った祖国の軍を異世界にて指揮する。
これほど喜ばしいことはあるまい。
私の召喚に携わった者達には、心底から感謝せねばならないだろう。
おかげで人生の絶頂期を迎えることができた。
彼らの望み通り、国は有史以来の大戦果を挙げている。
(あれからもう一年が経つのか)
私はかつてこの世界に召喚された日を思い出す。
あの時の出来事は、鮮烈な記憶として今も脳裏に刻み込まれていた。
◆
その日、私は絶望に浸っていた。
私室の椅子に腰かけながら、どうしようもない渇きにあえぐ。
「退屈だ。戦争はないのか」
半月前、私は世界征服を果たした。
膨大な戦争の果てに、すべての敵を攻め滅ぼしたのである。
蹂躙と支配と報復の日々は終わった。
つまり退屈な時間が始まったのだ。
何もかもを手に入れた私は、何もかもを失った。
気が狂いそうだった。
いや、とっくに狂っているのだろう。
私は戦争中毒とも言える状態なのだから。
そして禁断症状に悩まされている。
(この世界は平和になってしまった。争いの血を流し尽くしたのだ)
私の国は強すぎた。
最高指導者になって久しいが、ほとんど無敗で突き進んできた。
敵の殲滅を繰り返し、ついには敵そのものが枯渇した。
国民の大多数は歓喜している。
長きに渡る戦争が終焉を迎えて、ようやく平穏な暮らしを取り戻すことができる。
戦争しか知らない世代もいるだろう。
彼らに新たな教育を施さねばならない。
やることが山積みと言えよう。
私だけが、戦争に執着していた。
同じ心境の者もいるだろうが、全体で見ればごく少数である。
戦いを望まない者が圧倒的な大多数なのだ。
自らが異常者であることを、私はよく知っている。
こうなったら新たな火種を生み出して、傘下の勢力を戦わせてみるか。
いや、それは虚しい。
子供が人形遊びをしているのと同じだろう。
やはり本気の戦争でなければ。
心が求めているのだ。
血の滾る殺し合いがないと、私は生きた心地がしない。
いずれ発生するであろう反乱に期待するか。
わざと隙を見せておけば、きっとどこかの勢力が立ち上がるはずだ。
しかし、そんなものはすぐに鎮圧可能だ。
戦争と言えるような規模に発展するか疑わしい。
かと言って手を抜くのも違う。
やはり人形遊びになる。
そもそも反乱などいつ起きるか分からない。
仮に何十年もかかるのなら、その間に私が寿命で死んでしまう。
本気の戦争がしたい。
あの絶え間なくひりついた感覚を忘れられない。
究極の正義を見たい。
私は巨悪だ。
早く倒してみろ。
勧善懲悪をこの目に焼き付けたい。
誰もが私に届かず死んだ。
つまり究極の正義ではなかったのだ。
どこにいるのか。
思考が巡る中、胸の内で膨らむのは虚無だった。
懐から拳銃を掴み取る。
洗練されたフォルムを見つめるうちに、ある衝動が湧いてきた。
(いっそ自殺でもするか)
銃口をくわえて引き金に指をかける。
このまま力を加えれば、すべてが終わる。
ひとまず戦争のできない苦痛からは解放されるだろう。
天国や地獄が存在するのなら、私は間違いなく地獄行きになる。
もっとも、私はオカルトを信じない主義だ。
死んだ人間はどこにも行かない。
生命活動を止めた身体が腐敗していくだけである。
銃口をくわえているうちに落ち着いてきた。
この行為が正しいのだと思えてくる。
愛する戦争が終わったのだから、私も潔く心中すればいい。
ただそれだけだったのだ。
己の死を受け入れた私は、引き金を引こうとする。
その直前、突如として足元が発光した。
視線を下ろすと、円状の複雑な紋様がある。
それは魔法陣と呼ばれる代物だった。
(何だこれは)
怪訝に思うのも束の間、身体が魔法陣へと沈み始める。
椅子はそのままで、私だけが引きずり込まれているようだった。
反射的に抵抗するも、まったく意味がない。
シュレッダーに差し込まれた紙のように、私の身体は魔法陣へと消えていく。
理解不能の事態に戸惑いながらも、決して恐怖はなかった。
期待しているのだ。
私の直感は、魔法陣の先に戦争の香りを感じ取っていた。
(いいだろう。身を捧げてやる。自殺は中断だ)
口から拳銃を離した私は、脱力して身を任せる。
やがて魔法陣は、全身を余さず呑み込んだ。
私室の光景が途切れて、新たな世界へと移り変わっていく。
◆
気が付くと私は荘厳な雰囲気の漂う広間にいた。
白を基調とした空間で、奥には王冠を被る男が座っている。
両脇には煌びやかな衣服を纏う人間と、槍を持つ兵士が並んでいた。
彼らの視線が集まる中央に私は佇んでいる。
(時代錯誤な格好だな。建物も随分と古めかしい)
足元には魔法陣がある。
おそらくは私室からここまで転送されてきたのだろう。
オカルトな事象は信じたくないが、こうして体験したのだから否定もできない。
私は何らかの目的で拉致されたようだ。
周囲の観察をしていると、初老の男が仰々しく進み出てきた。
服装からしてそれなりの地位なのが窺える。
男は大げさな身振りを加えて発言する。
「おお、勇者様! よくぞ来てくださりましたッ! 世界の破滅を防ぐため、どうか魔王を倒してください!」
それから男は勝手に話を始めた。
曰く、私は別世界から呼び出した勇者であり、悪の化身である魔王を倒すのが目的らしい。
魔王とは異形の軍勢を率いる怪物で、人間への憎悪を動機に侵略戦争を行っているのだという。
ちなみにここは王国の首都で、説明する男は大臣だそうだ。
「召喚魔術の効力により、勇者様は特殊な力を持っているはずです。世界を救っていただけないでしょうか」
「魔王による侵略戦争か……」
私は大臣の懇願を無視して考える。
拉致に関してはあまり良い気分ではないが、それを流せるほどに面白い状況だ。
やはり私の勘は正しかった。
この異世界には新たな戦争がある。
私が何よりも待ち望んだものだ。
勇者という立場に興味はないが、乗ってみるのも悪くないだろう。
戦争ができるのならば文句はない。
(そうと決まれば準備が必要だ)
まずは開戦の基盤を整えねばならない。
とは言え、個人で動くのは非効率である。
強力な後ろ盾が欲しいところだ。
つまり、この国を奪うのが手っ取り早い。
私を無断で拉致したのだから、それくらいの暴挙は許されるだろう。
いずれ魔王とも戦うつもりなので、彼らの要望を無碍にするわけでもない。
互いに得をする関係と言える。
では、国を奪うにはどうすればいいか。
実に簡単な話だった。
答えはすぐそばにある。
私はさっそく王冠を被る男――国王をのもとへ歩き出した。
熱心に話を続けていた大臣が困惑する。
「ゆ、勇者様……?」
国王への接近を察して、兵士達が私の行く手を阻もうとした。
私は彼らを睨み付けると、歩みを止めることなく告げる。
「邪魔だ。私は王に話がある」
それだけで兵士達の動きが止まった。
少し従順すぎる気もするが、勇者の役職が彼らを逡巡させたのかもしれない。
私は止められることなく国王の前に到着する。
不機嫌そうに鼻を鳴らした国王は、頬杖をついた姿勢で口を開いた。
「異界の蛮人風情が、我を見下ろすな」
「黙れ。お前は死刑だ」
私は冷淡に言い放ちながら拳銃を撃つ。
弾丸は国王の額を正確に捉えた。
目を見開いた国王は、血を流して脱力する。
王冠が床に落下して硬い音を反響させた。
「総統に対する不敬は死を意味する。たとえ異世界だろうと法律は有効だ」
私は死体を玉座から引きずり下ろし、代わりに自分自身が座る。
脚を組んで室内の面々を見回した。
彼らは呆気に取られていた。
突然の事態に凍り付いている。
高級服の貴族と思しき者達は怯えていた。
兵士達は虚ろな眼差しでこちらを眺めている。
大臣にいたっては床に崩れ落ちていた。
不気味な静寂の中、私は静かに立ち上がる。
そして国王の死体に発砲した。
銃声が彼らの恐怖を煽ったのを見て、理性的に語り始める。
「静粛に。私はアーノルド・ウェイクマン。異界を征服する最高指導者だ。君達には私の話を聞く義務がある」
軍帽を被り直して背筋を伸ばした。
一呼吸を置いてから端的に宣言する。
「今からこの国は私が運営する。魔王を殺害するための施策だ。異論がある者は挙手するように。順に処分しよう」
私は拳銃を見せつけながら人々の顔を見つめる。
誰も発言せず、呆けた様子でこちらを眺めるばかりだった。
そこに敵意や恐怖はなく、むしろ服従を示しているように見える。
僅かに眉を寄せた私は、その反応に違和感を覚えた。
(妙に大人しいな。もう少し反発されると思ったのだが)
洗脳術は得意だが、ここまで上手くいくのは異常だ。
本来なら、脅しをかけながら段階的に掌握するつもりだった。
原因を考えた私は、一つの仮説に思い至る。
(そういえば、勇者は特殊な力を持つと言っていたな。これがそうなのか)
大臣は確かにそう説明した。
詳細は聞いていないものの、心当たりはそれしかない。
相手が私に対して従順になる能力だろうか。
状況から推測するに可能性は高い。
戦いに使える派手な力をイメージしていたが、実際は違うようだ。
(能力について知っておきたいな)
たとえば発動条件や代償だ。
この辺りを把握しておかなければ迂闊に使えなくなる。
それどころか自らの首を絞める要因となりかねない。
人々の態度が変わったのは、私と対話したタイミングだった。
私を邪魔しようとした兵士達も一言で行動を止めた。
つまり私の言葉……或いは視線が鍵となっているのではないか。
推測を立てた私は、室内の面々に話しかける。
「誰か手鏡を貸してくれ」
「はい! ただいま持って参りますっ!」
すぐさま応じた大臣が部屋の外へ走り去る。
彼は三十秒もせずに戻ってくると、恭しく手鏡を渡してきた。
受け取った私は自分の顔を確認する。
そして異常を発見した。
「ほほう」
両目の虹彩が七色となっている。
色味が絶えず混ざり合いながら仄かに輝いている。
元がただの青色なので見間違えるはずもない。
私の勇者の能力は目に宿っているようだ。
洗脳効果を持つ目――マインドコントロールである。
室内の人間は、この力の影響を受けて従順になったのだろう。
独裁者として世界を手にした私にふさわしい能力だ。
「実に好都合だ。これで王国を簡単に支配できる」
面倒な政治や民衆の不満はマインドコントロールで封殺すればいい。
おかげで心置きなく軍事方面に専念できる。
本格的に期待が高まってきた。
新たな舞台と新たな戦争だ。
再び戦禍に飛び込めると考えただけで、笑いが止まらなくなりそうだった。
いいだろう、すべてを支配してやる。
私はアーノルド・ウェイクマン。
異世界戦争を制する者だ。