本当は怖い「ハンター」
「ほらご覧のとおりですよ」
ようやくベットから自力で立ち上がれるようになった。ちなみに、後から分かったことなのだが、魔力爆発を起こした際に、臓器の方がその衝撃で結構ダメージを負ったらしい。おかげで、2,3日はベットの上で暮らしていた。首の傷が塞がったときにベットからはい出ようとして、うまく力が入らず、出られなかったのはみんなには秘密だ。
というよりも最近になってクララからこっそり教わったが、魔力爆発は内傷を追うこともあり、俺も当初は内傷を疑われていたらしい。全く失礼しちゃうぜ。俺は元から普通の精神構造してない。
「トイレもこれで一人で行けますよ」
マシューやアンソニーにおんぶされてトイレまで運ばれていたのも過去の話。合法連れションも昨日までだ。これで扉を閉めないために起きる。用を足すところ見られるという変態プレイが行われることもなくなる。ちょっと寂しいが。
「トイレはそうね。そういえばお風呂に入ったら。しばらく体洗っていないでしょ」
「そうなんですよね」
実はこの世界、風呂があるのだ。とはいっても普段は村の中にある温泉に通っているため、うちにある浴場はあまり使われていないらしい。それに入るとしても後片付けが大変でマシューが嫌がるらしい。それこそ魔術でブワーとできないのだろうか。沸かしたお湯を捨てるだけなんだから。
「入っておきなさいよ。この村に着てから公衆浴場もあんまり使っていないでしょ」
「そこまでバレてましたか」
おー、これは風呂に入る流れだな。それこそ公衆浴場に行ってもいいんだろうけど。俺はこの間、冒険者に襲われたという前科がある。一緒に入っている人たちは落ち着かないのだろう。今更になって気がつくと、村の中を歩いているときも俺に向けられる視線が少し特殊だったかもしれない。何か怯えているような気があった。とは言ってもすべて後の祭りでしか無いのだが。
「もしかしてお風呂嫌い?」
「えー。そんなことないですよ」
俺は風呂は嫌いではない。というよりも好きな部類だ。しかし、気になる点がある。それは、あまり使われていない風呂って綺麗なのかというところだ。雑菌が繁殖してそう。俺の体では洗えないだろう。口では言えないけど、お風呂の方を洗ってほしいんだよ。 伝わらないか。伝わらないよなぁ。雑菌なんて目に見えないものを信じるとは思えない。
「同じね」
「何がですか」
「アビゲイルと」
「アビゲイル・・」
俺に心を閉ざしたこの家の女の子。最初は人見知りかと思っていたが、どうやら様子が異なる。というより、変人だ。例えば、あの子が動物と会話できるというので、話を聞いてみるとその会話の内容がとても生々しい。ごっこ遊びの域を超えていることがある。世の中にはビーストテイマーという職種の人がいて、彼らは動物と意思疎通できるようだがそれはトレーニングを積んで身につけるものであるらしい。
そもそも、テイマーは意思疎通ができると言っても何を言いたいのかが分かると言ったレベルで、文章で聞こえてくるというのは普通ではないらしい。というわけで、俺はアビゲイルのことを小説で主人公をやるような天才テイマーだと睨んでいるのである。数年後には伝説の生き物とかと契約していそうである。
「せっかくだから一緒に入りなさいよ」
「えっ」
思考が停止する。アビゲイルは5歳だ。別に異性として意識する気はない。だが、一緒に入るというのは別だ。残念なことに俺の実年齢及び、精神年齢は20を優に超えている。流石に、キツイものがある。時代が時代なら、子どもくらいの年齢だ。問題が起きる。
「今はいいかな」
やんわりと断ろう。決定しないうちに。
「駄目よ。入って。私も入るから」
おいおい。悪化したぞ。さらに、女子が増えた。先程も書いたが、俺の精神年齢的にアウトだ。絶対に入らない。
「大丈夫。それに病み上がりに風呂に入るとか良くないって聖書に書いてあった」
「何よそれ。可笑しい。そんなこと書いてないわよ。決めた、絶対に入れるからね」
マジだ。本気の目だ。クララは10数歳だった気がする。そろそろ出るとこ出てへこむとこへこむ年頃だ。おまけに中世の日本ならもうすぐ大人扱いされる年頃だ。良くはない。文化的にアウト。犯罪者になる。死力を尽くさねばなるまい。
「いやだ。恥ずかしいもん」
「照れなくていいのよ」
「僕は一人では入れますから」
「何をそこまで気にしてるの。私達は姉弟なんだから。家族だからいいじゃない」
知らないよ家族になるってなんの話。適当なことを言うんじゃありません。そんな聞いたことが
ない理論で俺は風呂になんか入らない。
「いいわ。私はお風呂入れてくるから。帰ってきたら覚悟なさい」
クララは部屋を後にした。どうしよう。何か言い訳を考えないと。風呂に入るときに必要なもの。タオルじゃなくて石鹸でもなくて・・・そうだ着替え。着替えがなければ風呂には入れない。この部屋にある俺用の着替えを汚そう。
しかし、汚すってどうやって。泥んこ遊びでもするのか、年齢に合わせて。俺大好きだったよ、職人とも呼ばれるくらい。でもどうやって、この付近には泥がない。否、庭まで行けば手に入るだろうが庭に行くにはどうしてもクララがいる浴室の前を通ることになる。
他の手だ。6歳くらいの子が服を汚すときに使うもの。クレヨンだ。それだけでなく、筆記用具類ならいける。俺が毎日欠かさずつけている日記の収められた引き出しに手をかける。この中にあるインク瓶で。空っぽだ。そういえば昨日使い切ったのだ。気が動転して忘れていた。
となると、この部屋には他には絵の具とか服を汚せそうなものはない。確実に空いている他の部屋を思い出す。そうだ。アーロンの部屋にはインクがあった。あれで汚そう。
決意した後の動きは恐ろしいほど早かった。クララがどれだけの早さで帰ってくるか分からない以上、もたもたしていられなかったのだ。風呂場は一回の階段横にあるため、階段を登る道中にも見つからないかが心配だ。
だが、この極限状態で、汚すための着替えを持ってきたのは名采配だ。インクを取りに行き、部屋に戻ってから汚しているのではタイムロスが大きい。まあ、アーロンの目の前で汚すのは気が引けるがそんなことを気にしてる余裕はない。
この体は数日ぶりに地を踏みしめている。足が重たくて、うまく走れない。考えてみればトイレに行くのですらおぶってもらっていたわけだから。かなりおぼっちゃまをしていた。それに対する罰なのかもしれない。だが、ここで立ち止まるわけには行かない。
俺は激怒しているわけでも、セリヌンティウスが身代わりになっているわけもないが、時間までにたどり着くべき場所がある。階段を登りきった。アーロンの部屋はもうすぐだ。
「ちょっとどこ行くの」
この声は。
「逃げても無駄よ。風呂には入ってもらうわ」
クララだ。
「走れ」
全力で廊下を駆ける。クララは階段の下。追いつけるはずがない。だが、嫌な予感がする。
「軽量...減重」
何かしらつぶやきが聞こえた気がする。次の瞬 間、再び後ろから声がした。
「どこ行くの」
立ち止まって振り向くとそこにはクララがいる。ありえない。階段何段飛ばししたのだろうか。10段とかそのレベルだと思う。いやそれ以上、もはや階段登っていないぐらいだ。1階から3階までワープしたのである。だが、そんなことよりも重要なのは追い詰められているということだ。後ろ向きで歩く。クララはハンターで俺は獲物だ。背を向けたら捕食されそう。悲しいことに本能的に分かってしまう。
「その先は行き止まりよ。観念したら? アビゲイルも入るって言ったわよ」
とてつもない笑顔だ。違う。表情から読み取れる。その笑顔の仮面の下には鬼の形相が隠れているのだ。アビゲイルも断れるだけの勇気が無かったのだろう。もちろん俺も。
「・・えへへ」
あっーーー。追い詰められた感がある。ある日、森の中でリアルくまさんに出ったらこんな気持ちになるのだろう。どうする。後退りして何とか逃げる俺よりも近づいてくるクララの方が歩みが早い。かと言って走り出しても捕まるのは同じだろう。どうしようもない。
「入りましょうよ。今なら背中を流してあげるわ」
二人の距離はだんだんと詰まっていく。クララの軽やかなステップの裏には自らの決定を遂行するという絶対的な決意が滲み出ている。それに対する七宮は恐ろしさのあまり、思考停止状態に陥っている。最早わけが分からず、とにかくクララから逃げるという一心のみで動いている。
「い・・や・・だ」
声を合図にクララは駆け出した。これがアニメならクララの周囲を突風が吹き荒れているだろう。いや、おかしい。吹き荒れる突風が見える。捕獲される。
その瞬間。特に考えもなく、近くの扉に飛び込んだ。
「えっ」
開ているかも分からないその扉は、奇跡的に開いた。
「どうしたの・・オト」
そこには、なんとアンソニーがいた。その瞬間。今まで昨日停止状態に入っていた脳がフル回転して一つの答えを導き出した。
「終わりよ、観念なさ──」
「お風呂入ろう、アンソニー」
俺は無事にアンソニーと風呂に入った。これで心の平穏を取り戻すことができた。ただ一つだけ、これだけは言っておきたい。
アンソニーはデカマラだった。