勝者とは相手の一歩先に立っているものである
意識が戻る。周囲は寒くなっている。ここは確か、アーロンと山登りして、昼食を取って昼寝したところだから、山の山頂か。それにしても冷えてきたな。よし帰ろう。なら道の分かるアーロンに案内してもらわないと。うーん。アーロンはどこいったんだろう。俺が小説の中の主人公だったら、目が覚めたら家のベットの中だったり、アーロン役に膝枕でもしてもらっていたんだろうが、生憎とそうではない。現実準拠の夢の世界ではそんな素敵にことは起こらない。おかしいな。周囲にはいなさそうだ。
「アーロンどこにいるの」
見当もなく叫んでみる。返事はない。ただ声がこだましてこちらに帰ってきた。寒空のような気候も相まって余計に不気味だ。実はひとりで帰ってしまったのかもしれない。急に心細くなる。今の時刻はおよそだが、午後4時といったところ。ちょっと遅めの昼食だったが、単純計算で2時間も寝てしまったことになる。それは、アーロンも帰ってしまうかもしれない。というより、山の上って、すごい寒い。もう少しで、夏になるとは思えない。正直言って真冬ですと言われてもだれも疑うものはいないだろう。本当にどこ行ってしまったのだろうか。
「やっと起きましたか」
やれやれという様子のアーロンが少し高い飛び出している岩の上から現れた。
「おそようございます。よく眠っていたみたいで、なかなか起きないから心配したよ」
「へぇぇ。すみません」
安心したせいで不思議なキャラクターになってる。おまけになんだか、おっさん臭い笑い方。それも、仕事ができない系の。
「どうですか。満足できましたか」
そうだな。観光をするという目的は果たすことができたけれど、アーロンと深い関係になるという目的は果たすことができていない。こちらに、心を開かない3人組の中で、唯一、手の内が分かっている人物で、これだけ苦戦するというのは先が思いやられる。もう少し、何かしたいんだけど、時間も時間だよな。というより戦犯はどう考えても昼寝した俺だ。俺は三度の飯より眠ることが大好きであるが、夢の中でまで寝るというのは違う気がする。ただし、人目があるところでガチ寝するのは異常だ。はぁ。こちらには詩集という武器があるんだ。開き治ろう。
「満足できました。寒くなってきましたし、帰りましょう」
山を下っていく。元来た道と同じ道である。なんでも、山を登るルートには2ルートあるらしい。しかしながら、もう一つの道は村の外に繋がっており、村に戻るにはかなり遠回りになるため、あまり利用されないらしい。同じ道ということは帰りは1時間もかからないだろう。それは、初心者が富士山に挑むにしても同じである。登るのに2日かけるが、降りるのには5時間で終わる。これは異世界でも通用する常識だろう。
「これで山道は終わりです。この木々の道を抜けると村に着きますよ。ですから後は、平坦な道ですね」
「あっという間でした」
もともとの山自体があまり高くないため、やはりここまで来るにも時間はそこまでかからなかった。山にも木々が生えていたが、ここら辺は森という方が適切である。普通に熊とか出てきそう。そもそも、熊という存在がいるのかわからないけど。
「ガルル」
おっと今なんか音がした。それも、安心できるような音じゃなかった。本気で怒っている犬の声に近い音だったような。そっとアーロンの方を確認する。顔が強張っている。間違いなく何かがいるのであろう。
「大声を出さないで。ゆっくり、そのまま後ろに進んで」
声にも緊張感がある。ただ事じゃない。平らではあるが、この子どもの体で村までは歩けば30分はかかるという位置。村まで走って逃げるのは不可能ということか。ここは、指示に従おう。
身を屈め、重心を下げる。さらに首筋を守るように腕を首に巻きつける。アーロンは手ぶらでこちらには、ニコラから貰った弓しかない。ニコラはこうなることを予想していたのだろうか。ならば、その予想は外れだ。俺は、狩人ではない。俺の予想が正しいとすれば、相手は体が小さく、素早く動き回る。相性最悪。
「いいよ。そのまま。できれば、山の斜面でこちらが身下せるところまでこのままで」
”わかりました”と、言いたいが声が出ない。動機が、呼吸が早くなる。とにかく落ち着かせなければ、パニック症を発症しかけている。
相手は徐々に姿を表す。間違いなく狼だ。大きさは犬なんかの比ではない。襲われれば、一溜りもないだろう。そんなのが、1匹ではない。正面に2匹、俺の右手に1匹、確証はないが恐らく左手にも待ち構えている。傾斜までたどり着ければ、地の利があるとはお世辞にも言えない。アーロンはどうなんだ。
「何・・策・・・」
声を振り絞って尋ねる。すると、アーロンはこちらには振り向かず、正面の狼を睨みつけたまま「とにかく逃げる」と、言い放った。
それしかないだろう。狼の相手なんて本物の猟師でも嫌がるものだ。しかし、先程から全然、後退できていない。足場が悪すぎるのだ。これでは亀のようである。狼たちはこちらの緊張感が途切れた頃に襲いかかるつもりなのだ。このままではジリ貧だ。俺が引きつければ、アーロンの足ならば村まで逃げられかもしれない。
「アーロンは逃げてください。俺が囮になります」
「ごめんね。それをするなら僕が囮をやる」
「無理です。俺の体じゃ逃げ切れない。それにもう、緊張で足がすくんで動けないんです」
「・・・そうだよね。そうなるよね。いいかい落ち着いて」
その言葉はまるでアーロン本人に向けて放たれたようにも聞こえた。しかし、その様子はまるで狼に抵抗するのを諦めたかのようにも見える。明らかに緊張感が抜けた。狼に向けられていた注意はすでにない。
狼たちはその変化を見逃さなかった。その瞬間的に生まれた隙を突き弾丸のようにアーロンに襲いかかる。狼が動いたのを見てアーロンを道の隅に付き飛ばそうとする。チクショウ、間に合わない。俺の反射神経と狼のそれは異なる。俺よりも先にアーロンは狼の攻撃を受けてしまうだろう。ここまでか。自分の無力さに無性に腹が立った。
「・・・神王エンリルよ我が声・我が願いを聞け、然らずば我が魂は汝が門を脅かさん」
アーロンが詠唱を終えると、言葉に答えるようにその身を光が包む。次の瞬間、雷鳴が響き、一迅の雷が目の前に落ちる。さらにアーロンを中心として、一体が嵐に包まれる。凄まじい風。もし、このこの風に少しでも触れたら、今までいた山の山頂あたりまで軽く飛ばされていきそうである。それほどまでの暴風だ。こんな状況ではどれだけ大声を出しても通じないだろう。俺も、アーロンにしがみつくことしかできない。
暫くして、嵐は去った。本来あるべきものがない。半径10メートル以内の森の木々は根こそぎはどこかに飛んでいった。そこには何かが植えられていたらしい形跡があるのみだ。とんでもないものを見せつけられた。今のが魔術だというのか。あんなことができたら、今頃世界は、何もない砂漠なっているだろう。そう言えばアーロンは。
「アーロン大丈夫?」
返事がない。気を失っているのか。代償としては当然かもしれない。これだけのことをしてケロッとしてればそれこそ心配になる。取り敢えず、仰向けにして寝かせる。アーロンは子どもとはいえ、俺の体からすれば巨体だ。運ぶことはままならない。大人を呼ぶしかないだろう。しかし、アーロンを置いていくのは、心配だ。どうしたら・・。
「おお片付いているな」
「同行者も気を失っている。計画通りよ」
男女二人分の大人の声がする。しかし、ながらこれは倒れている人を見かけた人間がかけるような声ではない。俺たちを害するという意図が感じられる。
「なんですか。あなたたち」
「口が聞けたか。予想通り言葉は通じるようだ。それにしてもあの様子じゃ特に何もできず傍観者に回ったようだな。これは意外と楽に済みそうだな」
「ええ、ずいぶんと美味しい依頼を回してもらえたわね」
何の話をしているんだ。依頼とか、全くといっていいほど話の筋が読めない。
「もしかして今がどのような状況なのか分かっていない?」
「はい─まあ」
「そうだな、自分に関わることだ教えておいてやろう。実はな黒目の坊主。お前には暗殺依頼が出ているんだよ。それもかなり高額だ」
暗殺依頼? 俺のことを。どうして何のために。それに俺は黒目であっても坊主ではない。かなりフサフサだ。
「殺される心当たりがないのか。これだから、子どもは嫌いだ。すぐに山から降りてこないのも含めてな」
「無理もないわ。でも、だからといって、手を引くなんてできない。ただ、子どもは可能性の塊よ。そんなことも分からないのかしら、考えが固いわよ」
不思議なやり取りだ。多分、二人は俺のことを殺しに来た。それは間違いない。男は子どもが嫌いだから殺すというのは理屈として成り立っていないわけではない。人間としてどうかとは思うが。しかし、女は子どもを可能性の塊としながらも殺そうとしており、これは筋が通らない。やはり人間としてどうかと思う。
「それであなたたちは一体何者なんですか」
「冥途の土産というやつかしらね。教えてあげる。私達は冒険者よ」
──何ということだ。異世界転生物で誰しもが憧れるというみんな大好き冒険者だと。やっぱり、この世界にも居たんだ。うれしい。信じてよかった。ありがとう死神さん。ニートも必要な職業ということですね。あなたの仕事は間違えていませんよ。
天に向かってお礼を伝える。
「大丈夫か。お前」
これは男性でニート1号。武器はどんな相手も一撃で片付きそうな大剣。どうみても殺す気満々。
「そうねー。理解できていないんじゃない。この子」
こっちは女性でニート2号。武器は小回りの効くナイフの二刀流。こちらも殺す気満々なのかな。
「最後に確認なんですけど、あなた方は、俺を殺しに来たということでいいんですよね」
「そのとおりだ(よ)」
これは1号と2号と一声を揃えて仲良しなんだから。なんかなー、いまいち緊張感がない。あれ、あれかなアーロンのすごい技見たせいで感覚が麻痺してるからとか。それとも、もしかして俺の死にスキル『努力』が輝くときが来たから。
「アーロンの意識が戻るまでの時間稼ぎでもいいかもしれないが──別に、二人のことを片付けてしまっても構わんのだろう。」
弓矢を構える。勝負に挑むメンタルとしては良ろしくないかもしれない。しかし、このような発言というのは口に出してみると負ける気がしなくなってくるものだ。
「やる気か。そうこないと面白くねえな」