最近の若者って異世界にもいるんですね
疲れた。俺の努力を知ってる人がどれだけいるのだろうか。初めて、魔力を体験してから、すでに一週間が経過している。その間、殆どの時間をこの部屋にこもって過ごしていた。これが小説だったりした日には、危うく俺の努力が全カットになっているところだった。それはなぜかというと、”他人の努力を見ているのが好きだ”なんていう物好きは実際には殆どいないからである。事実、俺は放課後に高跳びをやっていて、誰かに眺められていた経験なんてない。ゆえに間違いないだろう。
まあ、中にはファッション感覚で『応援します』という人はいるだろうが、そういう人だって、寝食を忘れて応援なんてしないだろう。本当に罪深い存在である。
それどころか、夢の中のせいか、ここまでの壮絶な努力を振り返っても5秒程度にしか感じられない。すごい頑張って聞いた気がするんだが。それこそ、転生物の主人公ぐらい。このような地味なことを続けるのならば、そろそろ起きてもいいんだよ。こんなのが何日も続くとか耐えられない。これが小説だった日には読者全員本を投げてるよ。
しかし、この部屋にいたおかげでみんなが習っている色々な魔術を見ることができた。あのように使えるようになると考えるとちょっとだけ勇気がもらえた。実は、年中寝ぼけたようなアーロンが制御できていないが、とてつもない才能を秘めているというのは大変興味深い。その一方で俺自身に関わることとして気になったのは、アンソニーが同じ部屋にいるとうまく水が扱えないということだ。思った通りに、水が増えない。というより厳密に言えば、なぜか水が減っていくのである。これについては確認しなくてはならないが、アンソニーは水属性とのことだからその影響なのだろう。
それにしても、今日は先生ことエレノアがオフなので強制的に俺もオフ。久しぶりに、街の中を思いっきり散歩しようではないか。ここ最近、魔術に熱中しすぎて私生活がおろそかになっていた。レイチェルからも出不精なアーロンを連れて出かけるようにお金を渡されてしまったし。
アーロンの部屋はこっちだよな。3階の一番奥の一番陽当たりの良い部屋である。そういえば、俺は未だに客人用の部屋ではないか。どこかに移動した方が良いだろう。などと考えていると部屋に着いた。
まずは、ノックだな。トントンと扉をたたく。
「七宮お・・・オトです」
これはちょうど、中学生のころ進級した後に間違えて、昔の学年を言ってしまうのと同じ現象だ。大学から一人暮らしだったせいでたくさんの人が住んでいるというのは今だに慣れない。というよりも、日本人は普通、姓を名乗るしな。あれ、返事が返ってこない。この世界でも姓を名のるんだったかな。いや、この家の人は名乗った後、返事をするまで入ってはこない。待つのが正解だ。
本当にそうかな。もう一度ノックする。
「はい。起きてますよ」
いるではないか。なぜ返事をしないのか。不思議なことをするものだ。それに、起きてますよなんて基本は寝ているみたいな言い回し。
「オトです。アーロンさん今日ちょっとお時間よろしいですか」
「本当にオトさんか。どうぞお入りください」
飛び起きた音がしてドアが開く。そこには、いつも通りのアーロンがいる。
「ごめんね。アメリや母さんではないか判断していたから返事をするのが遅くなってしまったよ」
「全然気にしませんよ。確かに、ちょっと嫌ですよね。良く分かりますよその気持ち」
いったいどのような理由でレイチェルたちと間違うんだ。というより、そこまでして家から出たくないのか。これまでの1週間で確認してきた限りでは、アーロンが家の外に出たのはわずかに2回。それも、2時間もしないうちに帰ってきている。それだけでなく、家の中ではほとんどの時間を自室か、たくさんの本がある勉強部屋や書斎に籠城している。それは、不健康であろう。まあ、1週間以上、家の敷地の外に出ていない俺が言うのもおかしいかもしれないが。それについてはしょうがないだろう。俺が外出しようとすると誰かしらついて来ようとするのだから。それは迷惑をかけることになる。そうは言っても、家の外では一人でゆっくりできないというのは嫌である。
「体の方調子はいかがですか」
直接は話題を切り出せない。
「いいですよ。きっと外に連れ出したいのだろうと言うことも分かっています。外出するのであればクララにお願いするればいいと思います」
話が早い。いや、早すぎるのだ。勘が良すぎるのである。早い段階で予防線を張られてしまった。それも、文章ごと倒置させるという高度なテクニックを披露された。やられた。考えてきた世間話だの、観光スポット案内のお願いだの全部無駄になりそうである。
「はは。ばれてました」
「それこそ母さんにお願いされてたのでしょう」
「全くその通りです」
両手を挙げて降参の意を示す。
「遠慮しておきます。ほら、今日は風が強いですから」
全然、強くないですけど。静かすぎて逆に不気味なくらいですよ。これだから温室育ちは。
「まあ、そんなこと言わないでください。顔をたてるつもりで」
これが、最近の若者か。まるで、『終末です』みたいな雰囲気出しちゃって。こうなると押すしかないでしょう。こういうタイプは意外と押しに弱いというのが、恋愛シュミレーションゲームの鉄則だ。まあ、そういう作品の主人公と違って、俺自身は可愛いくもなければそもそも女の子でもないんだけど。まったく、ラッキースケベの3つや7つ起きても全然いいんですよ。この家にはかわいい人多いんだから。
「クララ以外にもアンソニーとか適任者はいますよ。それこそ、エレノアの買い物を手伝うといろいろな経験ができて楽しいと思いますよ」
手ごわい。でも、追い出されてていないだけマシなのか。ここは、居座るのが正解だ。胆力で勝負しよう。多分諦めて、家から出るでしょう。
ずいぶんと時間がたった。体感で1時間くらいしただろう。机に向かって、何か書き物をしているアーロンを入り口の扉にもたれかかって見ている俺。さすがに疲れてきたんだけど。
しかし、このようにして見ると、クララとそっくりである。顔のパーツなんて使いまわしているんじゃないとか聞きたくなる。外見で違うとすれば、髪色だけである。クララもアーロンも髪色は赤色系統だが、クララは紅緋色という赤みが強い色をしており、まさに赤毛といった感じで存在感がある。それに対してアーロンは、桜色である。この色はどちらかというと白色が強く、陽の当たり方によって桜色に見えるといった感じだ。かなり繊細で華奢な印象を受ける。実はアーロンって脱がしたら女の子なんじゃないか。
「わかりました。外に行きますよ」
「本当ですね。なら、気が変わる前に行きましょう。午後になると風が強くなるかもしれないですから」
やった。アーロンを動かした。これこそ、小説だったら、苦労して家から連れ出したとか一文で片付けられそうである。
あとは、朝から待っている間までに考えていたアーロンを楽しませるプランを発動させるだけである。大丈夫。性格は把握している。これで失敗したらそれこそ主人公失格である。そんなことになれば今まで遊んできた恋愛ゲーのディスク全部叩き割ってやる。そしたら、買いなおしだ。
「準備できましたよ。それで、観光地の案内をすればいいんですか。あんまり、村については詳しくないので期待しないでください」
「いえいえ。とっても期待してますから」
おっと、これは失敗だな。これじゃ面倒くさい女の子みたいじゃないか。アーロンはサバサバ系なんだからこちらもスッキリとしている方が良いであろう。よし、玄関についた。これで俺の勝ちだ。
「分かりました。取り敢えず、どこ行きますか。先に言ってくれていたら選択肢も出せたんですけど随分急だったので」
「どこでもいいですよ。因みに本屋さんとかってあるんですか」
「本を置いてある店はいくつかあるけれど、本屋という括りで言えば、1軒かな。そう言った分野に興味があるの?」
「ええ。文字も勉強したいですから」
「なるほどね。というか真面目なんだね。それじゃあこちらの道から行きますか」
何も嘘はついていない。文字を勉強したいのは本当である。というより、文字自体は読めたのだが、書くのはできない。何というかこの世界の文字はラテン文字に近いのだが、俺は殆ど馴染みのない生活をしていたため、実際に書くには練習が必要である。これが、本心。これ以外にも、アーロンを連れ出すなら本屋だろうという気持ちがないわけではなかった。だからこそ、本屋の存在は知っていながらもアーロンがいない時に案内をお願いしたことがないのである。絶対に本屋になんて寄ったら食事の時に何を見ていたのか聞かれるに決まっている。そうすれば、アーロンとのコミュニケーションツールを1つ失うことになりかねない。アーロンを攻略できれば、残る攻略対象は2人となる。アーロンは、何かしらの起爆剤があれば、すぐに仲良くなれるタイプ。この3人は当初から苦戦することは予測できていた。二人の内、アメリも時間さえかければ信頼を得ることができると思う。アビゲイルはそういう年ごろだと信じる。アーロンは勝利の方程式の一番最初、つまり定立にあたるのだ。ここでミスることは許されないのである。
「文字を勉強したいなら、僕が教えますよ」
「本当ですか。ぜひお願いしたいです」
「まあ、この家の人であればアビゲイル以外は、お願いしたら教えてくれると思うよ」
確かにそんな気はするが、アーロンに教えてもらうということはアーロンのコミュニティーを早く上げることができるようになるということだ。教えてもらうことに越したことはないだろう。それに他の人はスパルタな気がするし。俺に残された時間は、有限だ。これまでの人生で、夢の中で過ごした期間の最高記録としてはおよそ10ヶ月分という記録が残っている。夢を見た当時は、高校2年生であった。その中身は非常にシンプル。高2の冬から、高3の秋までの間をあらかじめ体験したのである。よりにもよって、受験勉強してる期間をお試ししてしまった。その反動か、本当の受験期にはあまり勉強しなかったのだが。
「それで本屋さんですね。もう少しで着きますよ。後はこの坂を登ればいいので。道は覚えられそうですか」
「何とか。家を出てから、右に進み。2本目の十字路を左折。そのまま道なりに進み、T字路を右折。そこから4つ目の十字路を左に曲がって後は坂を上るだけなんだよね」
「そうそう。本当は近道もあるんだけど。この道が一番覚えやすいかな」
流石はアーロン。人の気持ちが分かっている。
「でも、次来るときも案内してくださいね。一人では怖いので」
「ご縁が合えばですかね。ああ、私は外で待っていますので」
どうしようか。子どもっぽく言ったら、聞いてくれるかな。いや、急に子どもっぽく話したらそれこそ興ざめだ。
ここは───
1 子どもっぽくお願いする。
2 普通にお願いする。
3 無言の圧力。
”3 無言の圧力”。これが一番だ。アーロンは変なところ大人びている。無言の圧力をかければきっと折れて、一緒に買い物をしてくれるだろう。そもそも、この世界の物価によってはアーロンに本を買ってあげることもできるだろう。
「はぁ。しょうがないか」とアーロンはため息をついた。そして、「一緒にお店に入りますよ」と情けなさそうにつぶやいた。俺はその英断に「ありがとうございます。本当に助かります」と最大の賛辞を送った。
本屋は2階建てである。その店には窓1つないというのに、外のように結構明るい。なんでも、そのように明るくできる魔術があるらしい。これなら、電灯なんていらないだろう。それにしてもすごい量の本である。それが、本棚のかなり高いところにまでぴっちりと収められている。と思えば、片隅では堆く本が積み重ねられている。これは本屋というよりも、現実の世界でで言うところの古本屋に近いであろう。この粗雑で武骨な感じ、嫌いじゃない。
すると、どこからともなく物音がして、結構いい歳したおじいさんが奥から出てきた。