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近頃我がケーキ屋に美少年がやって来ます

作者: 水仙あきら

 ベルが高らかに来客を告げ、私は包装紙を整理する手を止め振り返った。


「いらっしゃいませ。……あら」


 そこに居たのは、つい先日このケーキ屋に初来店してくれた少年だった。

 彼はいわゆる美少年というやつだ。歳は小学校高学年くらいだと思うのだけど、実はモデルだと言われてもおかしくない程に端正な顔立ちをしている。サラサラとした髪はその年頃にしては長めにカットされており、漆黒の瞳は切れ長で妙に隙のない輝きを放つ。

 大人びた雰囲気を纏いながらも年相応の幼さを同居させた独特の佇まいで、私に忘れられないインパクトを残していたのだ。


「こんにちは。また来てくれたのね」


 彼は小学生だというのに一人で来店したようで、前回もそれは同じだった。どうやらケーキ好きのご家族におつかいを頼まれたらしく、随分たくさん買って行ってくれたのだ。


「……こんにちは」


 少年は短く挨拶すると、何故か堂々とした視線を私へと送ってくる。

 味の感想でも言おうとしてくれているのだろうか。そう考えた私は試しに話しかけてみることにした。


「どうだったかな? お味の方は。気に入ってもらえたなら嬉しいんだけど」


 ここは私の実家であり、両親が営むケーキ店なのだ。

 私は専門学校の合間に手伝いをするくらいだけれど、パティシエを目指す身として我が家のケーキの味にはとても自信があるし、誇りに思ってもいる。喜んでもらえたならこれ以上嬉しい事はない。


「美味かったよ。親父達も喜んでた」


 少年は無表情のまま嬉しい感想を告げた。前回も思ったが、なかなかにクールな子だ。


「本当? 良かった。ありがとうね」


 嬉しくなって微笑むと、彼は無表情のまま押し黙ってしまった。多分照れているのだろう、頬のてっぺんがほんのり赤く染まっている。

 いい子だな。口数は少ないけど、きちんと私と向き合って、話そうとしてくれてる。


「……おすすめって、あるの?」

「そうね、今なら和栗のモンブランかな。旬のものを使ってるから」


 美味しいよ、と私は笑顔でショーケースの中を示した。少年はちらりとモンブランを見遣ったが、それは一瞬のことだった。


「俺は、あなたのおすすめが知りたいんだけど」

「私の? ええと、私自身が気に入ってるケーキ、ってことかな」


 少年は静かに頷いた。口調といい仕草といい、本当に雰囲気のある大人びた子だ。

 それにしても私のセレクトをご指名とは、随分と信用されたらしい。前回の来店時に選ぶのを手伝ったのだけど、その評判が良かったと思っていいのだろうか。


「それなら……ミルフィーユかな。定番だけど、うちのはカスタードたっぷりで美味しいよ」

「じゃあ、それ、貰える」


 即断である。ほとんど悩まずに決めてしまった気がするのだけど、本当に良いのだろうか。

 私は少々不安になりつつ、異を唱えるわけにもいかないので笑顔で頷いた。


「ありがとうございます。おひとつでよろしいですか?」

「3個、同じの。ちょうだい」

「畏まりました。他にお求めのものはございますか?」

「以上で」

「ありがとうございます。お先にお会計失礼します」


 注文となるとつい営業用の口調になってしまうのだけど、それに対する少年もまた、小学生とは思えないほどスマートだった。

 不思議な子だ。勝手な憶測だけれど、一般家庭で育った子ではないような気がする。

 私はつい興味が湧いてしまいそうになるのを抑えながら、会計を済ませてケーキを箱詰していった。

 お客さんの氏素性を詮索するわけにはいかない。向こうから話してくるなら良いけれど、自身の話を好まない人もいる。

 たとえ相手が子供でも関係なく、一人の人間として誠実に対応しなければ。それこそが母に教えられた接客の基本であり、高校生の頃から身に染み込んだ習い性なのだ。


「お待たせしました。どうぞお気をつけてお持ち下さいね」


 紙袋を手渡す時、指先が少年のか細いそれに触れた。驚かせてしまったようで、彼の腕がピクリと震えるのがわかったが、袋を取り落すほどではなかったのでホッとする。


「ごめんね、大丈夫?」

「……いや、こちらこそ」


 こちらこそ、か。このくらいの頃の自分なら、天地がひっくり返っても出てこない言葉だ。

 少年に全く動じた様子がないので、私は気を取り直して彼を送り出すことにした。


「それじゃ、気をつけて帰ってね。ありがとうございました」

「どうも」

「またぜひ、来てくださいね」


 少年は小さく会釈をして店を後にした。ガラス扉の向こうで彼が一度振り返ったので、私は親しみを込めて手を振ってみる。すると彼は一瞬だけ立ち止まったように見えたが、また直ぐに歩き出して、今度こそ振り返らずに歩いて行った。

 華奢な後ろ姿が大通りの角を曲がるまで見送った私は、包装紙の整理を再開することにした。シールとリボンを追加するべく倉庫へと向かいながら、先程の小さなお客さんについて考える。

 また家族で食べるのかな。ミルフィーユ、気に入ってくれると良いのだけれど。



 *



 緊張した。人生で初めて緊張したかもしれない。


 俺のことを覚えていてくれた。

 笑ってくれた。

 可愛かった。

 優しかった。

 手を振ってくれた。

 そして、手に。

 ……手に、触ってしまった。


 俺は買ったばかりのケーキをぶら下げた右手にぎゅっと力を込めた。頬に集まる熱もそのままに、大通りを早歩きで通り過ぎていく。

 やってやったぞ。俺はものすごく頑張った。

 変な行動はほぼせずに、いつも通り振る舞えたと思う。内心ものすごくテンパっていたのだが、きっとあの人の目には違和感なく映っていたはずだ。

 なんであんなに可愛いんだろう。なんであんなに、優しげに話すことができるんだろう。

 俺の周りにあんな人はいない。皆俺に対しては媚びへつらうか怖れるか、関わらないかのどれかで、表裏無く接してくれる人なんてほんの一握りだ。この世界で生きていくために、俺はどこまでも達観しなければならなかった。

 だから、嬉しかった。あの人が我が家の稼業を知らない事は解っていたけれど、あんな風に親身になってくれた人は、初めてだったから。


 家の前まで戻ってくると、ちょうど一人の若者が門の中から飛び出して来たところだった。


「坊ちゃん、心配しましたよ! 親父がお呼びですから、すぐに中へ!」

「……深川」


 深川はひよこみたいな金髪に革ジャンという今時見かけないような出で立ちをしている。人の良さをそのまま映したような困り顔を一瞥した俺は、檜と黒い瓦で構築された門をくぐった。


「急にお出かけになったと思ったら、ケーキ屋ですか?」

「自分で選びたかったからな」

「この前親父のお振る舞いで食ったばっかじゃないすか。そんなに好きでしたっけ?」


 深川は表裏なく接してくれる一握りのうちの一人で、若い衆の中でも人当たりが良い男である。

 しかしこれ以上ライバルを増やすわけにはいかない。この店の場所も、あの人の可愛らしさも、俺だけが知っていればいいんだからな。


「な、なんでそんな怖い顔するんすか!」


 いつのまにか胸の内に渦巻く思いが顔に出ていたらしい。しかし怯えきった様子の深川も、いつものように玄関の引き戸を開けて待機するのは忘れていなかった。


「お帰りなせえ、坊ちゃん!」


 一歩足を踏み入れた途端に耳を打つ、野太い大合唱。

 広々とした和風建築の玄関に居並ぶ黒スーツ達は、揃いも揃って強面、強面、強面。まったく暑苦しい。何時もなら舌打ちでもしたい気分になるところだが、今日の俺は機嫌が良かった。


「おう、ご苦労さん」

「ぼ、坊ちゃんがご苦労さんって……⁉︎」


 深川が後ろで驚嘆しているのが聞こえたが無視だ。いちいち相手にしていたらケーキが溶けてしまう。

 磨き上げられた廊下を大股で進み、俺は再奥に位置する重たい扉を開け放った。部屋の主である親父は着物姿でマッサージチェアに腰掛けていて、俺と目を合わせるなりニヤリと笑った。


「おうこのクソガキが。てめえちゃんとテストの結果見せろっつっただろうが、ええコラ」


 これは俺の実の父親。深川が親父と呼ぶのもこの男のことで、彼ら構成員にとっての渡世の父親でもある、桐野組組長である。

 くそ、いつ見ても俺に似てるぜ。そのまんま歳食ったとしか思えない。俺と同じ顔で巻き舌で話すんじゃねえよ、このおっさん。


「うるせえよクソ親父。今回も100点だから見せる必要ねえっつってんだよクソが」

「クソクソうるせえぞこのクソガキが! 自分の息子が100点取ってたら見たいに決まってんだろうがボケエ!」

「テメエの都合なんざ知るか! 小学生にだって都合ってモンがあんだよちったあ考えろや!」


 巻き舌で言い争いを始めた俺たちの後ろで、深川がやれやれと肩をすくめながら扉を閉めたけど、そんなことは知ったことではなかった。

 ああ、本当にめんどくさい。外に出るのには護衛をつけなきゃならないし、親父はやたらと俺を構いたがるし。

 それでも俺は、あの人に会いたかった。

 初めて店に行ったとき、親父が駐車場で長電話を始めてしまって、暇になった俺は先に店に入ることにした。

 あの人はケーキを選ぶのにえらく親身になってくれて、最初から最後まで対等で誠実で、優しかった。既に暴力の世界を垣間見始めた俺にとって、それはとても新鮮なことだった。

 何よりもあの笑顔に。

 俺は、一目で恋をしてしまったのだ。


「何だアてめえ。ケーキなんか買って来たのかよ」


 言い争いがひと段落した瞬間、親父がふと手にしていた箱に目を止めたので、俺は慌てて背後へと手を回した。


「テメエのは無えよボケ! これは俺一人で食べんだ、手ェ出したら殺すぞ!」

「ああ⁉︎ 殺れるもんなら殺ってみろコラああ!」


 それからはまたしても言い争いが始まりそうになったので、俺は適当に切り上げて勢いよく親父の部屋の扉を閉めてやった。

 ったく、ほんっとあのクソ親父。溶けてたら絶対に許さねえぞ。


 まあいい、とにかく食べよう。一人分だと不審がられると思って3個買ってしまったが、甘いものは元々大好きだ。これでほんの少しでもあの人を知ることができる。幸せな気分になれる。

 楽しみだな。名前すら聞けなかったあの人の好きなケーキは、いったいどんな味がするんだろうか。


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― 新着の感想 ―
[一言] 連載版読みたいです!
[一言] とても好きなお話です! ぜひ、連載版も読みたいです!!
[一言] はじめまして、コメント失礼します。 その他の作品もとても好きなのですが、おねショタ好きにはたまらなくてコメントしました。笑 素敵なお話ありがとうございました。
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