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それぞれの決意と

 演劇をただいやいややるのではなく、二人で楽しもう。

 これは小町が与えてくれたチャンスなんだと思う。

 いつもいつも煮え切らない中途半端な態度をとってきた自分と決別したいと思い、万智は決心した。


 緊張が二人の間に走る。

 含みのあるその言葉はだんだんと膨張して存在感を増していった。


「私じゃ不足?」

 その言葉が当夜の脳内をものすごいスピードで駆け巡る。

 もしかしてこれはこんな意味なのだろうか……という憶測が数々飛び交う。


 今二人がやろうとしている演劇は、まさしく恋愛劇だ。

 そのことが、この言葉を単なる役割意識の問題に留めない。

 もっと深い意味があるように思えてしまう。……それは、自分の築き上げてきた万智との関係性によるものであるような気もした。


 すなわち、この演劇が逃げ続けてきた自分に突きつけられた、強力な問いかけの機会のように思える。


「それってどういう意味?」と聞くこともできた。そんな風に、僕は言葉の細かいニュアンスなんて分かりません、とかまととぶることは簡単だった。

 けれども、それは、それだけは許されない気がした。


「不足……そんなわけない」

 当夜は小声ながらも声の内に力を込める。

 その様子に万智は驚いた。


「僕にとって万智が不足?そんなことはありえない。違う、何かが欠けているのは僕の方だ。いつだってそうだ、万智は何も悪くない――」

 そのままの勢いで、小学生の時の話まで当夜は持ち出しそうになった。

 ……流石にそれはできない、それは、あまりに決定的だ。


「……」

 万智は黙りこむ。なんと言っていいか分からない。謙遜や感謝は上辺だけの言葉にしかならない。


「だから、二人でやっていこう、」

「ごめん、万智はやりたくなかったやりたくなかっただろう、って、何も知らずに言い続けてさ」


「私じゃ不足?」という言葉に込めた万智の思い。それは確かに、単なる演劇の話というよりもっと深い。でも当夜にそんな深い回答を期待していたわけでもなかった。

 自分だけが知ってる言葉で自分の秘密を相手に伝える。

 そんなおまじないのような行為を向けただけ。


 それなのに、返ってきた反応は予想外のものだった。

 当夜から踏み込んでくる。

 単なる演劇の話というよりもっと深い。


「ううん」

「ありがとう」


 ただその言葉だけが口を突いて出る。


「当夜」

「どうした?」

「やろう、私達、全力で」

「おう」


 喜びを決心に転嫁して、万智は立ち上がった。


 


 明くる日の放課後。


「それじゃ、練習始めます」

 主役の二人を見る咲哉。

(?気合が入ってるみたいだな)


 目に闘志を滾らせる当夜。それに並ぶ万智。

 なんだか異様な雰囲気を咲哉は感じ取る。


 

「別に……ただそれだけだし」

「そっか、それじゃあ、またね」

「あ、ああ」


 かといって、そのやる気は空回りするでもなく、シーンの情緒をうまく反映した演技を二人は見せる。二人の調和も完璧。咲哉はそこに驚いた。


 前回の練習、切なげなキャラクター性をうまく纏っていた万智はともかくとして、当夜は本当に平々凡々、といった感じのクオリティーだった。その素朴さは今でも変わらない、ただ、異なるのは、今度の素朴さは万智の雰囲気と呼応して臨場感を醸し出しているということだ。


「咲哉?ここまでで良いよね?」

 呆けている咲哉に恐る恐る当夜が話かける。


「あっ、ああ、そうだな」

「……どうかしたのか、咲哉?なんだかぼーっとしてるみたいだけど……」

 そんな様子だったのは決して咲哉だけではない。咲哉以外の周りの生徒も同じく呆然、という感じだった。


 咲哉は突然当夜の手を握る。

「……咲哉?」

 そして言った。

「すごい、すごいぞ当夜、まるで別人みたいだ!!」


 目を輝かせてそう言う咲哉に、今度は当夜の方が呆気に取られる。しかし、周りからも拍手が上がり始めて、咲哉の突然の称賛を盛り上げた。


「い、いや、褒めるなら万智の方を……」

 そう、当夜にとってみれば、この演技は万智に合わせただけ、という意識だった。

 万智が作り上げた雰囲気に乗っかって、それを妨げないような演技をしただけだという認識だ。


 でも当夜は、その試みが単なる及第点以上のものを発揮していることに気が付かなかった。今この瞬間、当夜は単に万智に付いていこうとしているのではない。完全に二人の心は通じ合っている。


「もちろん万智さんがすごいのは当然だけど、当夜は驚きの変貌ぶりだよ!!」

「そ、そうか……?」

「ああ、この調子で頼むよ」


 予想外の反応が咲哉の方から飛んできて、当夜は戸惑う。

 それほどうまくやれているとは思わなかった。

 ……でも、そうやろうと思い始めたことは事実だ。

 それが万智との約束だから。


 

「それじゃ、お疲れさまでしたー」

 今日もまた咲哉が仕切る。


「お疲れ様」

 当夜はそう言った。それは全体に対しての言葉でもあったが、万智に向けての言葉でもある。当夜は照れくさそうにしながらも万智の方を垣間見る。


 万智は少し嬉しそうに会釈した。


 当夜はそのまま帰ろうとする。

 万智は、当夜の制服の袖をそっと掴んで引き止めた。

 はた、という表情で振り返る当夜。


「ありがと……」

 当夜は万智にこういうことをされて一瞬動揺しながらも、すぐに微笑んで言い掛ける。

「ううん、これからも頑張っていこう」

 万智は言葉足らずの自分の意図が通じたのが嬉しかった。


 

 それから先も練習の日々は続いた。

 当夜と万智は日に日に演技力を高めていく。

 場面がシリアスになっていけばいくほど、演技には二人の気持ちがこもっていった。


 

 当夜は朝の電車に乗った。いつものように学校の最寄り駅で降りる。それはなんてことない日常だ。

 いつものように改札口に向かい、いつものように駅舎を出る。完全な日常で、完全な惰性。


 それなのに、今日はそれが許されなかった。

 目の前には、小町の姿が見えた。そして、当夜よりも少し先を歩いていた小町はたまたま当夜に振り返った。


「や、やあ」

 当夜は煮え切らない挨拶を持ちかける。

 最近はあまり話す機会がなく、距離感に少し戸惑った。


 ……本当はそれ以上の意味があったかもしれない。

 万智と演劇を通して心を通わせていくに従って、だんだんと小町との距離が離れていくような心地がしたからだ。


「う、うん、おはよう」

 小町もまた気まずそうな返事だ。


 そのまま流れで二人は並んで歩く。これも一種の惰性だ。いままでの経験の賜物で、こうすることに最早何の違和感も感じない。

 けれども当夜は初めて隣で歩いた時のような感触を味わった。それは気まずさと気恥ずかしさがないまぜになったような感情だった。


「……最近、うまくやってるみたいだね」

 言葉の出だしが何となく暗いトーンなのを当夜は感じる。――ほんの少しの時間だけ離れた人間との距離感が分からなくなることはなんども経験してきた。けれども、今度のそれは、それ以上のものであるような気がした。


 別に、何かが変わったわけじゃない。当夜は自分にそう言い聞かせた。それでも、小町の態度が変わっているのは明白だった。


「うん、まあ、そうかな」

「そうだよ」

 かと思えば小町は当夜に微笑みかけた。今日初めて見せる笑顔だった。


 その仕草に当夜は少しだけドキドキした。普段は明るい小町だが、やはり繊細な感情を纏う表情はその整った顔立ちに映える。微笑みという微小な動きが、当夜の心を打つのだった。

 けれども、それと同時に当夜はモヤモヤを感じる。それは罪悪感、というには強すぎるかもしれないが、そんな音色を持って自分の中で響く。


 ――そんなものを感じる立場にはないのに。頭で駆け巡った諸々の思考を振り切って当夜は心の中でそう呟いた。


「私は、当夜に頑張ってほしいと思っているんだ、心の底から」

 その笑顔は確かに愛想笑いとか嘘偽りではなかった。


 ただ自分を面白がっているわけではない、当夜はそう感じた。

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