隠された決意
小町と二人並んで廊下を歩く。並び立つことにはそろそろ慣れてきたのだろうか――そんなことを意識すると、急に周りの目が恥ずかしくなったやめた。
学校から出るまでは言葉を交わさなかった。まだ外向きのベールが外れていないような気がしたのもあるし、最初に言い出し損ねたのもある。
校門を出る。息を吸った。なんでもなさそうでいて大事なことを尋ねる。
「何かあったのか?小町」
「ううん」
すぐに素っ気なく否定された。
「でも……」
その後に言葉が続かない。
普段は聞き流している足音がいやに冴えて聞こえる。
「それにしても、主役なんて突然だよな」
「まあ、確かにね」
「でも、当夜にはいい機会だと思うのだけど」
「どうして?」
「……いや、なんでもない。今はそういう感じじゃないもんね」
先程から言葉の節々が引っかかるが、なぜかそこを深堀りしにいくことは当夜にはできなかった。
言葉の機微には詳しくないけれど、と自分の中で唱えながら、当夜は勇気を出して直球を投げてみる。
「小町は、本当にやりたいと思うの?」
暗に「やりたくないんでしょ」と聞くかのように。
「……」
答えがないまましばらく無言で歩いた。
横断歩道に二人が立ち止まったとき、小町は当夜を見つめて言う。
「やるべきじゃないと思うの」
「それは、やりたいけどできない?それともやりたくないしできもしない?」
「……鋭いね」
そう呟いた小町は再び黙る。信号が青に変わった。
「分からない、が答えかな」
「でも、いずれにせよ当夜が主役になるのはもう不可避だと思うよ?」
少し話をはぐらかされた気もしたが、今日この瞬間は気にしないことにする。
「なんでだよ、第一、僕はやるなんて言ってないぞ……」
「……本人がどう思っていようと、結局適材は適所に送られるってこと」
「適材って、僕は演技の才能なんてないと思うけど……」
「でも主役になれる才能はある。私はそう思っているわ」
褒められているのかからかわれているのか、果たして何か深いことを伝えようとしているのかは当夜には分からなかった。
「ねぇ」
駅の手前で小町が口を開いた。当夜が頷く。
「万智さんと一緒に演じる、っていう選択肢はないの?」
「えっ?」
もう目的地は目の前なのに、当夜は立ち止まってしまった。
「どうして万智が出てくるんだ?」
「そりゃ、しっぽりやるためでしょ」
「……含みのある表現はやめてくれる?」
少しだけいつもの小町が顔を見せた気がする。
「でも、仲良くなる絶好の機会だと思うけど」
「仲良くって、確かに普通に仲良くしていきたいとは思ってるけど、別に今は気まずくなったりもしてないし、元々わざわざそんなことをする仲でも……」
「もっと万智さんを大切にした方がいいと私は思うよ」
「……うん……」
あまり釈然としないまま当夜は頷いた。
二人はそのまま駅で別れた。電車は同じ方面だが、違う車両に乗った。仮に一緒に乗るにしても短い間だけだけれど。
「それじゃあ、主人公役は当夜くんに決定します!」
成瀬がとても明るくそう宣言した。
「えっ?えっ?」
ロングホームルームが始まると突然投票が始まり、突然自分の名前が黒板に書かれ、突然現実が目の前に提示される。まるで自分が蚊帳の外、といわんばかりだ。
この素晴らしき脚本の主役に抜擢されたのは自分。そう自分――というか、僕の意思表明の機会はどこに?
「小町の言った通り、ってことか……」
小町の方を見ると、明るい笑顔で拍手していた。
「期待してるよ、主役の当夜さん」
ついこの間までの違和感も消えて、いつもの小町に戻っていた。
「それじゃ、次はヒロインを決めたいと思うんですけど――」
「ちょっと待った!!」
当夜が後ろの席から声を上げる。
「はい、なんでしょう?」
成瀬が満面の笑みを浮かべる。つい最近初めて見かけるようになった表情だ。
「僕はやるとは一言も言ってないんだけど……」
「い、いや、ですか?」
困り眉で成瀬がそう尋ねてきた。ダイナミックに教室全体を股にかけておきながらやり取りはお互いに向けてダイレクト。
「でもやっぱり、この物語のこころが分かる人に主役をやってもらいたいし、推薦の結果も圧倒的だし……」
「何しろ、私が当夜くんにやってほしいの、だめ、かな?」
普段の生真面目な態度はどこにやら、成瀬はさながらあどけなく泣き落としのような構えだ。
衆目もある。そして今回は成瀬の意見が多数派だ。
おまけに成瀬の悲しそうな表情も相まって、まるで自分が一人のいたいけな女の子を公に悲しませているような感覚に陥る。
「いや、別に嫌とまでは……」
「それじゃ、決定ね!みんな、改めてはくしゅー!!」
成瀬は一転して明るい表情になる。……これは完全にしてやられた。
盛大な拍手を身に受けつつ、当夜は諦めて自分の席に座った。嫌ではない、というのは別に嘘ではない。
でも別に、積極的にやりたいわけでもない。
「いや、でもホントに僕で大丈夫なの……」
その当夜の呟きは無意味だ。なぜなら満場一致でクラスメイトが当夜を推薦しているからだ。
成瀬はスマイルでその呟きに応えた。
「それじゃ、気を取り直してヒロインの方に移りたいと思いますけど……」
「まず、希望者はいますか?」
成瀬が教室を見回す。
もちろん成瀬としてはここで誰も名乗りを挙げてこなくても問題ないのだろう。むしろその方が好都合だ。
それはもちろん――と思って当夜が隣の席を見ると、小町は堂々と手を挙げていた。
クラスの歓声が上がる。これは期待通りの……――いや、僕の期待ではない。
「それじゃ、小町さんが候補……」
「いや、そうじゃないんです」
小町の口から予想外の言葉が飛び出した。
「私、私じゃなく――万智さんを推薦しようと思うんです」
「「ええっ!!」」
クラス一同から驚きの声が吹き出した。
とりあえず今は人を推薦するターンじゃないだろ、というツッコミは、その衝撃のあまり横に置かれる。
小町があまりに堂々としているので、てっきり当夜までもがヒロインになる意思を固めたのかと勘違いしていた。
当夜はこっそり小町に耳打ちする。
「お、おい、それはどういう……」
「言ったでしょ、この前も。いい機会だと思うし、頑張りなさいな」
「いや、そうは言っても……」
当夜は言うべき言葉が見つからなかった。小町がやれ、と言いたいわけでもないし、万智に突然大役を任せるべきじゃない、と言いたいわけでもない。そういう突発性が自分の人生に降り掛かってくる事態は、ここ数ヶ月では甘受している。
だが、当夜には確かに小町に言いたいことがあった。でもそれを表現すべき言葉が見つからなかった。
「どうして……」
そんな不完全な言葉に無理やり自分の意図を代弁させる。返事はなく、小町はただ前を向いて、いつになく勇ましい表情をしていた。