大抜擢
「というわけなんだ」
教壇組の一同に月見野が事の次第を説明する。
「なるほど……確かに、そういう物語を読んだ後って、センチメンタルになることはあるものね……」
成瀬がまずまず共感を示す。
「私も、あの話を読んですごい感動したよ……和光くんにこんな才能があったなんて私知らなかったよ……」
そう言って目を輝かせながら賛辞を送る万智に咲哉は気まずそうな笑みを浮かベる。
「そ、そんなことってあるものなの……?」
普通のクラスメイトには中々見せない動揺した様子で小町は言う。恐怖からか目は陰に隠れている。
「……そういえば昨日、当夜が『泣くほど感動するのか?』みたいなことを僕に聞いてきた気がするな……」
「確かに、昨日は咲哉くんのおかげでクラス中感動に包まれていたもんね」
「ご感想はいかがでしょう、先生?」
成瀬はいたずらな感じで咲哉に聞く。いつの間にか仲良くなっていたようだ。
「いや、これは予想外かなぁ……と、確かにこれはうまく……自分でもうまく書けたとは思ったんだけど」
普段歯切れの良い咲哉はこの時ばかりは少し言い淀んだ。
「それで、どうするべきなんでしょう?」
咲哉が反応した直後、小町が真剣にそう投げかける。
皆何も言えないまま、チャイムが鳴った。
それは何気ない日常。学校にいる姿を思い浮かべようとすると、いつもいつもクラスメイトと話すシーンが意識に上る。確かに、学校以外の場所と比べれば圧倒的にそうしている時間の方が長い。
でもフラットに時間を考えれば学校生活の中でそういうシーンが占める割合はわずか。沈黙の方がはるかに長い。
だからこその日常だ。たとえ当夜がこんな状態でも、日常のほとんどは変わっていないはずだ。
午前の授業が終わる。何も代わり映えのない時間が過ぎた。
そして昼休み、学校生活で少数側の語らいの時間だ。
「当夜、今からちょっと二人きりになれる場所で良いことしない?」
「良いこと……本当にそんなものがあったらいいのにね、僕にも。屈託なく、それが『良い』のだと言える何かが」
――やはりおかしい。いつもなら的確なツッコミを入れられたり軽くいなされたりするツンパターンか、初心な反応で顔を真っ赤にするデレパターンかに分かれるのだが。こんな厭世パターンは初めてだ。
「えぇ~私と夜な夜なしてること、忘れちゃったの?」
ふと遠巻きに自分と当夜の動向を見つめている一同の姿が見える。小町は一種の使命感に燃えていた。
ちなみに、事情を知らない何人かの周りの生徒は背中をビクつかせて恐る恐る当夜と小町をチラ見する。
「夜は儚いね――人が突き放される時間だよ」
「……私への反応は?」
「明日になれば不自由なく使えるほんのちょっとした言葉を、制限された形でテキストとして送る……それもまた、人間の儚さのようだとは思わないかい?」
肩肘を張っていた周りの生徒達はそう聞いて安堵する。ただメッセージのやり取りをしているだけのようだ。
――これ、最強だ……!?
突き放すでも過剰反応するでもない。飄々と話題を自分の世界に持ち込んで、あっという間にポエムの文脈に落とし込む。まさに神がかり的な所業だ。
小町は少し万智にも目配せする。この世界自体に無関心、といわんばかりの当夜は当然そんな様子を意に介している風ではない。
万智は大げさに首を振りながら「無理」という意思表示をする。それを合図といわんばかりに、二人は無言のまま息ピッタリに立ち上がった。
その異様なオーラに、何事かといわんばかりに動揺するオーディエンスを横目に、当夜は傍若無人たる態度で空に意識を浮かべていた。
しかし次の瞬間ついに当夜は驚いて顔を上げる。
「……小町?」
気が付くと小町に腕を引っ張り上げられる。
「無理やりにでもついてきてもらうわよ」
当夜はそのまま小町に引きずられた。万智もちゃっかりその後ろに続く。
そしてやがて一行はあの場所へと来た。
小町は鍵を取り出す。そこは一番上のフロアーだった。
階段を上ってたどり着く何もない一角。小町はそこにある扉を開ける。
「さて、ゆっくりと話しましょうか……」
小町は依然当夜を引きずりながら、屋上の北側フェンスへと歩く。ここは駅の方面が見下ろせる場所だ。
「単刀直入に聞きたいんだけど、当夜、本当にどうしちゃったの?」
「……」
当夜はしばらく黙り込んだ。
「そんなこと、大した問題じゃないだろうに」
「問題だよ!!」
小町はそう発して、意外にも響いた自分の声に驚く。
「ご、ごめん……」
咄嗟に小町は謝った。
「いやぁ、その……やっぱり普段の当夜でいてくれないと調子が狂うといいますか……」
「……」
「脚本が感動的……なのは分かったけど、やっぱりもうちょっと明るい当夜でいてほしいなぁ……と」
いつもと立場が逆転、小町の方がたじたじといった様子で話かける。
「わ、私も当夜にそんな感じでいられるとなんだか変な気分になるというか、心配になるというか……」
万智は遅れてそう付け加えた。
当夜はなおしばらく黙っていたが、風が吹き付けるのと同時に口を開いた。
「そうか、ごめん、別に心配させるつもりじゃなかったんだ……」
優しそうな表情を浮かべる。
「でも、なんだか心にすっぽり穴が開いたみたいで……」
「それは、あの脚本を読んだから?」
小町はそう尋ねる。心なしかその声は震えていた。
「ああ、そうだね」
「ほ、他に何か嫌なことがあったりとかは……ない?」
「そんなことはないよ」
万智はその言葉を聞いてほっと一息ついたが、小町の方はまだ少し表情が強張っているようでもあった。
「そ、そっか……」
何かが引っかかる、そんな微妙な小町の表情を万智が見る。
「まあそれならいいや、突然連れ出しちゃってごめん」
「いいよ、というか、僕も毎度毎度小町に振り回されっぱなしだからね」
万智は二人から一歩後ろでそんな当夜の言葉を聞く。
その一歩が遠く見えた。
そして、結びつけたくはない事柄が頭に浮かんでくる。
(夜な夜なしてるって……なんのことなんだろう……)
当夜はそのまま二人と別れて食堂へと向かう。他の二人は弁当を持ってきていた。
二人が教室へと帰還する。すると、咲哉をはじめとするクラスメイトたちが駆け寄ってくる。
「な、何があったんだ!?」
「いやー、ちょっと屋上に呼び出して当夜とお話をしようと」
「……学級委員としてはその行動は看過できないのだけど」
「それどころじゃなかったでしょ!!」
小町はものすごい剣幕で成瀬に言う。
「は、はぃぃぃ」
迫真の小町の表情に成瀬は怯えた。
小町の方も、言ってみて自分がやたらと真剣になりすぎていることに気がつく。
「いや、屋上の件は今後控えます……」
気がつくと小町も成瀬もしょんぼり沈んでいるような雰囲気になった。
「それで、結果は……?」
咲哉が話の続きを聞く。
「……やっぱり脚本に感動してたみたいで、でも、ある程度はいつも通りに戻ってくれたわ」
「そっか、そうなんだ……」
咲哉は一瞬暗そうな表情を浮かべ、すぐ笑顔に訂正した。その変化は小町だけがか受け取っていた。
「やっぱり、いつの当夜じゃ調子が出ないから……」
このメンツの前でも小町はさらっとそんなことを口走っていた。
「それにしても、当夜があんなに感受性の高い人間だとは思わなかったよ、咲哉の名脚本とはいえ」
「よせよ月見野」
平和な会話が戻りつつある頃、横で成瀬が小さく手を挙げて反応を待っていた。
「……どうしたの、成瀬さん」
「提案があります!!」
成瀬は力強くそう言った。
「そんなに当夜くんがこの物語を気に入ったなら、今回の主役に大抜擢しちゃえばいいんじゃない?」
「えっ!?」
「おおっ!!」
何人かが驚き、オーディエンスも合わせた他大多数が歓声を上げた。
後者の中の一人、咲哉が言う。
「確かにそれは名案だな……」
「ちょ、咲哉!?」
思わず皆の前で咲哉のことを呼び捨てにする程度には小町は動揺していた。
「そして……」
会場のボルテージの高まりと共に意気揚々としてきた成瀬がさらに畳み掛ける。
「ずばり、ヒロインは小町さんに!!」
「ええっ!?」
小町は視界が反転するかのような心地を味わった。