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ポエマー

 まるで世界から色が消えてしまったかのようにその日は沈静していた。

 どんよりとした曇り空に、必要以上に部屋を照らし上げる教室の電灯。

 まるで止まった心に無理やりエネルギーを送り込んでいるかのようだ。

 

 ――不気味でならない。

 いや、個人レベルとしては多少気持ちが分からないでもないのだが。

 確かに、感動するような作品に接した後は多少センチメンタルな気分にもなるだろうし、いつもの活力が一時的に喪失することもあるだろう。

 

 だが、こういうものというのは往々にしてその良さを理解できない人がいる。感動など主観的なものでしかない。

 きっとこの教室の中でも、読んでみて全く感動を感じなかった生徒だっているはずだ――僕のようにまだ読んでいないのは除いて。

 

 それなのに、今渦巻いている感傷的な空気は教室全体に広がっている。感動はそうやって伝播するものなのか……?

 というかそもそも、たとえ僕がどんなに良い作品に巡り合ったとして、それをこんなに表立った態度に出すことはないだろうに――

 

 個人レベルでも集団レベルでも理解できない。そんな気がした。

 長い長い授業という名の暗闇を抜けて、帰りのホームルームで異様な空気感を案ずる押上先生の声を聞いて、ほぼ唯一の平常運転者である小町が下校を共にしようと誘ってくるのもはねのけて、僕は真っ先に家に帰った。

 

 どれだけ咲哉の脚本が優れたものなのかは知らないが、こんなヒステリックな光景を見てしまった以上、もう自分は冷静にこの作品を見ずにはいられないだろう。……少し惜しいことかもしれないが、さもなければ自分もあんな異様な雰囲気に加担していたかもしれないと考えると虫唾が走る。

 

 家に着いて自分の部屋に籠もり、背筋を伸ばして机にその脚本を置いて、深呼吸をしてから当夜はその冊子に手を掛けた。

 

 

 

 朝だ。

 昨日までのどんよりとした曇り空が嘘のように、今日は頭上に青空がなみなみと広がっている。

 それと連動して気分も晴れやかだ。


 ――唯一気がかりといえば、昨日の放課後に当夜に声を掛けたときに冷たくあしらわれたことくらいだけど……まあ、私なんてそのくらいの存在でしかないのかもしれない。

 

 最近は当夜と登下校を共にすることもめっきり少なくなった。それもそうだ。普通のクラスメイトの男女が登下校を毎日のように共にするというのは本当は不自然なことである。――そのくらい、本当は分かっている。

 

 まあ、それでいいのた。それが私の望んだことだから。

 

 学校の最寄り駅の駅舎を出ると、風が心地良い。髪が風に吹き慣らされる。

自分のもやもやを吹き飛ばしてくれるよう――なんて、そこまで言い過ぎるとなんだか無理してそう思い込んでいるみたいか。


 そんなポエマーみたいな態度を戒めて、緑が茂る学園通りを歩く。一人この光景を眺めているのも、別にそんなに悪いことではない。

 足に伝わる石畳の感触が、いつも一歩踏み出す勇気を与えた。

 ――これもポエムライクか。

 

 とりあえず無理に感覚を言語化することをやめて、脳で情報を処理しないままに学校まで歩く。校門をくぐると、特に自覚するでもなく次の瞬間には昇降口にいた。

 

 ……そして出会う。――追いついたのか、はたまた追いつかれたのか。ともかく、私の目の前には彼の姿があった。

 

 逃げ惑うわけにもいかないし――そもそもそんな理由なんてない。

 とりあえずニュートラルな挨拶を投げかけてみる。

 

「おはよう、当夜」

「……ぁぁ、ぉはよう……」


 異変に気がつく。明らかに元気の無い声だ。

「どうしたの?なんだか元気無さそうだけど、具合でも悪い?」

 ――悩みを抱えてそうとか、そういうレベルではなく、もうすぐにでも消えてしまいそうなくらいに弱々しい。


「……いや、僕は元気だよ――」

 あ、戻った。――今度はそんなに弱々しい声でも表情でもない。ただ、一つ付け加えるとすれば、なんだか遠い目をしている。

 

「ただ……人間って儚い存在だよなって――そんなことを思っていただけさ――」


 そう口にする当夜にためらいはない。――後で思い出したら恥ずかしくならないのかと思うが。

 というか、当夜は普段こういう感じの人間じゃないだろうに。何があった。

 

「えっと……何もなかったようには見えないのだけど、まあ、元気……ではあるのかな……?」

「まあ、それにどんな意味があるのかは僕には分からないけどね、君がそう言うならそうなのかもしれないね……」


 ……元気なのかそうじゃないのかはっきりしてくれないか、と純粋にそう思ってしまった。とりあえず、今すぐ倒れたりすることはないだろうけど――

 そして二人は上靴に履き替える。小町は自然に当夜と並んで歩こうとする。

 そして再び、自分が無意識のうちに当夜と横並びになっていることに小町自身が気が付く。

 

 少しの躊躇はあったけれど、もうそのことは別に不自然でもなく、続ける。

 自然体で――そう思いながら小町は普通に歩いた――

 

 小町が階段まで差し掛かると、当夜は小町のはるか後ろにいた。

「っておっっっそ!!!」

 小町の驚きの声を聞いてもなお当夜はその牛歩をやめようとしない。慌てて当夜の元まで駆けていく小町に、


「そんなに焦ることはないじゃないか、急いだって、それに何の意味があるというんだい――時間的な広がりは心の広がりなんだよ――」

「……はい?」


 その後、小町は無言で当夜を引きずって教室まで連れ込んだ。

 

 


「……なるほど、事情は分かった」

「で、でもいきなりどうして……」

「分からない……」

「たまたまその時、ってこともあるかもしれないし、一度試してみようよ」

「それもそうね」


「それじゃ、僕と咲哉でまず行ってくることにするよ」

「お願い……当夜の運命はあなた達に……」

 祈るようにして小町は月見野と咲哉を見つめる。

 万智と成瀬もそれを見守る。

 

 朝の教室、当夜のいる方とは反対の教壇側に総結集した彼らは、事の次第を知って作戦を立てていた。

 

「当夜、おはよう」

 月見野が平然と当夜に声を掛ける。まだ当夜の異常に実感が湧いていないのもその平然を保てる理由の一つだ。

 

「ああおはよう二人とも、今日も太陽は遠いな、友よ」

「お、おう、ところで最近何かあったりしなかったか?」

 咲哉が偵察する。

「変わったことなんて何もない、ただそこには気づきがあっただけさ」


「……気付きというのは?」

 ぐっとこらえて、冷静に尋ねる。

「そうだな……一言でいうなら、人の虚しさ、儚さだろうか」

「それはどうして気付くに至ったんだ?」


「心の琴線に触れる言葉が人を動かすんだよ、楽しませてもらったよ、咲哉」

「……もっと具体的にいうと……?」

「おいおい、そんなのは野暮じゃないか、言葉で表しきれないものこそが本当に価値があるものだというべきだろう?」


「僕はしばらく遠い世界に思いを馳せていくことにするよ。人間に必要なのは悠久の時間だからね……」

「それってもしかして、咲哉の脚本を読んでってことか?」

「……」


 当夜は何も答えなかった。しかし答えはもう明らかだった。

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