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神聖なる文書

 朝のホームルームが始まる。押上先生が一通り連絡事項を述べた後、咲哉が教壇に上がった。

 

「それじゃ、昨日予告していた通り台本を配布するので、後ろに回してください」

 そういえばこれが今日はあった。

 

 前の方にいる生徒は皆、後ろの席に台本の束を受け渡すと、すぐにその台本をパラパラと読み始める。やはり、自分達がやる劇の内容はいち早く知りたいものだろうし、加えてクラスメイトが書いた台本とあればなおさらなのだろう。

 

 配り終えて、咲哉は自分の席へと戻る。それですぐに朝のホームルームは終わった。

 

「すげぇな……結構本格的だ……」

 当夜は台本を読み進めていく。

「咲哉、こんなの書くんだなぁ……」

 思わず小町の方を見る。

 

 小町はどう応ずるべきか分からなかったが、とりあえず微笑んだ。

「はは、私も知らなかったなぁ……」

 ――そんなことはないんだが。

 

「でも、配役どうなるんだろ……」

「……当夜はやっぱり主役が希望?」

「え?そんなことはないけど……」

「というか、そういうのは小町の得意分野なんじゃないの」


「い、いや、私はあんまり……」

「演劇は意外となの?」

「ま、まあ、そんな所かなぁ……」


 まもなく一時間目の始まりを告げるチャイムが鳴った。

 

 

 相変わらず退屈な授業だった。

 別にやってること自体はそれほどつまらないものではないのかもしれないが、人の話を五十分もの間座ってじっと聞いていることがそもそも性に合わない。

 大学に入ればこれが倍になるというのだから驚きだ。

 

 暇なのでさっきの脚本でも……と思ったが、授業中に読むと集中できなそうなのでやめた。先生の話を聞き流しながら読むことによる集中力の低下と、一応まだわずかに残っている罪悪感ゆえだ。続きは昼休みか家ででもゆっくりと。

 

 しみじみと、もう文化祭の時期なのか……と当夜は思う。――自分はまあ大して関係のある人間ではないだろうが――という留保を加えつつ、文化祭の時の学校の浮足立った空気感を思い浮かべてみた。

 

 ――性に合わないといえば合わないが、別に悪い気はしない。こういう空気に浸れるのも、日常では中々体験できない貴重な体験だ。まあ、そんな「非日常」というレッテルを貼ることで必要以上に美化されがちなものではあるかもしれないが。

 

 少し自分の日常を振り返ってみた。非日常を浮かべると、自分の日常がより鮮明に見えてくる気がする。

 少々の友人と細々とした交流を保ちながら地味な学生生活を送っていた一年前。それと比べたら、今の自分の生活はなんて華やかなんだろうと思う。

 

 ――別にそれを喜んでいるわけではないが。多分。

 偶然にもここで万智と再会して、小町のような不思議な美少女にも出会った。それでいて今、咲哉が意外性を発揮して文化祭を先導しようとしていて、僕はいつもそんな彼らに振りまわっされぱなしだ。

 

 それでいいのだと思う。別に良し悪しの決定を委ねられたわけでもないのに、勝手にそんなことを思ってみる。

 今、身の回りの全てはうまくいっている。安定している。一年前の自分こそ安定の象徴といえる存在だっただろう。だからといって今が安定していないわけじゃない。言うなればこれは、動的な安定だ。

 

 ――このまま安定が続くのなら、何も壊れない。

 僕の周りの世界はずっと安定して、僕はそれを観測し続ける。感情は最低限人間らしい程度に発揮する。余計な心を持たない。ただなるがままに任せる。

 

 そんなことを考えていたら、チャイムが鳴った。授業時間は授業以外のことをしていれば、案外短く感じるものだ。なんだか矛盾している気もするが。

 

 そしていつもの休み時間へ。

 

 

 

 時間割が下に動いていくごとに、少しずつ教室の空気が変わっていくのが感じられた。当夜は首をかしげた。だんだんと教室はしみじみとした空気に包まれる。

 まあ、座って授業を聞いている時間など陰鬱そのものなのかもしれない、と初めは当夜もあまり気にしていなかった。

 

 昼休みになる。いつもなら愉快に生徒達は教室の外に駆け抜けていくが、今日はそうではなかった。

 

 当夜は少し気がかりだった。だからといって何か手がかりがあるわけでもないので、当夜は月見野の所で昼食でも食べようかと思ったが、そこで小町に呼び止められた。

 

「当夜ー、いつもみたいに一緒に食べないの?」

「僕はあくまで隣に座っているというだけのつもりだ」

「そ、そんなぁ……」

 小町までしみじみとした演出に加担する。

 

 演技派にたぶらかされていることを嘆く前に、当夜の体には寒気が走った。……今日の教室のこの陰惨な空気は、一体何なのか――?いつもの小町の演出さえも今日は不気味に思える。

 

 そして日常を取り戻しに行くがごとく、当夜は月見野の席へと向かう。

 

「おーい、月見野?」

 一人ポツリと自分の席に座っている月見野に声を掛ける。

「あ、当夜か」

 そう言って月見野は振り返る。


 いつも通りの反応に思える。ほんの少しだけ安心した……のも束の間だった。

「えっと?月見野?な、何かあったのか……?」

「いやなんでもない、ただ素晴らしい筋書きに心を打たれていただけだ」

 その手には脚本、そして、その目には涙が浮かんでいた。


「泣くほどか!?」

「そんな無粋なことを言わずに読んでみるといい、感動するぞ、とても」

「……もしかして、今のクラスの空気って?」

「みんなこの物語の感動に心を震わせているに違いない、このストーリーの前には現実の戯れなど虚無に過ぎないんだよ……」


「えっ……と、よく分からないけど…、そうなんだ」

「当夜も早く読んだほうが良い、早く読めば読むほど人生豊かな心でいられる時間が長くなる」

 大げさに目をこすってみせながら月見野は感情のこもった声で言う。

「お、おう」


 からくりが分かってなお不気味さは増幅して、当夜は持参した弁当を撤回して自分の席まで戻る。

 小町の方は平常運転。――安心できる日常はこっちの方だったようだ。


 当夜は誰かに、この脚本の何が面白い――?と聞こうとしたが、なんだか無粋な気もするし、物語の楽しみを損ねてしまいそうなのでそれはやめにする。……これだけ人を虜にする作品ならば興味も湧く。――今はそれより不気味という感触の方が強いが。

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