悪魔
「普通に会いたい人がいるみたいなこと――」
なんだか軟弱な文法で万智ははぐらかす。
「……でも、普通人に『告白したい人がいるらしい』って伝えるのって中々難しいとこだと思うけどなぁ……その辺はどうやったんだろ?」
――これは……これは純粋な疑問だ。尋ねている相手こそ私一人しかいない。なんたってこの場は当夜と二人っきり――だから。でもその矛先は私自身に向いているというより、事象そのものに向いている。いわば純粋な好奇心だ。しかし一度経緯を詳しく喋れば恥をかくのは私である。……純粋な好奇心ほど無害に見えて恐ろしいものはない。
「ええっと、だからぁ~、『会いたい人がいる』って言ってその後に『実は当夜なんだけど~』って」
もじもじとしながら伝える万智に、当夜は混じり気のない純粋な声で再び疑問を発した。
「うーん、でもそれじゃあ告白するとは分からないよなぁ~?」
――空中に疑問をぶつけているようで、聞いている相手はまたしても他ならぬ私。
「もっ、もう!!私が早とちりして当夜から告白されると思ったんです!?何か悪いですか!!?」
万智は恥ずかしさのあまり吹っ切れた。頭に血が上って顔が真っ赤になるが、それは怒りの仮面を被った恥がゆえだ。
「い、いや、なるほど……」
「なるほどじゃなくて!!だいたい当夜もいじわるすぎるでしょ!!誰だってこういう勘違いはあるんだからわざわざ追及しないでよ!!」
「えっと、その、ごめんなさい……」
別に万智に恥をかかせようという意図もなかった当夜からしてみれば、とりあえず謝ることくらいしかやることはない。というか万智がここまで昂ぶる――じゃなくて怒っているのは久しぶりに見た。というか転校してきてから初めてだろう。
「……当夜だって誰とも知らない女の子に告白されると思って鼻の下伸ばしてたくせに」
「そ、そんなこと――」
「どうせ私の――」
万智はそこまで言い掛けてやめた。恥の上塗りでしかない。
感情が恥の方向から逸れていた。強いものに引きつけられたのかもしれなかった。しかし、それはただの恥よりもっと決定的なものだ。万智はそれを認識することさえも避ける。
「い、いや、ごめん、なんでもない、ちょっと興奮し過ぎた」
「う、うん」
――今、「私の――」と言わなかったか?それとも気のせいだろうか……
「と、とりあえず戻りましょうか」
「そ、そうだね」
当夜と万智はその青春空間を後にした。
人目を忍びながら校舎裏から出る。来るときはそれほどには意識しなかったが、今となっては事情が違う。男女二人で校舎裏の方から出てくる様子を見られると……つまりそういうことだ。
校舎正面の人通りがまばらにいるエリアまで来ると、安堵と同時に当夜と万智の間に妙な空気が流れる。緊張感という敵がいた時にはそれが連帯感だったけれど、安心できる環境に置かれるともっとおかしな方向でそれは感情を揺さぶるものになる。
この微妙な時間に昇降口をくぐる自分の姿を、当夜はなんだか不思議に思ってしまう。なんだかやる必要のないことを無理やりやらされているような、徒労に巻き込まれているような気がしたが、それは単なる気というよりは小町を元凶とする客観的な事実だった。
当夜が先に教室に向かう。何も言わない。だが万智はその後ろに付いてきた。
――別にその必要はないし、そんなことをさせると何だか用事もないのに一緒にいるカップルのように思える。
そんなことを考えながら当夜は段々と鼓動のリズムと連動した足の動きを早め、万智もそれに追随した。
――とりあえず無心になろう。そう考えながら当夜は歩く。その安定しない足
の動きは雑念の象徴でしかなかったが、とりあえず心がけはそうだった。
――堂々と歩く。なぜか万智がすぐ後ろに追随して、ただの廊下ウォークが余計なハードモードと化しているが。――そもそも今まで万智と二人の状況にこんな感情を味わっていただろうか?
楽しそうに喋っている生徒の視線が自分に向くよりも早く当夜は進む。万智もそれに追随する。……わざわざ前後で並んで男女二人で歩いていることにそれほど関心を抱く生徒も本来はそんなにはいないのに、それを必要以上に気にしている二人だった。
そして教室の前にたどり着く。……ここはゴールでもなんでもないし、むしろ最大の試練ですらある。なぜなら当夜が女子を侍らせている時に一番ネタにされやすいのはこの空間だからだ。
にも関わらず、あまりに慣れすぎたがためだろうか、当夜はむしろ「ゴール」といわんばかりの安心した気持ちで教室の扉を勢い良く開く。
結果としてその扉の音は必要以上に大きく響いて、当夜はいつものように教室の生徒の注目を集めることに成功した。
「あっ、休み明け早々見せびらかして……」
「結局、本命はどっちなのか分からないよね……」
ちなみに、もちろん当夜にそんな意図は無かったのである。
当夜は顔を赤らめながら慣れた俯き加減で自分の席の辺りまで進む。万智も同様だ。
当夜は一方で恥を抱えながらももう一方では堂々たる決意を固めて歩いていた。
それは――
「小町、ちょっと話がある」
周囲のざわつきにも動じず自分の机の天板の方を向いて作業をしている小町に当夜が声を掛ける。
「お、おお~」
真っ先に反応したのは小町ではなくオーディエンスだった。
「こっ、これは修羅場か……?」
「万智さんが逆襲する感じかな――?」
「いや、一度二人きりになったのはふったりふられたりした後なんじゃないの?」
――好き放題言う周囲の発言を耳にしながら、当夜は毅然とした顔付きで小町に向かう。――いや、でも、流石に聞こえ過ぎではないか、もう少し本人に聞こえないようにできないものか。まあ、陰で言われるのもどっちも嫌ですけど。
「あっ、当夜、おかえり~」
「それで、例の件、どうだった?」
ほぼ自白並みの匂わせ方をしながら小町は素敵な笑顔を浮かべる。「私、いいことしちゃったな~」とでも言いたげだ。
「言いたいことはただ一つ――」
「人の純情を弄ぶな!!」
「おっ、おおお~」
さらに湧き立つ。――いや、湧くなよ。見世物じゃねぇぞ。
「こ、これは、思いの丈をありのままにぶつけにいく告白か?そうなのか?」
「あ、熱くなって来ましたわー」
またまたクラスメイトは勝手なことを言う。流石にデリケートすぎるのか、今度はちゃんと当人達に聞こえない声量で話していた。
「……?」
小町はかわいらしく首を傾げる。見ている当夜もこれには思わず笑みを――いや、今はこらえろ。
「かわいくとぼけようとしても無駄だぞ!!小町はいつもそうだ!!」
そしてオーディエンス。
「ほ、ほら、やっぱり――いつもお前は自分の魅力に無自覚なんだよ!!俺が今までどんな思いをしてたのか知らないだろ!!……今から教えてやるよ――だって!!」
「キャーッ!!」
ちなみ悲鳴だけ当夜には聞こえている。
集団妄想は加速して危険領域へと突入していた。一方で当夜は至って真剣である。