満足(意味深)
――正直何をすれば良いのか分からなかった。多分そういう状況になってしまうだろうと前々から思っていたけれど、それでもどうすれば良いのか全く分からなかった。
久しぶりに顔を合わせる。それは重要な意味を持つイベントだと思う。でもそれが起きたからといって根本的に何かが変わるわけではない。心理的な距離が少しだけ縮まる、だとかそういう類の影響があるだけで、僕らを形作っていたものがその日を境に急に変質するというものではない。
――小町に申し訳ないと思う。彼女だって、わざわざ僕の人間関係の細部にまで踏み込みたいとは思わないはず――いや、だとしたらどうして僕達に介入してこようとしているのだろうか……?
当夜は少し考えた。小町のことをひたすら一途に考え続けるというこの構図をメタ的に恥ずかしく思ったりもしたが、ともかくそんな冗談じみたことはおいておけるくらいにはこの疑問は重要な気がした。
――いや、多分それは、恩返しみたいなものだろう。僕は一度小町を助けた――ということに彼女の中ではなっているらしいから。
だからこそ、彼女はあんなに熱心なのだろう。きっとそうだ。
いつものように駅に着く。今日も二人組がいるだろうかと思ったが、ロータリーに出るといたのは万智だけだった。
「「あっ」」
お互いの素っ頓狂な声が重なり合う。視線が交錯して、当夜と万智は言い逃れが効かなくなった気がした。
「お、おはよう」
「うん、おはよう」
まるで付き合いたてのカップルのような恥じらいを二人は見せた。
当夜にはこの状況が生じた理由は明らかだった。それはきっと小町が気を利かせたということなのだろう。
そして、万智は――
――小町がいないこんな状況の中、自分がこの場所にわざわざ立っていることにどことなく非現実感がある。まるで私が……必死になっているかのようだ。
小町と一緒に、というのがどこか口実のように働いていた部分があった。でも今はそれが解けている。
逃げ出したいような、こうしていたいような、複雑な気持ちだ。確かなことは自分の心が遊離しているということだけだ――
「あのさ」
当夜はいきなり切り出した。そうしなけばいけない気がした。自分だけのことであれば、こんな拙速な行動には出ない気がする。でも今は小町が絡んでいる。
小町が恩を返そうとしている――それでわざわざこういうセッティングまでしてくれているのだ。
であれば、すぐに行動しなければならない気がした。小町の期待に応えるべきだ、という気がした。
「なんか……ごめん」
理由も述べずいきなり謝るのは卑怯かもしれない。でもその理由を述べるのはそんなに簡単なことではなかった。内心「そこは許してほしい」と当夜は唱えていた。
「えっ、えっと……いきなりどうしたの?そ、そんな謝られるようなことはされてないと思うけど……」
万智は唐突に切り出した当夜に驚きをもって応じる。皮肉なことに、この瞬間がここ最近の当夜に対する会話の中で万智が一番饒舌な瞬間かもしれない。
「その……僕はなんというか……万智との距離感が分からなくなっててさ」
「なんというか……万智を遠ざけるような振る舞いをしていたのかなって……」
「いや、もちろんそんなつもりは無かったんだけど……」
色々な言葉を当夜は重ねた。
「う、ううん、そんなことは――私は十分満足してるから――」
万智はそう言った直後に自分の言葉に違和感を覚えた。「満足」……?――その言葉は何だか――
「あっ、いや、別に変な意味ではなく……」
万智は咄嗟に注釈を付けようとする。その様子が逆に万智の発言を目立たせているような感もある。
「あっ、うん」
当夜は突然そう言われて動揺した。反射的に簡単な返事を返す。その後で万智の言った言葉の意味を深く飲み込んで……跳び上がる。
「い、いや……まさかそんな意味では取らないから!!断じて!!」
――「満足」を性的な意味で取るなんて中々高度な気もする。わざわざそんな注釈を付ける必要なんかないだろうに。万智は一体何を考えているんだろうか。
万智は当夜が動揺しながらそうフォローする様子を訝しく眺める。――どうしてこんなに慌てているのだろう。なんだか自分の気持ちの奥底を見透かされているかのような――いや、私は何を考えているんだろうか、気持ちの奥底なんて、そんなものはない。
「というか、万智がそういうことを口にするとは……」
当夜が半分場を和ませる意図で言った。
……万智はドキリとする。本当に何かを見透かされているようだった。自分がその存在を否定している何か、しかし自分の言葉の端から漏れてしまっているそれを、当夜は捕らえて逃さない。そんな風に思える。
一方の当夜は、爆弾発言を大事なシーンでかましてきた万智が何を思っているのか図りかねていた。かたや何も言えずに深刻な表情の万智がいる。
そんな深刻な万智の表情を察して、当夜は万智の心情に思いを巡らせる。――なるほど。これは言うべき所でないのに爆弾発言をかましてしまった時の気まずさだ。間違いない。
――とすれば、あまり掘り下げるのもかわいそうだ。
「な、なんかごめん……ちょっとデリカシー足りなかった」
明るい朝に浮かぶ気まずい雰囲気の中で当夜はそう言った。
「う、ううん、当夜が謝ることはないって!!」
何も悪くない当夜に変な空気の解消を押し付けてしまい、万智は申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「わ、私が変なことを口走ったのが悪いから……」
そのことに本人が言及し始めて、当夜は落ち着く。事態に言及することさえままならない状態が一番気まずい。笑って反省できる所まで至るのが気まずさの解消の最終地点だ。
――笑って反省、少しそれは早い気もする。だから自分のことを持ち出してフォローしておこう。
「僕も思いがけずたまにそういうこと言っちゃうことあるから――そんなに気にしないで」
そう当夜が言った後で万智が硬直した。――あれ?まだこういうことも言ったらまずかっただろうか……?なんだかんだでまだ小トラウマに触れてほしくもない状態だってことか?
……一方で万智は動揺する。「僕も言っちゃう?」それは何に対してだろう?「僕も十分満足」?……それは不自然で、訳が分からない。そんな言葉を発するシーンがこの世の中でそう多く存在するのだろうか……?
「えっと……どういうこと?」
――誤解を誤解のままにしておくのが人間関係のこじれを招く。やはり幼馴染として、ここはちゃんと聞いておこうと万智は思った。もしかするとそれが墓穴を掘ることに繋がるのかもしれないけど。
「い、いや……」
わざと明け透けというのは避けていたのに。詳細を問われて当夜は怯む。でも問われたからには一点の曇りもない明確な言葉で答えなければならないだろう。
「僕もそういうえっちな言葉をつい口走っちゃうことがあるから――と」
まあ仕方がない。聞かれたからには誠実に応えるしかない。
輝かしい晴天と豊かな緑に彩られる校舎の方へ、二人は校門をくぐり抜けた。