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心のコア

 流れは自然にその店を出る方向に傾いていた。なんだかこの店にとどまることが、当夜の発言の影をより強くするような気がした。それはお互いに恥ずかしいことだった。

 

 並んで歩く距離感――本当に毎朝のように経験して、慣れ親しんだものであるはずなのに、そして、自分が積極的に始めたことのはずなのに――小町はこの距離感の内に、照れくさいような気持ちとむず痒いような気持ちを交互に見出していた。

 

「ここの店とか、どう?」

 小町は手近にあった雑貨屋を示す。いきなり体の向きを変えた小町に、当夜が慌てるように反応した。そして顔を当夜の方に向ける。どれもこれもなんてことはない動作だが、当夜にはそのどれもが突然のことに思え、焦った。

 

「う、うん、そうだね」

 陳列されている小物を、時々手に取りながら小町は眺めてみる。手にとったのは、もちろん本心から気になったものだということもあったが、それ以上に、そうすることによってなんだか心の平安が保たれるような気がした、という理由もある。

 

 店のフロアーはそれほど大きくはなく、商品棚は狭めな感じで、どこかここが二人きりの空間であることを錯覚させる向きがある。それに加えて、今日は一応平日で、人はそれほどにはいないのだ。

 

 会話のない空気がなんだかじれったい。小町は、いつものように当夜をからかって騒がしい平穏を取り戻そうともしたが、それがなかなかできない。そして、それができない理由が、この空間に漂う静謐な雰囲気のせいなのか、あるいは自分の心の動揺のせいなのか分からなくなっていた。

 

「こういう所って、よく来るの?」

「へっ?」

 小町は思わず間抜けな声を上げてしまう。

 

「ま、まあ、それなりに……」

 言った後で、小町は実際にはそれほど来ていないことに気が付く。何を強がっているのだろう、と自分で内省した。

「そうなんだ」

 当夜は少しだけ表情を緩ませた。

 

「なんか、かわいらしいなと思って」

 ……よく分からない惰性のままに発した言葉がゆえに小町は褒められる。その言葉が発された瞬間、一瞬自分の心が弾んだのを感じたが、その感情はすぐに罪悪感のようなものに変容した。

 

「そっ、そうかな?」

 

 

 その後に二人が入ったのはとあるビルの中にあるカフェだった。

 ここの特徴は屋上に席があることで、西洋テイストの屋上庭園の空気を味わうことができる。

 屋上にはガラスの柵が張られていて、そこからは街並みも綺麗に見える。

 

「いやぁ、はじめ誘われたときはどうなるかと思ったけど……結構落ち着いたデー……感じになったね」

 当夜は気まずく言葉を詰まらせながらそう言った。

 

「落ち着いた、なんだって?」

 小町はその言葉尻を捉えて逃がすことがない。

「い、いや、デートが……」

 当夜は渋々ながらという感じで縮こまりながら言う。

 

「そっか~、当夜はもっと激しい感じのを期待してたかな~」

「いや、そういうわけじゃ……」

 小町はいつものように、少し身を乗り出しながら楽しげな表情を浮かべる。優しい緑に華やかな小町の姿は一層映えるようである。

 

「ただ単純に、突然小町が誘ってきたから、どういうものかなってしんぱ……思ってたけど」

「そっかそっか、あんなことやこんなことを期待してたわけだね、ふむふむ」


 ……こんな時に限って、こういうまやかしの言葉が出せてしまう自分を尊敬してしまうと同時に、少しだけ嫌いになる。

 小町は、当夜に自分の誘いのことを言及されて、急に自分の頭の中で何かが駆け巡っているような感触を覚えた。

 

 ……なぜ誘ったのだろう、と思った。この誘いは小町にとっても、普段やっているからかいという名の愛情表現(?)とは一線を画すものだ。小町が別にデートなんてなんとも思っていない、ということではない。

 つまりそれは……

 

 ――私は当夜のことを気にかけているのだ。それが事実。それすなわち――

 私は当夜という人間が、こんな状況でどんな行動を取るのか、気になってたまらなかった。

 

 突然私の人生の中に現れた当夜が、鬱屈した私の心を晴らそうとした行動には、それの行いを受ける自分からも注意に値したことはもちろん、その行動を第三者視点から観察しようとする自分の注意も引いていた。

 

 つまり、当夜から私が何を受け取るか、ということだけじゃない。それだけじゃなく、当夜自身が一体どういう人間なのか、ということ自体に興味が湧いた。そしてそれは、出会った直後から抱き始めた、不思議で運命的な感情だった。

 

 そして、その運命的な直感は、私と当夜の接触が蜜になるにつれて、加速度的に強くなってゆく。なぜなら――

 

 人に何かを与えられる人間が、何かを失ったことがある人間でないということはありえないからだ。

 

 ゆえに、もっと近づきたかった。彼に、今までの人生で見てきたどんな人にも見いだされなかった深みを感じ取ったからだった。

 

 そういう自分の、初めから貫徹していた思いを振り返ってみたときに、私が次にとるべき行動はおそらくもう決まっていたのだと思う。

 

「当夜、ところでさ――」

 落ち着いた声音で小町は切り出す。緊張するかと思いきや、この言葉を発した瞬間はそれほどでもなかった。

「ん?」


「万智さんと、何かあったの?」

 そう口にし終えて、小町には初めて、自分が重大な一歩を踏み出したかのような実感が湧いてくる。


 ――当夜の瞳は、どこまでも黒く、私の視線はその奥深くまで沈んだ。

 言ってみて、少し後悔が湧いてくる。もしかしたら、私が触れていいような事柄ではないのかもしれない、と。私はまだそんなことが許されるほどに当夜に近づけてはいないかもしれない、と。

 

 でもむしろ、今の自分が許される立場かどうか不安がるというより、それが許されない立場に自分がいる悔しさが勝った。だからこそ、許される立場ではないとできない行動をしてみようと思った。

 そうやって自分の心の動きを内省してみて、なんて自分勝手なのだろうと乾いた笑いが浮かんでくる。

 

 ……だけど、このことを封じ込めるのも、それはそれで正しいとは言い切れない気がした。

 多分人と人との関係は、正しいとか間違っているとかそういう次元の話ではない。動くままに動いて、動かされるままに動いている。それが現実な気がした。

 

「……どうしたの?」

 当夜は右も左も分からない子羊がごとくそう聞く。その表情は、何も浮かんでこない自分の頭に戸惑っているというより、感情と情報のオーバーフローに戸惑っているという感じだった。

 

 イエスかノーかでもなく、短答でもなく、まして正解があるどうかも分からないこの疑問に答えるのは難しい。だから、少し卑怯な気はしたものの、小町はこう謝った。

「ごめんなさい、どうしても気になって」


 ……この質問が相手の核心に触れるものであるかのように、小町は感じていた。だから、たとえ謝罪の言葉や気遣いの言葉を口にしたとして、その質問を取り下げることは考えられなかった。

 

 だんだんと、その質問の回答への要請が渇望のような形になるのを小町は感じる。それは単に一歩相手の方へ踏み出すというだけではない。その一歩、その境界線をまたぐ片足ともう片足ではまるで世界が違う。そんな気がする。

 

 そう思うと、小町の口からは自然とこんな言葉が飛び出す。

 

「ねぇ、私じゃダメかな?」

 

 人に理解されたいという渇望もあれば、人を理解したいという渇望もあるだろう。小町が抱いていたそんな感情は、まさしくこの言葉によって確たるものとして現前した。

 

 小町は意図していなかったが、「私じゃダメ?」とと言いながら首をかしげる小町の姿は、異性として当夜には非常に魅力的に見えていた。

 その表情、仕草は無邪気のうちに誘惑するような、見ているものに背徳的な高揚をもたらすような影を持っていた。

 

 それを前にして、当夜は今、自分の気持ちが小町に真実を打ち明けようとする方向に傾いていることを否定できない。

 かわいらしい相手の姿は、今やとてつもない力を持った何かに見える。

 

「っ……」

 声にならない声を当夜が上げる。真っ黒の烏がビルの合間を抜けて、風に乗ってどこかに去っていくのが見えた。

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