ラブコメの波動
「なぜこんなことをしたのか」という理由を尋ねられた所で、私が返す答えは単なる後付けにすぎないかもしれない。もちろん本当にその時点での本心を話せることだってあるかもしれないが。
――実際には、それは単なる照れからくる誤魔化しなどではない。本当に自分自身が、どれが実質であり、どれが名目であるのか分からない。そもそもそんな区別に意味があるのかということさえ怪しいのだ。
今の私は、ある種の使命に燃えていた。それは、自分のために用いるのではない。……だけど、それは万智さんのためなのかと言われると……私にも分からない。
そう思いながらも、いつもより気合いの入った服装で自分がこの場に臨んでいるのもまた事実だった。
当夜から、今日の予定を改めて聞き直される。……向こうだって、忘れたわけではないだろうに。そう不思議に思った小町だったが、改めてそれを聞かれてみるとなんだか自分が心に抱えているもやもやの在り処をピンポイントに指摘された気がして、少し心が震えた。
適当にショッピングと、復習しておく。元々その予定だったし、それとなくそう伝えておいたことだ。
実を言うと初めは海繋がりで、ショッピングにかこつけて水着でも見に行ってみようかというつもりだった。それがいつもの私の振る舞い方だ。
だが、直前になってどうもそういう気分にはなれなかった。それはおそらく万智のためだ。しかし、改めてそんな心変わりをした自分を眺めてみると、普段の自分は、当夜をからかうような真似をして一体何をしたいのだろうと思えてくる。
いや、それが楽しいのは事実だし、それが私の性に合っているのも事実だ。でも、どうして相手は当夜で、どうして他の行動ではなく「からかう」という行動で、どうして……という疑問が次々に湧いてくる。ーー私は怖くなってそれらの質問への回答を保留することにした。
そもそも、当夜もよく今回自分のわがままのような行動に付き合う気になれたよな、と小町は思う。小町はこういうときにわざわざ人の顔を伺うようなことはあまりしない。それが、当夜の思っていることが暗いベールに包まれているかのような感覚を小町に抱かせた。
ーー変な違和感があった。何か一線を超えているような気がしたのだった。私と当夜を隔てていた何かが今までにはあった気がする。そして、存在にはついこの瞬間に至るまで小町は気が付くことがなかった。
しかし、今この瞬間は、その隔てていた何かが消え去ってしまっているような気がした。――それが良いことなのか悪いことなのか、小町には分からない。
デパートに向かう。流石にあまりに女の子女の子している店に入って当夜の困らせる気にはなれなかったので、それほど敷居の高くない、男モノも女モノも取り扱っている広い服屋に入ってみることにした。
「ねぇ、……私が振り回しちゃって、大丈夫かな?」
「ううん、いいって、たまにはこういうのも楽しいし」
当夜の気遣いが不思議なくらい身に沁みた。
「そっか、ありがと」
小町は微妙な微笑みを浮かべながらそう言う。
「というか、こっちこそありがとう」
「ええっ、どうして?」
「いや、小町のことだから……てっきり水着を見ようとかって言われるのかなぁ……と」
「お望みだった?」
小町はほのかに、自分の中で火が付いたのを感じる。
「い、いや、別にそういうわけじゃ……」
「そっか……周りの女の子の冷たい視線を浴びることになってなお、私のプロポーションが気になってならないと……」
「そういうことじゃないって!!」
「えっ!?」
我ながら迫真の演技力だ、と小町は思いながら悲しみを含ませて驚く仕草を見せる。
「そっか、当夜は私の体には興味がないんだ……」
「いや、そうでもない!!もちろんあるから!!」
「えっ、公共の場でそんなこと言うなんて……おまわりさん呼ばなきゃ」
「ねぇ、僕はどの選択肢を選べば正解だったの!?」
少し抑え気味の声ながらいつも通りの当夜のツッコミが冴え渡る。
小町は当夜のそんな様子を見て、少し安心した。
やっぱりこうでないと、自分のペースが狂うな、と思った。
「ねぇ、頼むから水着だけは勘弁してよ……本当に」
当夜はしばらくして小町にそう囁いた。
小町はそれを聞くと、今日一番満足そうに微笑んだ。
女性モノの夏服が掛けられている所に二人は立つ。
「どう?こういう所に立ってみる感想は?」
「それ、どういう意図で聞いてるの?」
当夜はなんとも言えない表情でそう返した。
「いや、純粋に。男の子で、こういう所に来たらどういう感想を抱くのかなぁと」
「感想って……特に言いようもないと思うけどな……」
「ほら、かわいいなぁ~とか、羨ましいなぁ~、とか、僕も着てみたいなぁ~とか」
「ねぇ、最後の方おかしくなってるよね?」
「あらそうだった?心外ね」
「心外なのはこっちだよ!!突然何を言い出すんだ……」
「ふふっ」
小町は表情を綻ばせる。今日はいつもよりも笑顔が少なかったが、この瞬間はいつものように微笑んだ。
「??」
当夜は不思議そうな顔をした。別にこうやって小町が自分をからかいながら笑うのは珍しいことではないが、今日の空気の中ではちょっと異様な気がした。
「ううん、なんでもないの、ただ、普段通りにこうしてるのが楽しいなって改めて思って」
何を聞かれたでもない小町が、当夜の反応に応答する。いつもより優雅な装いをしていることとは対照的だった。
「普段通り……か」
当夜はその言葉に色々なニュアンスを感じ取る。良い響きのような気もしたし、今の状態がその言葉で片付けられてしまうことに対する不満が自分の中で湧き上がってくる気もしたが、気がつけば当夜自身はその言葉と今日の小町の姿が為すコントラストに目を奪われていた。
小町は当夜の視線を感じた。そして、「普段通り」。その言葉を頭の中で唱えながら、含みのある笑みをしてこう話しかける。
「ん?どうしたの?いやらしい視線を感じるけど?」
これが今までの時間が育んできた「普段通り」だった。とても俗っぽいようでいて、そこには結構な魅力がある。
当夜は少し黙った。慌てふためく姿を予期していた小町には、その仕草は予想外でもあった。
「あっ、いやごめん、ちょっと見とれてただけ」
「」
小町は閉口した。
突然飛んできた言葉に、どんな「普段通り」を返せばいいのか分からなかった。そんなことを意識した瞬間に、自分の前に普段通りにはいかない文脈が立ちふさがるような気がした。
……万智に対して思うことこそ、小町にとってのそういう文脈だった。だとすれば、自分の頭はこの瞬間からもっと冷ややかになっていくのだろうと小町は予想した。
だが実際にはそれは熱を持って。
「えっ、えっと……それってどういうこと?」
「いや、なんだか今日の小町さんの姿が綺麗すぎて、こういう普通の店には似合わないなぁ、なんて思ってさ」
当夜は照れくさそうに手を頭の後ろに回しながらそう言った。
恥ずかしいことを言っているのは相手の方のはずなのに、小町はなんだか自分だけが恥ずかしい思いをしているような感覚になった。
それに加えて、自分がわざわざ今日の日のためにこういう装いをしてきたことが強く意識されて、そんなおめかしの裏に隠された自分の思いまで透かされているような気がした。
いつも自分がからかっていて、それによって自分はやすらいでいたようなものを、そんな言葉を発せられてはなんだかテンポがずれてしまうような心地がする。
「そ、そうかな、ありがとう……」
その「ありがとう」は開かれておらず、恥じ入る心に閉じているようだった。
自分が浮かべている笑顔が、果たして照れ隠しの色を隠しきれているだろうかと小町は不安に思う。
一方で当夜は、そんな風な小町の様子をますます美しいものとして眺めていた。
しかし依然として、自分よりも相手の方がラブコメの波動を感じ取っているということを察しなかった。
小町はまたいつもの脈拍を取り戻して、店内を歩き始める。
(なんか、調子狂うな……)
複雑な思いの中に、一瞬だけ湧き上がった熱に、小町は戸惑っていた。