美少女との逢引
不思議なくらいに踊る心は止まなかった。
ただ今までからかわれてきて、そして今から起こることもその延長線上にあるようなことなのに、不思議と高揚が募ったのだった。
自分が理性を失っているのではないか、と一瞬疑問に思った。だが、それは違うという反問が自分の中で生まれるのを感じた。
それはこう言う。
そもそも魅力的である小町の魅力に目を瞑っていた今までの自分こそがむしろおかしいのだと。
そんな、ここ数日何度か湧き上がってきた言葉を反芻してみては、当夜は少し嬉しい気持ちになった。
難しい思索とかそういうものではなく、ただ目の前のことに没頭できる自分。その感覚がとても久しぶりで、良い心地になれた。
今まで幼稚だと切り捨てていたものが、これほどまでに大人なことに見えてくるのは一体どうしてなのだろう。
そんな気持ちで自分がいつも使っている、高校の隣駅の都会的な風景を見ていると、見慣れたはずの景色が、なんだか始めて見たときの高揚感を自分にもたらしているような気がした。
時代の流れに十分に逆らって、立派な威容を持って屹立している百貨店のロゴ。絶え間なく流れる人々に、絶え間のない情報を提供している電子広告。ホームに入線する電車と、出発する電車の音がどうやら重なってているらしい音。頭上に流れる、機能美に優れたモノレール。その全てが新鮮で、新しい意味を持っているかのようだった。
今当夜が立ってる場所、駅のペデストリアンデッキの傍らには、都会に眩んだ目を癒やすための申し訳程度の植え込みがあり、当夜の真上には半透明のガラスを傘にしたシェルターがあった。
どうやら、今日の待ち合わせ相手はこの辺りに住んでいるらしかった。……それは元々当夜も察していたことだったのだが。
ペデストリアンデッキのエスカレーターを眺めていると、そのから上がってくる顔が目に入り、やがて当夜の視界には全身の像が浮かんだ。それは間違いなく、小町の姿であった。
小町はエスカレーターを上り終えると、なんとも整った笑顔を浮かべながらこちらに駆け寄ってくる。なんとも、自分のためにしていることとは思えない、自分をなんだかカメラマンか何かのように錯覚してしまう。そんな光景だった。
だが、小町がその足を止めて、当夜に「おはよう」と挨拶したとき、急にその光景に現実感が湧いてきたのだった。
「おはよう」
半ば上の空、といった状態で当夜はそう口にした。
目の前で起こっていることが現実に近づいていけばいくほど、今度はまた非現実に戻っていくような気がした。
「ごめん、待たせちゃった?」
「ううん、そんなことはないよ」
「そっか、それなら良かった」
定番の挨拶を交わした所で、二人は分かったようにペデストリアンデッキを北側に歩き始めた。
少しの間沈黙が広がる。すると、周りの視線が若干こちら側に向いているのが気になった。
当夜は、周囲の人も自分と同じ気持ちなのだろうか、と推測した。
傍らにいる人間はあまりに美しく、それこそ目を奪われてしまう存在だ。一つ違う点は、当夜はあまりにその人の近くにいすぎていて、却って直視することが恥ずかしく感じられたりもするということだろうか。
歩幅を合わせようとして、当夜は半ば必然的に右隣にいる小町の姿を垣間見る。一度見る口実ができると、もうずっと見つめていられるような気がした。逆に、見る口実がないときは、たった一度頭をあちらに向けることさえ恥ずかしかった。
「……その服、かわいらしいね」
「らしい」なんて言葉を使って少しだけ客観視の照れ隠しをしてみせる。こうでもしないと、はっきりものも言えない気がした。
白地の肩が開いたブラウスに花柄。一転下にはベージュのタイトな落ち着きのあるロングスカートを履いている。
十分に目を引くコーディネートでありながらも、本人の魅力を邪魔しない程度に落ち着いている。
……なんて当夜が見ていると、ブラウスから覗いた肩の肌色が目につくようになってきた。そんなことを意識していたら、またいつものように小町にからかわれてしまうような気がして、少しだけ身構えた。
「そうかな?そう言ってもらえると嬉しいな」
小町は、その普段の圧倒的な美しさとは裏腹な、素朴な笑顔を浮かべた。
……常に圧倒的な美貌を振りまくだけの存在であったなら、それは単なる芸術品のように映り、当夜の心を支配し続けるようなこともなかっただろう。
だが、今日の小町は、時折こうして見せる素朴な表情が却って本人の魅力を増すものとなっていた。
「えっと……今日って結局どこに行くことになったんだっけ?」
一度「海」なんてからかわれたために、当夜は普通のアイディアの方が頭から抜け落ちていた。
「うん、とりあえずはショッピングのつもりだったけど……」
「あ、そうか」
結局の所普通の感じに落ち着いたことにひとまず当夜は安堵する。
だがここで、なぜ自分が今日のデートプランさえ頭になかったのに自然に足がデパートの方へ向かっていたのか疑問に思った。
そうすると、自分がいても立ってもいられずとりあえず歩き出してしまったことが意識されて、だんだん当夜は一人恥ずかしく思い始める。それに、今ものすごい美少女と街を一緒に歩いているという事実が重なって、さらに恥ずかしさは増幅される。気が付くと当夜は歩みが少し遅れていた。
「あれ?どうしたの当夜?」
「あ、いや、ごめん、なんでもないんだ」
「うん、それならいいけど……」
小町は当夜の様子が少し気にかかる。もしかして、気が進まないのだろうか、なんてことも考えた。
(もしかして、そういうことだったりするのかな……)
そう思うと、小町は、今日自分のすべきことがより強く意識されるような気がした。
当夜には、今日の小町がいつもに比べて特段に落ち着いているように思えた。いつもだったらこんな風に緊張している自分を余裕の高みからからかってきそうなものだったが、今日はそんなこともないし、とりわけテンションが高いわけでもない。本当に落ち着いていた。
……その気合いの入った服装を除いては。――いや、それを意識するのはもうやめよう、どうにかなってしまいそうだ……
当夜は、「いつもの小町」には、最近少しだけ慣れ始めていた。多少ならからかわれてもいなせるようにもなってきたし、それを楽しむ余裕さえできていた。
しかし今日の小町は、いい意味で別人のように思えた。普段の小町だって、魅力に溢れた存在であることは変わらない。けれども、今日のような日に特別な雰囲気を演出してくれるような小町が、今日の当夜には強く印象に残った。
……尤もそれは自分の勝手な思い込みで、勝手な解釈なのかもしれない、と当夜は思った。今日という日は、自分にとっては大きなことだが、相手にとってはまた取るに足らない一日なのかもしれない。
……だが、もし今日が相手にとって取るに足らない一日であるのなら、そんな一日を作った理由は普段のように自分をからかうことにあるはずだ、と当夜は思う。だとすれば…………当夜は小町が別の意味で自分を見てくれていることを、心のどこかで一瞬期待した。しかしすぐに首を振る。「まだ」自分にはそんなつもりはない。
やっぱり卑怯だよ、と当夜は心の中で小町に向かってそう唱えた。
もしこんな小町の態度が今日一日ずっと続いたのなら――やられてしまいそうだった。