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いかがわしい会話

「あ、ううん、別に気にしなくていいよ」

「大丈夫、当夜がちょっとくらいエッチでも、手出しはしてこないって分かってるから」

「断じてそのつもりはない!」


 万智は当夜の言っている意味を察しておどけてみせる。

 そう、頭の中では万智だって本当は分かっている。当夜がそんな意味でその言葉を口にしたわけではないということは。

 それは単に、自分自身の中だけで抱えている問題なのだから。

 

 少し吹っ切れる。自分一人だけが悶々と抱え込んで、そんなのって馬鹿らしいと万智は思う。それを気にしているのはこの場でも、この世界中でもたった一人のはずだからだ。目の前にいる相手も、きっとそのことを忘れてしまったわけではないだろうけど、もうその影は無視できるくらいに小さいはずだ。

 

「ははは、正直言って勉強なんかしてる場合じゃないよね」

「それ、どういう意味か聞かなきゃダメかな?」

「だって目の前に女の子が一人きりでか弱く座ってるんだよ?」

「それ以上男をからかっちゃいけません」

「あっ、そろそろ目覚めちゃう?」


 ――だから、私はまたいつものようにおどけてみせることにする。もう今になっては、どちらが本当の自分なのかも良く分からない。でも、多分こっちの方が明るいし、楽しい。別に偽りでもなんでもないのだし。

 折角目の前に当夜がいるのだから。

 

 ――私は少しおかしかった、何が自分の中で渦巻いていて、こんな行動に出たのかも良く分からない。正直、自分の家に異性をいきなり誘うなんて不自然だ。いくら幼馴染と言っても、もうその関係は時を経すぎている。

 

 何が動機だったのだろう、昔のように?それとも、それを塗り替えようとした?あるいは単なるやけくそ?

 万智は混乱していた。

 

「……まあいいや、なんか、万智も昔と同じで安心するよ」

「……」

 当夜は少し冷静になって、万智を見て言う。

「そう?」

「うん、そう思うよ」


 万智はそれからしばらく沈黙した。うまく言葉にできない感情が自分の中から湧き上がってくる。

 

「そう、それって、私に魅力がないから襲えないってことなのね……」

 そしてわざとらしい演技で大げさに身振りを加えながら万智はそう言う。座っているとは思えない上体の躍動感を演出した。

「だ~か~ら~!!」


「ふふっ、ごめんごめん、ちょっとからかい過ぎた、それじゃ、」

「……続き、しよっか?」

 上目遣いで万智は一言。

「……なんかそれを変な風に受け取ってしまった自分が悔しい」

「こらこら、えろいことばっかり考えちゃダメだぞ~」


 万智は屈託のない笑顔で笑う。これは演技でもなんでもなく、本物の表情だった。


 ――今自分のやっていることが、正しいことなのかどうなのかは分からない。

 ――それでも、今のうちはそれで十分だと思った。自分は昔と全く同じで、昔と全然違う。そんな矛盾は、まだありのまま受け止められると思った。とりあえず、今目の前の人と笑い合えるのなら、それが一番の幸せなのだから。

 

 とりあえず、自宅に誘っちゃおう作戦については、一応成功ということにしておこうと万智は思った。

 

 その後、万智は少しくらいは集中して勉強ができた。当夜もいつものペースの万智に少しだけ安心したようだった。

 

 時刻は午後五時。もう夏だから日は長いが、そこまで居座る意味もなさそうなので、当夜は帰ることにする。万智もそろそろ良い頃合いだろうという認識だった。

 

「それじゃ、そろそろ帰る?」

「うん、そうするよ」


 一緒に勉強すると言いながらも、教え合いだとかそういうものはほとんどなかった。実際に起こったのは、勉強というものを媒介にして一緒の時間を共有する、ということだった。

 

「あっ、それじゃあ送っていくよ」

「いいよ、道は分かるし」

「……送り狼にはならないよ?」

「それは男が言う台詞だぞ」


「まあ確かに、私にはついてないしね?」

「……無視していいか?」

「ごめんごめん、でもまあ、騙されたと思ってさあ……」

「それは好意を申し出る時の言い方じゃなくていかがわしいものを勧めるとかの言い草だよ?」


「……あっ、やっぱり男子ってそういう風にして共有するものなの?」

「狭義でいかがわしいを捉えるな、ここでいういかがわしいは怪しいっていう意味だから!!」


 万智の繰り出す緩急に押しこまれる。結局時を経て静かな人間に様変わりしたのかこの通りの人間のままなのかは謎だ。ただ一つ言えるのは、思春期に入ってこの子は良くない言葉を覚えた。――って、僕は父親かなんかか。

 

「……まあ、そんなに言うなら、お言葉に甘えて」

 「勝手にしろ」とは当夜も突き放さない。押しが強いことに戸惑ってはいるが、別に心の距離を詰めてくることを嫌悪しているわけではない。むしろそれは嬉しい。かけがえのない――幼馴染みとして。

 

 そして当夜と万智は家の外に出る。万智が振り向いて、鍵を掛けた時の横顔が同じように振り向いた当夜の視界に入った。


 住宅が並んでいる通りを二人並んで歩く。やはり日はまだ落ちていないが、どことなく帰りの哀愁が空気の中で漂っていた。

 

 普段は何気なく接しているものが、こういう空気の中でだけは大切に思える。そんな感情のラベルを、少なくとも万智はこの場面に貼っているつもりだ。

 ――それはそういうラベルの中の出来事であって、決してそこから外れるものではないはず。

 

「なんだか、昔を思い出すね」

 当夜は真っ直ぐと伸びる道の先を眺めながら呟く。

「それが今日のコンセプトだから」

「それじゃあ、いいデザインでした、万智さん」


 少しノリをぶつけてみると、当夜はそれに乗り返してくる。飾り立てずもどこか小洒落ている言葉に、少し胸が引き寄せられる。


 ……今万智はその話に親しみを覚えるような反応をした。

 けれども、万智にとって、昔という言葉は苦い響きを帯びてもいる。

 

 寂しげな空気の中で、沈黙が広がった。その中で万智は、さっき自分の感じたほんのわずかな心の引っかかりを意識する。当夜の垢抜けた返しに親近感を抱いて、昔というものを懐かしいものとして捉えたのもまた事実だった。

 

 けれども、自分の昔という言葉へのわずかばかりの引け目が、当夜には取るに足らないものでしかないのではないかという恐れが、万智の中に生まれる。別にそれを持つのは全然良いことではない。だが、共有されない感情は恐ろしい。

 

「最近、高校には馴染んでる?どう?」

 いつも小町や万智に押されてばかりの当夜が、二人きりのこの場面にあって自分から万智に話しかけた。

 

「うん、結構順調かな、友達も意外とできたし、前の学校よりうまくやってるかも」

「そうか、それは良かった」

 当夜は本当に安心したような表情をする。万智にはそれが感じ取れた。長い時が経っても、人の癖とか仕草とかは大きく変わらないことが多い。

 

 正直な所、万智は自分の振る舞いにほんの少しだけ疑問を持っていた。それがいままで築き上げた明るい幼馴染としてのイメージを、受け継いで次の思い出に繋げていくことなのだとは分かっていたが。

 

 ――時々「無理をしているのではないか?」と心の中から声が聞こえることがある。別に自分の性格を偽っているわけでもなんでもない。少なくとも自分の中に、こういう風に、面白おかしく振る舞ったり、親しげにからかったりしようという意思があることは事実ではある。

 

 それは、少しだけ、昔の傷が残っているからだ。

 それは今でも痛むということではない――だけど、傷跡がきっと残っているんだろう。

 

 でも今は――本当に幼馴染として当夜が自分を大切に思ってくれているんだということが肌で感じられたこの瞬間は――少なくともその傷のことは忘れていた。

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