ぽわぽわの中で
今日も代わり映えのしない日常が、始まろうとしている。
きっと街路樹の下で微笑んでいる学生達は、些細な感情と与太話を交換しあいながら、どうしようもないことに時間を費やしていられる貴重な時間を温めているのだろう。
車窓から見える景色が移りゆく。だんだんとそれは、人が住み着く場所から人を集める場所へと変わっていく。高い建物の群は今日も立派に屹立している。
そして、この列車を降りて改札口をくぐれば、きっと今日もまた変わらず二人が待っているであろう。
それはずっと前から変わることのない、飾り立てない僕の日常――
おっと、いけない、と当夜は正気に戻る。
通学中の列車の中、あまりの退屈に扉の窓からポエムを連想していた当夜。
しかしそれがいつしかおかしな方向に行ったことに気が付き、当夜は自分の手で両頬を叩く。扉の前に意外と空間があったものだから、思わずのほほんとしていた自分の気を引き締める。
別に当夜が毎朝自分に気合を注入することを日課としているような生真面目な人間というわけではない。こういうことをしているのは、先程自分が無意識のうちに作り出していたポエムが気に食わなかったからである。
(どうしてあの二人が僕の日常の一ページになっているんだよ!!そしてずっと前からあったわけなんかじゃないだろ!!)
無意識というものは恐ろしい。例えるなら無垢な子供のように、悪気なく現実を突きつけてくる。
最近は毎日のようにこの調子だ。この前なんか、今日の登校時間もかわいらしい女子高生に囲まれながら……という漠然としたぽわぽわが自分の頭に浮かんでいることに気が付き、当夜は頭の中で、「慚愧!慚愧!」と唱え続けていた。
継続は力なり、というがそれは脳への刷り込みにもどうやら当てはまるようである。
毎日格好をつけて「クラスの人達の目が~」なんて行ってみた所で、実際の所はその口の裏に花と華に囲まれる喜びを噛み締めていることを否定できないのが当夜である。
そして今日もまた男子高校生柊凪当夜のたのしいたのしいすくーるらいふが始まろうとしている。
柊凪当夜の一日はまず、自分の表情をコントロールすることから始まる。やはり、人間、自分の心理を読まれないように振る舞うということは戦略上非常に重要なことであって、そのためには無駄な筋肉一つ震わせてはならないのである。
要するに、女子生徒を前にしてニヤケ顔を浮かべてはならないということだ。
「「おはよう、当夜」」
すっかり息ぴったりに当夜に声を掛けてくる女子高生が二人。学校随一の美少女小町と懇意の幼馴染万智だ。
万智も最近はコンタクトがお好みのようですっかりその姿は決まっている。今までの印象が様変わりしてしまったせいか、そのギャップが強烈に当夜の中に響いてきて、油断はできない。
「おはよう」
ごくごく自然に、間違っても事前に声のトーンをシュミレーションしていたことなんて悟られないように、また親しすぎずかといってぶっきらぼうにもならないネイチャーを追及する。
「もうしばらくしたら、テストだよね」
「えっ?もうそんな時期だったっけ、小町さん」
「まあまだ先かもしれないけど、七月の頭だからそろそろ準備はしておかないとね」
「さっすが~、小町さん、勉強できるもんね~」
「そんなことないよ~、ねっ、当夜は?もうテスト勉強とかしてる?」
正直な話、当夜からしてみれば最近(小町と万智の間だけで)流行りのぶっとんだ行いをしてもらった方がいいのである。
なぜなら、こういう他愛も無い話を振られてしまうと、ツッコミで自分の感情の昂りを誤魔化すこともできず、かえって青春のぽわぽわに浮かされてしまうことになるからだ。
「ねっ、当夜は?」と言いながら当夜の方を覗き込んでくる小町の所作、これは正直な話殺人級で、心を動揺させるなと言われても無理がある。
そしてよくよく意識してみると自分は右隣に小町、左隣に万智と、自然に挟まれる形になっているということに当夜は気が付く。これはなかなか経験できないことではないか、と鼻の下が伸びそうになるのを当夜は抑える。
「えっ、えっと……まだあまり考えてなかったかな~、はははは」
「こらこら~、ちゃんと考えないとだめだぞ~」
わざとらしくあざとい。そう思ってもみるが、小町ならこれが素だという可能性も高い。
いずれにせよこういう態度に感じ入ってしまうことが当夜は情けない。
こうやって日々の通学路はあっという間に過ぎていく。
――あっという間?それって自分が楽しんでいるってことか……?
それはともかく、今日もまた輝かしい(?)青春ライフを引っさげて教室へと向かうのだった。
今日は幸い下駄箱でも誰ともエンカウントしない。もうクラスで弄り倒されることには慣れつつある(?)当夜だったが、一対一(正確には三対一)で会うことになったら流石に気まずさで卒倒してしまうだろう。そうすれば小町辺りが「大変!当夜が倒れちゃった!私が保健室まで連れて行くね!」となり、「まだ朝早くで保健の先生がいないから私が介抱しなきゃ……」となり、エトセトラである。
「当夜?どうしたの?早く行くよ?」
万智が自然に後ろを振り返って当夜にそう聞く。
ひっそりと歩みを遅らせる作戦、失敗。
「あ、ああ……」
仕方なく当夜は二人に追いつく。
本当にクラス全体に三人組アピールをすることだけは避けたい当夜だったが、それがままならない。当夜は自身の精神が毎朝教室にはいる度に摩耗していくのを感じる。
「あれ?当夜、どうしたの?」
今度は小町がそう言う。
今度は足を完全に止めた当夜。
「あー、いや、ちょっとトイレ行ってくるから、先行ってて」
「今行かなくても大丈夫だよ?」
「大丈夫じゃねぇ!!お前に僕の何が分かるっていうんだよ!!」
「ははは、冗談だよ、待ってるからゆっくりしてきて」
「……それも冗談なんだよな、二度も冗談を畳み掛ける必要はないと思うぞ?」
「いやいや、真剣だよ」
「セクハラだよ!!これ!!性別逆だったら通報モノだぞ!!」
「ああ、そういう妄想しちゃうか~、当夜ちゃんは」
「……君は文脈を読む力が著しく掛けているようだね」
「こらこら、二人とも冗談行ってないで、行くよ?」
「ねぇ、僕も道化扱いされてるの……?」
そして今日も三人仲良く教室に入る。三人が入ってきた後ろ側の扉に、談笑に興じていた生徒たちが一様に振り返る。
「……はいはい、こうなりますよね……今日も平和な一日だこと」
皮肉めかしてため息をつく当夜。
しかし、そんな安寧を横目に当夜の踏みしめる床は揺れ始めていた。
「……?」
次第に振動が大きくなり、当夜は思わず前を向く。
そこにあったものは……
「ちょっと柊凪くん、今日という今日は許さないんだからね!!」
あっという間に当夜の目の前にその顔は忍び寄っていた。