新しい日常
新しい朝が来た。それが希望なのかはたまた何か別の形をしたものかは分からない。ようやく酔っぱらいのような頭から冷めて、当夜は家を出る。いつもと同じ時間。それもきっちり狙い澄ましたように同じだった。
夜に時々変な気分になるのは、一応思春期の男子である以上仕方のないことだろう。もちろん恥ずかしいことではあるが。
なぜわざわざこんな時間に執着するのかというと、学園の最寄り駅には時々先客がいるからだ。万智だ。
幼馴染というからには関係は対等でないと気持ち悪い。相手の方はわざわざ自分の家とは反対方面にある駅まで「迎え」に来ているのだから、こちらもせめて来る時間を読みやすくするくらいの努力はすべきだろう。
やたらと混んでいるこの電車にももう慣れてきた。慣れてきた、というより順応することを社会から強いられている、と言いたい気もするが、とにかく今はそんなうがった見方は取り払えるほどに当夜の気分は澄みわたっている。
問題は解決した。これから小町は、多少の困難こそあれ、学校に順応し、その憎らしいまでの自由奔放さを発揮して人気者になるのだろう。そして今まで退屈だった自分の学生生活の中には、かねてからの幼馴染である万智が新たな刺激をくれた。……結構な頻度で朝迎えにこられるのは、なんだか心に引っかかる気もするが、もちろんそれは嬉しいことでしかありえない。
クラスメイトにももう随分と慣れてきた。小町とつるんでいる変人キャラ、という位置づけはあるにせよ、一応の付き合いはできる。集団になると厄介なのかもしれないが、個々の人間の大部分は別に人の笑いものにすることに生きているのではない。
そして、以前からの友人である赤坂月見野や和光咲哉だっている。
これからの自分は学級委員だ。また新たな展望が、この生活には待っているのだろう。
けれど、この仲間と一緒なら、もしかすれば素晴らしいものが開けてくるのかもしれないと当夜は思った。
電車を降りて、慣れた足取りで階段を下り、改札を出る。
南側を振り向くと……今日もいた。見知った顔が一人。
彼女はこちらの姿を認めると、とびっきりの笑顔で微笑みかけている。今日もどうやら眼鏡はかけていないようで、その状態で笑うと固い印象もほぐれて昔の快活そうな面影が蘇る。
当夜は口角を上げ、ゆったりとした足取りで満足げに南口の方へ向かう。幼馴染とはいえ、女子にここまでされて嬉しくない男なんていないだろう。
「やあ、おはよう、万智」
「おはよう、当夜」
目線が合って数秒後、お互いに歩み寄って明るい挨拶を交わす。代わり映えのしない日常の中に、新しく入ってきた日常。これもまた、喜ばしいもの――
「……」
万智の挨拶を聞いた当夜は、突然黙りこくった。
「あっ、そうそう、今日はこの子とたまたま会ったんだ」
「当夜、来ちゃった。」
その彼女は舌を出しててへぺろ。リアルでやってもかわいくはないだろ、と思っていた所、美人の暴力でこんなのでも様になってしまうことが悔しい。
「えっと……なんで小町さんがここにいらっしゃる……?」
「だって駅からは同じ通学路なんだから、自然なことじゃない、あなたと私の、『な、か』、でしょ」
意味ありげに「仲」をゆっくりと発音してみせる小町。
「はわわわわ、小町さん、当夜ともうそんな関係に……!」
「万智、誤解を生むような表現はやめろ、……昨日もこんなことを口にしたような……」
「というかやけに仲良さそうだな、何かあったのか……?」
「いやいやいやぁ~小町さん、話してみるとやっぱり結構面白くてさぁ~」
「万智さんこそ、普段は落ち着いてる人だけど、意外と気が合っちゃった!」
そして二人顔を見合わせて「ねぇ~」と息を合わせる。
付き合いたてのバカップルか何かか。
当夜は呆れる一方、少し安心してもいた。やっぱり小町は、元来人たらしなのだと思う。この調子ならすぐにでもクラスには馴染めそうだ。……全校の誤解が解けるのはいつになるか分からないが。
「それじゃあ、当夜、学校行くよ!」
そう言うと万智は当夜の手を引っ張る。
「ああ~!ずるいよ万智ちゃん抜け駆けなんて!」
「先に当夜を誘惑したのはそっちの方でしょ~」
「してねぇ!いや、されてねぇ!てか本当に良くこんな短時間で仲良くなったな!僕はもう付いていけないぞ!」
新緑あふれる並木通りを、三人組は楽しそうに駆けていった。
これって、楽園ってやつなのか……?男としては。
振り回されてばかりなのは間違いないけれど。
ある日、やられっぱなしが悔しい、という感情が当夜の中から湧き上がってきたことがある。
「ねえ、小町、あの名シーン、再現してもらいたいんだけど」
「お安いご用ですよ~」
「じゃあ地面に尻もちついた状態で、『構わない、私が不注意だった』って言ってくれない?」
「……」
小町はためらいがちに俯く。
「いや、その件に関してはしばらく触れないでもらえるかな……なんか、今思うと恥ずかしいから、その口調」
当夜は初めて、勝った、と感じたのだった。
そんなことを言うのが許された、ということもまた大切なことなのかもしれない。