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抱擁

「あっ意識戻った?」

 弾む楽しそうな声で小町が当夜を見つめる。

 ……それがまた強い刺激になった。

「からかうのはよしてくださいよ!!」


 照れくさそうに舌足らずで抗議する当夜を、小町は実に面白そうに眺める。いつになく屈託のない笑顔を何度も浮かべて、その表情には強張りも何もなく、新しくて古い自然体を当夜の前に曝け出す。

 

「待ってたのは、最初からずっと、だったのかもなぁ……」

 この賑やかさの中に見つけた自分の居場所を、小町は夕日の沈みゆく川を眺めながらしみじみと思った。

 

「……それって、和光と色々あったときから?」

 当夜は、こぼれたごくわずかな声を拾ってそう声を掛ける。

 

「へっ……?」

 突然頭の後ろから砲丸が飛んできたかのような衝撃を小町は受ける。まさかその話を当夜が知っていてるとも、それが今持ち出されるとも考えていなかった。

 不意に驚いたことをごまかすかのように、小町は笑ってみせる。

「はは、知ってたんだね、当夜」


 さっきまでとは一転、また少し暗いムードに戻ってきた空気を当夜は感じ取る。これはまずかったか、とああ言ったすぐ後に後悔した。

 

「ご、ごめん、プライベートな話題を、こんな突然無遠慮に持ち出しちゃって……」

 小町は虚無の表情で当夜のその言葉を聞いた後、すぐに少しだけ笑い顔を浮かべてみせる。

「平気だって、昔の話だから、それは」


 そう、昔の話だ。それはついさっき、昔の話として処理できるようになったものだった。

 

「小町さんの様子が変だなって心配して、妙な噂を聞いて、どうしても気になったから和光に直接聞き出しちゃった。ごめん、配慮が足りてなかったよね……」

 小町は一瞬だけ微妙な表情をしてみせる。だが、その表情はなぜかすぐ嬉しそうな表情に転じた。

 

「ん?」

 当夜は突然の相手の表情の変化に疑問を持つ。ハッピーエンドに見せかけて、失望とか幻滅とかが待っているかと思っていたのに。

 

 バッという風切り音と共に、当夜の視界は一瞬狂った。

 

「えっ、えっと……」

 当夜は何も言えない。

「何してるの……小町さん?」

「見ての通り、抱擁ですけど?」

「えっと、は、はい、そうですね」


 ――って何納得しているんだ僕は!

 小町は当夜に抱きついていた。その息遣いが聞こえる。半袖から繰り出した腕の温かみを感じる。そして、布越しにもほんわりとした感触を感じる。あえて何のとは言わない。

 

「……嬉しい」

「だって、私の中のことを、こんなにも想っててくれる人、いなかったから……」

「表面的な心配や同情ならたくさん受け取ったけど、ここまで心配をして、行動をしてくれた人なんて初めて……」


 嬉しい言葉を浴びる当夜は、今しがた包まれる感触の中で夢見心地、どこか別のピンク色の世界に飛び立とうとしている。

「ねえ、知ってたんだよ、当夜、わざと学級委員になったんでしょ?それで、わざと柄にもないキャラを被って、私と話題を作ろうとしたんでしょ?」


「ありがとう、私は本当に救われたんだと思う。いや、もう完全に救われちゃった」

 「ちゃった」といたずらに響かせて小町はその手を離す。触れていた場所は、まだ温かい。そのぬくもりを脳に伝わるたび、目の前にいる人の姿が頭に浮かぶ。その温もりは、まるで刻みつけられた刻印のように、鮮明な記憶として自分と相手との間を取り結ぶ。

 

 刻印は残り続ける。小町のその言葉と共に、当夜はその温もりをずっと意識し続けた。

(僕は、少しだけ変われただろうか)

 夢見心地で、当夜はそう思った。

 

「いいや、礼には及ばないよ、――それは、僕自身がやりたかったことに過ぎないんだから」

 小町はそう話す当夜に輝かしい目つきで喜びを表明する。

 

「……えっと……小町さん、ちょっと近すぎません?」

「ほらほら、気にしない気にしない、何しろもう名前で呼び合う仲なんだから、そういうことじゃない?」

 当夜は自分がいつの間にか小町のことを名前で呼んでいたのに気が付く。以前は小町さんだの九段下さんだの呼称が揺らいでいたが、今ではこの呼び方が板に付いていた。

 

「そうですね……九段下さん」

「もう、名字で呼ぶのはだめ、名前で呼びなさい、ついでにさん付けももうやめようか」

 にんまりとしながら当夜に小町はすり寄る。

 

「そう言われると名前で呼ぶのが恥ずかしいって」

「そこに意義があるんだよ~恥ずかしがっているのがかわいいの。ほら、羞恥プレイってやつ?」

「仮にも本来完璧美少女の君が使う言葉ではないぞ」

「えっ!?当夜は今の私の発言でどんないやらしい妄想を!?」

「自分でいやらしいって言っている時点で自爆と気付こうか」


 小町と話していると、当夜は気が休まらなかった。こんな調子でも、見てくれだけは抜群に良いわけで、男子の性としてはこれに心が浮き立たないわけにはいかないわけで……

 

 ――というか。小町って元々こんなボケキャラで思わせぶりなことをしてくるようなキャラだったっけ?

 そうか。僕はまだまだ本当の小町のことを良く知ってはいないんだ。人の深層は奥深い。だとすれば、これから僕はもっと小町のことを知っていくことになるのだろう。

 

 ともあれ、小町はいつも当夜に理性への対峙を要求してくるわけで、こんなことを毎回されては当夜としてもたまらない。

「小町さん……ちょっと離れてもらえませんかね……そろそろ?」

「心が通じ合った二人はずっとこうしているべきなんだよ!!」

「通じ合ってねぇ!!あっ、いや、別に小町さんが嫌いなわけではなくて、そういう言い方をすると誤解を生むような変な……」


 すると、小町は少し角度を変えて、人差し指で当夜の額を小突く。

 かと思えば、その突いた指を額に乗せたままこんどは正面から当夜に近づいた。

 

 目の前に広がる精緻な顔立ち。この世にこれだけ美しいものはないだろう、と感じてしまうくらいの圧倒的な美貌。けれど今この瞬間、それは手の伸ばせない額縁の中にいるのではなく、手が届く視界の目の前に現前している。

 ――触れてみたい。そう衝動的に思う。その願望がどこまで続いているのか、当夜にも分からない。

 

「小町、と呼び捨てにしてくれるまで離れてあげませ~ん」

 小町はまたいたずらに言った。

「……」

 当夜は無言で目を逸らしていた。恥ずかしさで地面を見つめていたいと思う一方で、その美しさ、妖艶さに惹かれて時たま小町の姿を盗み見てしまう自分に気が付く。

 

「このままでも……」

「へっ!?」

「いや、ごめん、なんでもない!!」

 思わず妙な台詞を発してしまった当夜に、それに咄嗟に反応して指を話して離れてしまう小町。確かに小町はその言葉に意味するところを一瞬で理解していた。

 

 名前を呼び捨てにするまでは、まだ時間がかかりそうだった。

 

 帰り道は不自然なくらいに目が合わなかった。それは当然だ。お互いが、不自然なくらいに真反対の方向に顔を向けていたから。

 相手を避けようとしすぎて、却ってそれは相手を意識していることの証左に傍目には見えてしまう。そのくらい露骨な態度だった。

 

「それじゃ、また学校でね」

「う、うんそれじゃあ」

 駅までの長い道のり、ほとんど会話を交わすことのないまま駅の改札前で別れる。

 

 なんとなく別れてみたものの、ホームまで進むとお互い同じ電車の同じドアに並んでいることに気が付いて、到着寸前に慌てて反対方向にお互いが駆け始めた。

 

 

 不安で眠れない夜、というのはいままで何度か経験してきたが、興奮で眠れない夜、というものを当夜は初めて知った。

 実を言えば、ついさっきまでこの現象に「興奮」という脳内言語をあてることさえ当夜は激しく躊躇していたわけだが、数時間と時間が流れるうちにその言葉を拒絶できなくなっていた。

 

 問題は万事解決した。後は周りの理解を得られるかどうか。そして焦らずとも、しばらくは自分だけにあの姿を見せてくれる、というだけでも良い。それが自分が彼女に伝えたことで、自分が望んでいたことだったから。

 しかし、わざわざ自分だけ、と願ったことが妙に引っかかる。それが自分の気持ちを反映してしまっているようで、なんだか異様に気恥ずかしい。

 

 いや、あの小町のことだ、きっと自分だけでなく、他の人間にも愛想良く振る舞うことだってできるだろう。たとえ変な噂の土台があったとして、それを覆せるくらいの強さと知性と美しさを、彼女は持っているはずだ。

 

 そんなことを思ってみた所で、自分が「自分だけ」でも小町の素の姿を見ていたい、と思ったという事実は変わらない。それがどういうことなのか、そして、そんな難しいことを考えなくても今日味わった小町の感触が――味わったという響きがなんだか変な音色を持っているが――頭の中に焼き付いて離れない。

 

 でもこの調子ではいつまで経っても寝付くことはできない。当夜は努めて今日の小町のことを忘れることにした。忘れようとするほどに、その印象が強く頭に残っていってしまったのだが。

 全てはあんな風に思わせぶりな発言ばかりする小町が悪いのだ。そうやって純情男子は簡単に惑わされていく。


 そう当夜が頭の中で唱えると、今度は時々見せるしおらしい表情や照れ笑いが頭に浮かんだ。

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