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自分が行動を起こすということ

「……なあ、咲哉?」

「どうした?」

 当夜は改めて和光の顔をじっと見つめて言う。和光もまた、当夜と目を合わせた。

 

「人の気持ちを、人の振る舞いを、人の考えを、変えようとすることは傲慢だと思うかい?」

「ただ眺めているのと、何かを働きかけようとすること、そのどちらも絶対的に正しいとは言えない。そうだとして、人は何を選びとるべきだと思うかい?」


 当夜は一生で一度の真剣な眼差しを送った。

 何かを手放しかけていて、今にも本当に絡めた手を抜き取ってしまおうとしている、そんな表情だった。


「……それは、一般論、ってことでいいかい?」

 和光は即座にそう返した。何が言いたいかは分かっている、と。そんな表情で。

 

「そういうことだ、誰か特定の個人の話ではなく、一般論、ってことで」

 

 自分という文脈から切り離してこういう話をしようとしたのは、過去の自分へのせめてもの申し訳のようなものなのかもしれない。決意に踏み出しかけている人間に、まだこれは選択の途上なのだという免罪符を与える言葉だった。

 

「傲慢か、と聞かれたら、傲慢なんだろうな」

 そう言って和光は再び川の向こう岸の方に向き直す。

 

「他人なんてそう簡単には変えられない、正確に言えば、自分の思った通りの方向には変えられない、だから傲慢なんだろうな、そんなことができるかもしれないという考え方そのものが」


「でも」


「それが本当にできたのだとしたら、もしかしたらそれは傲慢ではないのかもしれないな」


「それは多分、相手にも変わるための萌芽があったってことだろ?他人は操り人形じゃないんだからさ。結局の所、相手を動かそうと思ったら、重い石をどかす時と同じように、色んな方向から押してみるしかないだろ、抱えて自由に運ぶことなんてできないんだから」


「本当に重い石だったら動かないさ、多少押してみるくらいなら、傲慢でもなんでもないんじゃないか?もしかしたら、鬱陶しいかもしれないけどな」


 そう言いながら和光は笑った。外面にはまだ、いつもの明るく気ままな性格と振る舞いが見え隠れしている。ただ、その言葉の一言一言に、その場しのぎとは到底思えない、深みと重みを当夜は感じた。

 

「まあでも、人間生きていれば多少は鬱陶しいと思われることもあるだろうさ、そうだろう?」

「ああ、僕もそう思う。……ありがとうな、和光」


「悪いな、和光、わざわざこんな込み入った話までさせちゃって」

「……お前じゃなきゃ、しないさ。だって……」

「ん?どうした?」

「いいや、なんでもない、そろそろ解散にしよう、俺も似合わない台詞ばかり吐いて疲れちまった」


「ああ、それじゃあ、また」

 当夜は来た道を戻っていった。

 

「……あいつが一歩を踏み出せば、きっと、ずっと笑っていてくれるのかもしれないな、小町」


 傾いた日が反射する水面に、見慣れた面影をほんの少しだけ浮かべながら、和光は土手を橋がある方に向けてずっと渡っていった。

 

 


「今日のロングホームルームですが……」

 午後の授業、最後の時限に押上先生はそう口にした。

「この間保留にしたもう一人の学級委員をそろそろ決めたいと思うので、それだけやって解散にします」


 クラス中から歓声が上がる。おそらく文科省あたりからはしっかりフルで拘束しろとお達しが出ているだろうに、生徒にとっては非常に有り難い柔軟なやり方だからだ。

 

 ただでさえ解散ムードだった教室はより一層騒がしくなる。「それじゃあー、さっさと決めちまおうぜぇ~」という声も響く。仮に押上先生に向かっていっているのだとしたら、何と失礼な。

 

 当夜は隣に座る小町を見た。このところ会話は交わしていない。小町の学級委員としての仕事がまだあまりなかったせいか、小町がクラスメイトと会話をしているシーンすら全く見ない。

 

 何がなんやらわからない。それが当夜の正直な感想だ。噂通りの怖そうな人間だと思えば、いきなり学級委員に立候補し始めたり、突発的に物腰柔らかになったり、当夜に意味ありげな態度を取り始めたり。かと思えばまた元のとっつきにくい態度に戻ったりで、掴みどころが全く無い。


 よく分からないものは、それすなわち恐ろしい。無知と未知は恐怖を呼ぶ。それでも、今の当夜は立ち向かおうと思う。立ち向かわなければならないと思う。そして、その勇気の拠り所は、正しさとか正義とか自然体ではなく――

 

「単刀直入に聞きますけど、誰かやりたい人はいます?学級委員といっても、それほど肩肘張る仕事ではないから、もうちょっと気軽に考えても良いのよ?」


 押上先生はそう口にした。実際に、気軽に考えて良いものなのかどうかは分からない。無理矢理にでもメンバーを埋めるために、先生が考え出した方便に過ぎないのかもしれない。

 

 誰も、先生がそう言った瞬間に手を挙げる者はいないようだった。押上先生は少しがっくりとした様子で、どうしようかと対応を考えているように見える。教師らしくなく、ただの若い女性の落胆のようだ。

 

 別にそれに助け舟を出すつもりなのではない。ただ、彼はそれが必然だと考えた。そしてそれを筋書き通りに実行したまでだった。

 

 押上先生と当夜の目が合った。それと同時くらいのタイミングで、ほとんどの生徒は自分の後ろ側を振り向いた。

 

 指先までピンと伸ばして、高らかに伸びる手が蛍光灯の光に掛かっている。その表情に喜怒哀楽を見出すのは難しいが、強いて言うならば「決意」の顔だろうか。

 

 どよめきが広がった。押上先生は「柊凪くん、やってくれますか?」と少しだけ嬉しそうな声音で問いかける。そこには、ただ一人の生徒が自発的な行動をしてくれたという喜び以上の意図はない。

 そして、その他多くの生徒にも、一人の生徒が突然学級委員に立候補したという驚き以上の感情はない。

 

 だが、当夜を知る一部の人間だけは、その様子を本当に物珍しそうに、あるいは興味深そうに見ていた。

 

「はい」

「僕、柊凪当夜は学級委員に立候補します」


 隣の席の当事者は、思わず立ち上がる彼の横顔を見つめていた。

 当夜はその視線も意に介することなく、ただ真っ直ぐとした瞳をしている。

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