真実
「どうしてそれが本当に近くまで来てしまったか、ってことは俺には分からない」
「一人の人間の気まぐれだと言われればそうなのかもしれないし、熱意が通じた結果だというならそうなのかもしれないし、それが運命だと言われればそうだと納得してしまうかもしれない」
「とにかく俺と彼女は確かに付き合った。そして俺は、ガキながらに――少なくとも本気ではあった。相手の方はどう思っていたかは知らない。だが、俺が感じ取った範囲では、遊びだとか気まぐれだとかそういう類のものには見えなかった。それは、単に当時の俺の願望だっただけかもしれないが、今となっては思い出せない」
「デートも何度かした。所帯じみたファミレスに入るぐらいがガキだった俺にはお似合いだった。でも多分中学生なんてそんなものだろう。精一杯の背伸びが、少し小洒落た喫茶店に入ったことくらいか」
「決して仲は悪くなかったと思う。極めて順風満帆だった。本当は学校中の生徒に自慢してやりたいくらいに、俺の中では大成功だったが、当時の俺も本気だったから口外することは慎んだ。尤も、強いて隠していたわけでもないからクラスメイトの数人くらいは知っていたが」
「その当時、全てがうまくいっていた。彼女のことはもちろん、勉強だってうまくいっていたし、学校行事でも俺は主役だったし、友人も数え切れないくらいいた。とにかく毎日が楽しかった。こんな日々が壊れることが、俺の何よりの恐れだった。でも、そんな心配なんて吹き飛んでしまうくらいに、本当に何もかもが成功したんだ」
「……今になってみれば本当にバカな話だった」
「ある日、俺は見てしまった。小町が部活の先輩に言い寄られているシーンを。そこでキッパリと断ってくれていたら、オレの心の中で何かが引っかかるようなこともなかったのだと思う」
「だけど、当時の彼女はあまりにも優しすぎる性格だった。その見た目の美しさに全く恥じることなく、立ち振舞も優雅で、人当たりもとても良かった。ゆえに、彼女はキッパリと断ることができなかった」
「それでも別にその先輩の告白を受け入れたわけじゃない。それは彼女なりの一番誠実な対応だった。今になってみればそう分かるし、もしかすると当時の未熟な自分でさえも、頭ではそうだと分かっていたのかもしれない」
「多分、こんな感じの返事だったと思う。『ちょっと考えさせてください』」
「普通の返事に聞こえるはずだろ?でも、当時の俺は絶好調で、自分が小町の恋人であることに浮かれきっていた。だから、こう言って欲しかった。『私には大事な彼氏がいる』って。今になってみれば、そんな願いはガキのつけあがりにしか思えないけどな」
「これは後で冷静になって気がついたことだったんだが、多分、自分達の関係を周りに口外しようとしていなかったから、小町はわざわざあんな周りくどい断り方をしていたんだ。俺との暗黙の了解を、最後の最後まで守り抜こうとしてくれていた」
「そう、それが最後だ」
「その後俺は小町と話をした。尤も、あんなものは会話でも何でもなかった。ただ、相手が状況を把握することすらできていない間に、自分はそこはかとなく安全な位置から、相手を傷つけるような言葉をたくさん吐いた。……その時、俺が何と言ったかは、今となっては覚えていない。――それは俺の人生の中で、おそらく一番俺に都合の悪い記憶だったからな」
「俺はおそらく相手に反論の余地も与えないままに立ち去った。凄惨な禍根だけをその場に残して」
「それっきり、俺は彼女とはほとんど話していない。時折、事務的な会話を交わすことがあったとすれば、それは俺がその過去を全て無かったことにしようとしている時だった」
「今はもう分かっている。やり直すことも繕うことも俺にはできない。俺は一生この汚点を抱えながら生きていく。そして、彼女のそれはもっとひどいかもしれない」
「長々と話して悪かったな、あまり気持ちの良い話じゃなかっただろうに」
――自分がもっと愚かだったなら――当夜はそう思った。
そうすれば、こんな話は中学生によくあるただの黒歴史だと笑い飛ばすこともできたかもしれない。
だが、当夜はそれに気付いてしまった。一度気付いてしまえば、この出来事は、悲惨そのものにしか見えなくなってしまう。
「なあ、もしかして、今の小町があんな――」
「そう、それは俺のせい――なんだと思う」
当夜がその全てを口にする前に、和光は返事を寄越した。
あれだけ美しい容貌をした小町が、あんな噂を立てられるようになった理由。学園一ぶっきらぼうな態度を貫き続けた理由。
それは――
「彼女は、あれ以来人を近づけることを嫌った。きっと彼女の俺への想いだって――子供ながらに本物だったんだと思う。こんなことを口にすれば、俺はまだ中学時代の自惚れに浸っているのだと思われるかもしれない。でも、その自惚れは決して俺をつけあがらせるものなんかじゃない。俺を――苦しめている。できれば、自惚れであって欲しいとさえ思う」
「彼女――いや、小町は、自分の大切に思う人を失いたくなかった。しかし、その人は、自分がその人以外の人に優しく接することで立ち去ってしまった。――あんなに身勝手な奴をだ」
「それなら、誰も近づけなければ良い、そう彼女は思ったんだと思う」
「誤解を与えるような真似をしなければ、誰かが傷つくこともない。――さらに言えば、誰も大切に思わなければ、他の誰もが、――そして自分も傷つくことはないんだ」
当夜は、何かを叫びたかった。けれども、何と言えばいいか分からなかった。どう言えばいいかも分からなかった。正解は激励のような気もしたし、叱責のような気もしたし、同情のような気もした。けれどもそのどれもが、根本的に何かをなし得るわけではない。
しかし当夜は、言語化できない自分の感情の向こう側に、一つだけ確固たる思考を持っていた。言葉にできそうなものは、それくらいだ。
それは、「小町が分からない」ということだった。
「でもな、偉そうに語っている俺だけど、本当は小町のことを何も分かっていないんだ」
俯いていた和光は、一瞬だけ川の向こう岸に向きかけて、また元の姿勢に戻った。
その言葉の真意が、自分のものと一致しているかは分からない。けれども、「何も分かっていない」という部分だけは、自分と共通しているなと当夜は思った。
「どうして小町は学級委員になんてなったんだ?どうして小町は時々――懐かしくて、愛らしくて、物腰柔らかな態度を取るんだ?そして、どうしてお前と――」
和光のその言葉を聞いて、当夜は、自分の疑問の源泉を見事に言い当てられた気がした。