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忍び寄る翳り

 昼食を終え昼休みの時間を持て余した当夜は、飲み物を買いに自販機に向かった。

 廊下の窓から見えるグラウンドでは、野球やらサッカーやらに興じている生徒たちの姿が見える。グラウンドを取り囲む木々は揺らめいて、時々砂埃が舞う。そんな中で、笑い合っている男子生徒たちの姿があった。せっかくの休み時間なのに、余計なエネルギーを消費するものだ、とインドア派の当夜は思った。

 

「……うらやましいもんだな、何も考えないでいられれば、それが一番幸せな瞬間なのかも知れない」

 自分がその仲間に加わりたいとは当夜も考えなかった。だが、そこで遊んでいる生徒たちはなんだか幸せな存在のようにも思えたのだった。

 

 廊下を歩いて、知らないクラスの前を通る。異クラス交流なのだろうか、あるいは心地よい風を浴びるためなのか、廊下に出て談笑している生徒の姿も時折見かけた。

 

「……ねえ、九段下小町の話なんだけどさ……」

 当夜は廊下を通りがかっている間に、そんな噂声を聞いた。

 その声を聞くと同時に当夜は足を止める。不自然だと思われないように、少しだけ戻って掲示板の前に立ち、掲示を見ているフリをした。

 

(盗み聞きなんて、あまり性じゃないんだけど)

 別に小町の噂が立つことなんて、珍しいことでもない。実際こういう噂話をしている場面を、当夜は何度も見たことがある。

 それでも今回だけは見逃せないような気がした。

 

 ここにとどまろう、と言わんばかりに立てた上靴を廊下の床にねじりこむ。さしづめここが自分の定位置だ、という口実作りのようなことだ。

 

「あの人、中学の頃に彼氏がいたらしいよ」

「へぇ、あんだけ取っ付きにくい人なのに!?」

「まあ悔しいけど顔はものすごく整っているからね、たまには男に付き合ってやろう、とでも思ったんじゃないの?」


 当夜は自分の肩越しに振り向いて控えめにその会話の様子を伺う。すると、その一団の中の一人が自分のクラスの生徒であることに気が付く。

 まずい、あまり長居しても面倒かもしれない、と当夜は思った。しかしそこで、そのクラスメイトはこんなことを言ったのだった。


「ああ、それ知ってる。その相手、うちのクラスにいるからね」


 これ以上この場にいるわけには行かない、とその一団と反対の方向に当夜は引き返そうとする。飲み物の方は迂回して買いに行けばいいだろう。

 だが、当夜はその引き返す足を止めざるを得なかった。


 当夜が足を止めている間にも、廊下には生徒たちの流れができる。それが当夜の不自然さを目立たなくさせていた。昼休みの人の動きは、この時間帯にはそれほど活発ではないのだが、この時だけはたまたま、教室の外に用事がある生徒が多かったようだ。


 これが小町に連れ回された時じゃなくて良かったよ……なんてことを内心思い出す。

 

 その瞬間、「なんで自分はこんなことを思い出しているんだろう」という感覚に襲われた。いや、それは、ただ単に突然の出来事だったからだろう……当夜はとりあえずそう思い込むことにした。

 

 当夜がそうやって一人首を振っている間にもその噂話は進む。そして、例のクラスメイトはこう口にしたのだった。

 

「和光咲哉っていう人、同じ中学だったそうだよ」


 そろそろ頃合いだろ、と察した本能が自然と当夜の足を前に進めた。そうやって、意志の入っていない空っぽの歩みを進めながら、当夜はそのクラスメイトが発したセリフを、自分の中で反芻していたのだった。

 


「あれ、当夜?飲み物買いに行ったんじゃなかったか?どうした?」

「ああ、咲哉、ただ気が変わっただけだ」

「渇きに気も何もないだろ……まあいい、それで、さっきの話の続きなんだが――」


 どうでもいいような話題を得意げに話す和光。その姿が当夜の心には引っかかった。

 分かっている。普通、中学時代の出来事など一々高校に入ってまで引きずることではない。それでも、こうして小町を取り巻く状況が変化している中で、こういう風に平気でいる和光の気持ちが分からなかった。

 

 もしかしたら、誰にも言えない思いをこいつは抱えながら生きているのではないか。そう感じた。その屈託のない笑顔の奥底に何か重大な思いを秘めているとしたなら……それはなんと切ないことなのだろう。

 

「なあ、咲哉」

「ん?どうした、今いいところだったのにさ~」

 いつの間にか月見野も昼食時の席に戻っていて、三人は成り行きで会食ポジションに舞い戻っていた。退屈そうに和光の話を聞いていた月見野は、少しだけ鋭い視線を当夜に飛ばした。

 

「昔、小町と何かあったのか……?」


 自分でも驚くくらいに単刀直入な言葉が、あっさりと出たと当夜は思った。

 その時に広がった沈黙はまるで無限の時間を体現しているかのごとく、長く、冷たいものだった。和光が顔を伏せる。伏せて、和光の短い髪でさえその表情を隠し始める。

 

「……思い出したくないわけじゃないさ、ただ、過去を過去だと捉えることが、許されるのかどうか俺には分からねぇ……」

 表情を隠したままで和光が言う。

 その言葉の意味は当夜には釈然としなかった。ただ、何か重大なものに自分が手を触れようとしていることだけは理解した。

 

「いや、いきなり変なことを聞いちゃってごめん、その……」

 当夜はその後に続けて何か気の効いた言葉を発しようとした。だが、その後に来るべき言葉は「忘れてくれ」では済まされない気がして、かと言って代わる言葉も全く思い浮かばなかった。

 

「いいや、気にしないでくれ、『俺にとっては』昔の話なんだから」

「話すさ、噂か何かを、聞きつけたんだろう」

 顔を上げた和光は、当夜に真剣な表情を向けた。

「そろそろ休み時間も終わりだな、それじゃあ、またの機会に……」

 そう言うと和光は、席を立ってどこかに言ってしまった。

 

「思い切ったね」

 月見野が当夜に言う。

「もしかして、僕が言おうとしてたこと、知ってるのか?」

「ああ、僕も情報通だしね、それに、何しろ当夜のやりそうなことには興味がある」


 ……最後の月見野の発言には、当夜は何か危ない響きを感じた。

「なんだよ、その言い方は、寒気がするぞ」


「……なあ当夜」

 月見野の表情には、決して当夜を茶化しているような雰囲気はなかった。ただ真顔で、月見野はそう口にしていた。


「何かに向き合う感触は、どうだ?」

 月見野はじっと当夜の瞳の奥を見つめながら言った。


「……さあ、僕にはまだ分からないよ」

「そうか」

 戸惑いを隠しながら、当夜は自分の席へと戻って行った。

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