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どっちが本物

 

 部活動という文化のない当夜にとって、放課後というのは大いに持て余す時間なのだ。

 ということで、帰る気力が湧かないような日は図書館に行ってあてもなくうろつくのが日課になっている。

 テスト前以外の学校図書館というのは、どこか牧歌的な雰囲気が漂っていて居心地が良い。普段の教室に掃いて捨てるほど満ち溢れている活力も、ここでは発揮されることがないのだ。


 大して人も多くないのを良いことに、書棚を隠れ家のように使って心安らぐ空間に見立てる。それで当てもなく本を漁るのが心地よい。

 公立図書館だったりだと、案外人が多かったりして急かしくなってしまうものだが、学生しか入れず、なおかつスペースを持て余しているこの図書館はリラックスには好適な場所だった。


 それもこの学校の図書館は教室のある校舎とは別棟にあるという充実ぶり。三階立てだから、それほど映える建物だというわけでもないが、高校図書館としては間違いなく大きい部類に入るだろう。


 いつもの図書館巡礼も程々に、と今日の当夜は早めに帰路に就こうとしていた。

 そして人の少ない三階から一階にまで下ってくる。一階には他のフロアーより比較的大きな自習スペースがあり、ここはテスト期間外でもそれなりの人がいる。


 当夜はふと、その自習スペースを視界に入れた。特に用はないはずだ。はずなのだが……

(こ、小町だ……)

 例の「優等生」小町はここで勉強中だった。同じ大机で勉強している他の学生達はどう思っているやら……と思いやりつつ、いけないいけない、と当夜は視線を小町から逸らす。


「自分には関係ない」と暗示をかけるように当夜はこの場を去ろうとした。

 幸い、小町はこちちにはまだ気付いていない様子だ。


 不審にならないように、と無用な心がけをしながら、当夜は歩みを進める。

 当夜が正面玄関の自動ドアに差し掛かった時であった。


 当夜は後ろから肩を叩かれた。

 遅れて、当夜は自分の後ろで鳴っていた足音の意味に気が付いた。


「……当夜」

 その声の主は小町だった。


 図書館棟から校舎を経由して、校門の方まで歩いていく。

 その道中、当夜はあの小町と並んでいる。


 小町の醸し出す雰囲気は——一言で言って、「戻っていた」。

 決して攻撃的なわけではないが、どこか冷徹で取っ付きにくいような、そんな印象。


「どう思った……?」

 当夜はそう聞かれて、「言葉足らずだよ」と返そうとしたが、どう考えてもその意図する所ははっきりとしてしまっている。


「そりゃ……びっくりしたけど……」

 突然当夜の目の前に現れた「優等生」小町、そして目の前にいるのは噂通り、とまではいかないもののやはりどこか冷淡で恐ろしい小町。


 夕方の風は春に似つかわしくないくらいに冷たく吹き付けた。よく見ると桜はもう大分散ってしまっている。


「私ね」

 その言葉は、優等生というレッテルにも、冷徹というレッテルにもそぐわなかった。かと言って完全なニュートラル、というわけでもない。もっと何か、複雑なものを孕んでいるかのような声色だ。


 実験棟の横を通り、校舎棟の渡り廊下が見えてくる。その渡り廊下を通る生徒は、皆一度は二人の方向に顔を向ける。そしてすぐにその顔を逸らしてくる。


「ううん、当夜は……」

 当夜は、小町が平然と自分の名前を呼んでくるのが恥ずかしかった。いくら妙な噂が立っているとはいっても、やはり横に並んでいるクラスメイトが美女であることに変わりはない。

「どっちがいいと思う……?」


 小町がそう口にした瞬間、また風が吹いた。冬はまだ去っていない、と言わんばかりの厳しい風だった。

 当夜は思わず身を縮こまらせてしまう。だが小町は、その風を受けてなお堂々としていた。ミドルヘアの髪が凛々しく棚引く。あたかもこの世界に抗うかのように、強い表情を小町は浮かべていた。


 当夜は小町の言葉を聞いた瞬間、「そんなの分からない」と答えようとしていた。けれども冷たい冷たい風が、そう言おうとした自分を叱責しているような気がした。


「そんなの……」

 それでも言葉は繋げるしかないのだろう。その答えの、何が悪いというのだろうか。


 続きを言おうとした間の逡巡に、当夜は小町が浮かべる真剣な顔を見据える。余りに整い過ぎていて、そして人間が持つものとしてはあまりに雄弁にその真剣さを語り過ぎていて、逆に現実感がない。消え失せる生々しさと共に、それを見つめる気恥ずかしさも当夜の中では薄れていく。


 だが。

 その瞳だけは、そんな機械的な美しさだけではない、何かを持っているように見えた。

 黒目の深淵へ引き込まれるような、そんな感触。

 当夜は思わず立ち止まってしまった。


「?……どうしたの?」

 勢い余って数歩前に踏み出した小町が言う。

 二人は渡り廊下を丁度横断した所だった。人の流れる渡り廊下はまるで境界線のようで、当夜は新しい世界へと自分が引き込まれているような感じがした。


 体が震える。これは、予想外の寒さのためなのか、それとも別の要因のためなのかは分からなかった。


「僕が決めることじゃない、小町さん自身が、自分で選び取ることなんじゃないか……?」

 当夜はそう言った瞬間、自分の心の中で何かが蠢いているのを感じた。


「人の心を動かすなんて、なんて傲慢なことなんだろう」

 そう心で響いた。


 半身だけを当夜に向けていた小町は、その言葉を聞いて完全に振り向く。

 視界に当夜の顔を捉える。

 そして小町は、一瞬だけ目を見開いて、その後に当夜から顔を背けた。


「すまない、変なことを聞いてしまった、私は何かの折に君を巻き込んでいる。申し訳なかった」

 やはり、また普段(?)の小町は戻っていた。

 そう言うと小町は、そのまま歩き出してしまった。


 当夜は初動が遅れて、もう数歩分距離が開いた後に足を踏み出そうとした。


 すると小町が再び振り向く。

「そうだ、今後私が変な行動を取ったとしても、全てそれは茶番だ。気にしないでほしい」

「これからはなるべく君を巻き込まないことにする、変なおてんば娘も、君の前に直接ぶつけることはもうない」


「おてんば娘」という辛辣な言葉遣いが、普段(?)の冷徹な小町を象徴しているように感じられた。

 そう言った小町は、足早に去ってしまう。当夜は追いかけようとするでもなく、かといって見放そうとするでもなく、中途半端なスピードで後ろに付いていこうとした。


 だが歩く度にその距離は離れていき、当夜には走ってその距離を詰める勇気というものも湧かない。


 やがて小町は校門まで差し掛かり、曲がり角に姿を消してしまった。

 その瞬間、当夜は糸が切れたかのように、校舎の前に立ち尽くした。


 その後ろ姿を見ていた一人の少女は、木の陰に溶け込んでいた。

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