逃れること能わざる運命の告知
小町が飛び出してきた門から当夜は入れ違いで校地内に入った。校地内は通常のアスファルトの道路が種々の曲線を描きながら張り巡らされていて、その脇には緑が彩られていた。学園通りほどではないものの、桜の木が並んでいる所もある。
校地の中央にある本校舎の近くまでいくと、昇降口前のタイルの上には多数の生徒が集まっていた。おそらくは、クラス替えの掲示を見て盛り上がっているのだろう。
目の前に連なっている名前と番号のリストを前にした人間の反応は様々だ。再びの友とのめぐり合わせを喜び合う者、新しい環境に不安と期待を織り交ぜながら遠くを見つめている者。嬉しいのやら悲しいのやら読み取れない阿鼻叫喚に陥る者……
いずれにせよ感情豊かな年代なのだな、と少々遠くから達観した当夜は思う。
自分はどんな結果であれ、あれほど心を動かすことはない、せいぜい新たな生活に思いを馳せた棒立ちくらいが相場だろう。――そんなことをこの時当夜は考えていた。
「今年も月見野と一緒なら良いけどな」
これこそ当夜が唯一クラス替えに対して抱いていた期待だった。赤坂月見野は中学時代からの親友だった。模範的な好青年で、とても付き合いやすい相手だ。
そんなことを呟きながら、掲示が貼られている昇降口の前まで歩く。
前側には掲示に群がる人々が固まっている。当夜はつま先立ちを駆使しながら、なんとか掲示されている内容を目に入れようとしていた。
何の因果か、当夜の名前は思った以上に早く見つかっていた。
そして出席番号が一番上である月見野の名前もすぐ見つかった。今年も二人は同じクラスだ。
普通なら喜ぶところだろう。だが問題は月見野から幾分か下の方で、たまたま目に入った名前。
「九段下 小町」
「……えっ?」
感情と体の揺れ動きが激しい周囲を横目に、当夜だけは時間が止まってしまったかのように硬直した。
九段下小町。
今朝当夜にぶつかってきた女の子……もとい女性の名前だ。
誰よりも精緻で圧倒的な美貌を備えながら、凛々しい態度で恐ろしい言葉の数々を操ると噂の小町。
無謀にも小町に挑戦した数多の勇者達は二度と立ち上がれないくらい完膚なきまでに叩きのめされて帰ってきた、という話もあるし、そんな状況じゃなくても周りへの当たりはかなりきつい人だと言われている。
だが。
そんな小町は、当夜と偶然邂逅したとき、どんな態度を取ったか?
確かに口調は男勝りなものだったかもしれないが、噂からは想像もできないくらいに気配りが利いていて、優しかった。
それなら、当夜は新しいクラスメイトとしての小町にこれからどう接すればいいのか?
……いや、関わらないのが一番なのかもしれない。
だが、当夜の心の中にはどこかわだかまりが残っていた。
……どんな人間なのだろうか、本当は。
人だかりの中を当夜はかき分けて、その扉の窓が新しい日の光を跳ね返す昇降口へと入った。
当夜が上を歩いた昇降口の木の板がガタガタと音を立てる。
それを聞きつけてきたかのように一人の男子生徒が当夜に声をかけた。
「グッモーニン、トゥナイト」
「あ“?」
当夜は反射的に頭を上げてどこから発しているのか分からないような声を上げる。
これは彼なりの怒りの意思表示だった。
「あっ、月見野かよ?」
当夜は心底驚いたような表情をした。その後で掴んでいた上靴を取り落とした。
「靴は新しい番号に移動しておけよ、そういえばまた今年も同じクラスだったな、よろしく」
月見野は当夜にはフランクな口調で接する。いつも丁寧な言葉遣いをするような人間だから、当夜にとってはなんだか信頼感が感じられて嬉しかった。
「いや、それはそうだけどな……まさかお前がその言葉を口にするとは」
「当夜」だから「トゥナイト」。これは彼に付けられた愛称だった。尤も、当夜本人にとっては蔑称としか感じられなかったわけだが。
当夜がそんな風に感じているのを気にかけて、長い付き合いの月見野はこの呼び名を口にすることが殆どなかった。
「いや、新年度くらいは許されるかなー、と、ごめんね」
と愛嬌のあるはにかみ方をしてみせる。「男がやっても……」と当夜は言いたいところだが、なにせ元の顔の素材が良いものだからこれでも十分様になっている。
(こんな顔ができればモテるんだろうなぁ……)
なんて当夜は思いつつ、
「仕方ないな、今度からはやめてくれよ」
と軽く返事をした。
月見野、だって名前としては充分変な部類に入ると思うが、残念ながらイケメンにはしっかりこういう名前も似合ってしまう。それが悔しいので、反撃するのはやめた。
木目調の床板が続いている廊下を、二人は歩いていた。
「そういえば知ってるか?このクラスにやってくる美少女の噂」
「あれを世間一般では美少女と呼ぶのか」
なんて当夜は軽口を叩くが、少なくとも見た目だけは美しいことは男女共に認めていることだった。
「……どう思う?」
「え?」
月見野の突然の問いに、当夜は意図をはかりかねる。
心なしか当夜の足音は弱々しく、ゆっくりになった。
それと連動して、二人の耳には新しく形成された教室の喧騒がより鮮明に入ってくる。
しかし、そんなことには構わず当夜は口を開いた。
「どう、ってどういうことだ?」
当夜は完全に立ち止まって、月見野の横顔を見つめる。
「説明は難しいけど……」
すぐにそれと連動して立ち止まった月見野は、まっすぐ当夜を見つめていった。
「彼女は本当に、怖い、だとか性格が悪い、の一言で片付いてしまうような人間なのかな?」
……流石。月見野は人間観察にも優れている。と当夜は思った。
自分のことでもないのに、当夜は図星を突かれた気分になる。
まさしくそれは、当夜が思っていたことを言語化したものだった。
「さあね、僕には関係の無さそうな人だし」
図星を突かれながらも、当夜は無関心であるかのように装う。当夜は目の前にある階段に向かってまた歩き出した。
当夜は月見野より数歩前に進んでいる。そのせいか、なんだか自分が密かに隠し事を抱えているかのような気分になった。
少し遅れて月見野が駆ける。
「そうでもないかもね」
当夜に聞こえるかどうかの小声で月見野は言った。
踊り場の窓から差し込んだ光が、当夜の進む先を意味有りげに照らしていた。