突然そんなことを言われても
開いた扉から風が吹き込んでくる。その風と同時に振り返った小町の姿は、扉から入ってきた眩しい光に飾られて輝かしかった。
「こ、ここは?」
室内とは異質な光に、当夜は驚きを隠せない。小町はまた、素晴らしい笑顔で当夜に答えた。
「見ればわかるよ、お楽しみに」
思わせぶりな小町の表情に、思わず見とれてしまう自分が当夜は悔しい。でも仕方がなかった。その時の小町の表情は、今まで見てきたどんな女の子より素敵なものだったから。
扉の辺りではほんの少しだけ風が吹いている。当夜がその扉の中に足を踏み入れると、そこには再び階段があった。
小気味よい小町の足音が当夜の前の方から聞こえる。背姿だけでも小町の弾むような気持ちが生き生きと伝わってくる。冷淡で機械のよう、だとか、普段は静かでも怒ると惨事を呼ぶ火山のよう、みたいな普段のイメージは、もう完全に消え去ってしまっている。
階段の先にはもう一つの扉。何故かその扉は開いたままになっていて、光と風はここから漏れていた。
小町がその扉のほんの少しだけ前で足を止め、当夜は扉のほんの少し前から遠慮がちに様子を伺う。そうしていると小町は当夜の手を引っ張って、当夜に扉をまたがせた。
「ね、秘密の場所でしょ?」
そこは校舎の屋上だった。
突然こんなところに連れ出されて、しかもただの美少女と手まで触れ合った当夜は、遠く見える建物や街並みに目を奪われながらも、ただただ呆然としていた。
「私の新しいお気に入りの場所、どう?綺麗だと思わない?」
「も、もちろん……」
当夜は呆然とした頭で小町の言う「綺麗」に同調した。そう言いながら、自分が小町の顔を無意識に見つめていたことが恥ずかしくなった。
階段から上がったすぐ先に見えたのはこの街の北側。
「こ、こんなことして大丈夫だったの?多分だけど、生徒は立入禁止だよね」
「それがなんとかなっちゃうのが学級委員かな」
「それって職権濫用だよね」
当夜が笑いながらそう言うと、小町も控えめに、でも明るい声色で笑った。
「ははははは、そうとも言うかもね」
「間違いなく、そうだよ」
「そうだね」
念押しした当夜の口ぶりも、決して咎めるようなものではなかった。澄んだ空気に洗われた不思議な空気での会話を、当夜は純粋に楽しんでた。それはそこはかとなく貴重で、尊く、そしてどこか遠くの理想郷にあるもののように当夜は感じた。
街の北側は、大都会とは言えないまでも高層の建物もチラホラと見られる。南側に位置するこの校舎から眺めても、その迫力は薄れるものではなく、むしろ背景の青空に映えるようにさえ感じられる。
ドキドキと高揚の色をした、ふわふわとした気持ちを抱えながら、そしてそれを味わいながら、眼下に広がる景色に思いを馳せた。眺めているのが遠い景色であっても、常に傍らにいるもうひとりの人の息遣いが感じられた。時折当夜はその姿を盗み見て、生じた何とも言えない感情を何度も何度もどこかの建物に投影していた。
街の南側は北側とは対照的に背の低い建物が目立つ。それはそれで、この高い屋上から見下ろした姿が新鮮に感じられる。当夜が南側を見るために扉のあった場所から少し離れると、小町もそれに着いていった。
当夜はその景色に見惚れると同時に、近寄ってくる小町の息遣いを感じる。この高揚が一体誰の、もとい何のせいなのか、もはや分からなくなっていた。
「すっかり……」
「っ……」
小町が当夜の背後から話しかけると、当夜は飛び上がるように反応してしまう。わかっていても、この感情は軽減できないのだ。
「お気に入りみたいだね、当夜」
「そ、そんなんじゃないって」
「素直じゃないんだから」
そう言って小町はくすりと笑う。まるで自分がからかわれているようで、当夜は少し不満げな顔をした。
「こうやって落ち着くのも、たまには良いでしょう?」
小町は目を細めながら安らかな表情で言う。当夜と同じ方角を、当夜と並び立って眺めながら。
「落ち着けないって、君がいると」
当夜は相手に聞こえないくらいの小声で言った。
「ん?どうしたの?」
「な、なんでもない!」
そう言って当夜は少しだけ視線を別方向に逸らした。
「このこと、クラスの人達には内緒だよ」
「分かってる……」
当夜はしおらしくなりながらそう言う。
「二人だけの秘密、って何だか甘美な響きでしょ?」
「何度も言わないでよ、恥ずかしいから」
「ふふっ」
控えめな風が小町の髪と制服のスカートをたなびかせる。そうやって、屋上の上はゆっくりと動いていた。
そうしてしばらくは静謐が続いた。止まることはない時間、けれども確かに続いている時間。隣りにいる人間の息遣いが常に聞こえて、民家の間に人が通り、洗濯物がはためいて、空では雲がゆったりと流れる。
そのゆったりとした流れに同化するかのように、当夜は周りの空間に身を委ねているかのような感覚に浸る。
そのままいくらか時間が経った後だった。
「ねぇ、私のこと、どう思う?」
「え!?」
その言葉を当夜が受け取った瞬間に、風がピタッと止んだ。
時が止まったかのような感覚。自分の思考の中に、自分が埋没してしまうような感覚。当夜はその声に振り返る。
当夜が見ずにはいられない小町の瞳は、心の奥を覗こうとしているかのごとく真っ直ぐだった。そこにはからかいの色などない。真剣そのものだった。
突然すぎる、それが当夜の頭の中に真っ先に浮かんだ言葉だ。でも、わざわざこう聞いてくるということは……これは男としての甲斐性が試されているのではないか。であれば、ここは腹を決めなければ……
だいたい、あんな噂を立てられておいて、それでもなお霞んでしまわないくらい、むしろもっと印象深くなってしまうくらいに、美しすぎるのが悪いんだ。これに魅力を感じない男なんて、きっといないだろう――
当夜が振り返ったことによって、その視界に入る景色は南側の背の低い建物たちからビルの群れへとシフトする。そして、その中心にあるのは小町の姿。小町は女子としては長身の部類で、ビルの群れに重なっても存在感を失わない。それでいて細い。そして、体のラインにはメリハリがあって……って僕は何を――
――いやいや、確かに小町さんは魅力的だ、でもまだお互いのことをよく知らないし、そういうのはやっぱりまだ早いんじゃ……僕も、そんな見た目の魅力に惑わされたりする人間じゃない、はず……
「い、いいんじゃないでしょうか!!」
当夜は自分の迷いを断ち切るかのように、真上の大空に向かって高らかに宣言した。
小町はそれを聞いて、当然ポカンとした顔をした。