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職権濫用

「ねえ、ちょっと付いてきてくれない?」

 昼休みが始まって少し経ち、人の流れも落ち着いてきたところ。珍しくその日は、万智に声をかけられることも、月見野に声をかけられることもなかった。

 久しぶりの平穏だった。自分の周辺環境のことを一切気にせずに過ごせる。これを平和と言わずして何というのだろう。


 この教室は当夜のようにそれほど外交的すぎない人間にとっては非常に好適な場所だった。教室にはいろいろな生徒がおり、高校生のテンプレ通りに友達とわいわい会食している生徒もいれば、スマホを横に置きながら堂々自分の席でぼっち飯をしている生徒もいる。

 それを恥ずかしいものと見なさない空気は、当然と言えば当然だが、矛盾の多い高校生活の中では貴重なオアシスであった。


 さて今日は、当夜もその栄光あるぼっちの同胞として活動することになる。普段ならなんだかんだで誰かに声をかけられ、挙げ句の果てには連れ回される。やっと当夜の心は落ち着くかに思われた。


 そして、その当夜の気分に溶け込むかのようにしてひそひそ声の魔の手は迫ってきたのだった。


「ねえ、ちょっと付いてきてもらえない?」


 まさかその声が自分に向けられているなどと思いもしなかった当夜は、「今日も様々な営みが行われてるなあ」と客観視を貫き続けていた。しかしその声は小さいながらも確固たる力を持って発せられている。さらに、当夜がそれから意識を逸らそうとすると何度でも反響する。


 その声の出所に振り向いたら負けな気もしたが、何度も何度も自分の頭の中に響いてくるので、当夜は降伏を選択した。

 そして当夜が向いた先。自分の右側には、例の美少女、小町が膝を曲げてこちらの方を覗きこみながら立っていた。


 右側から声が響いてくる時点でこの事態は十分予測できたはずだったのだが、なぜか当夜はその予測を完全に頭の中から葬り去っていた。まさしく平和ぼけだった。


「あっ、やっと振り向いてくれた。もう、こんなに近くで言ってるんだから、聞こえないふりをするなんて意地悪だよ〜」

「近く」と言われて、本当に近くに小町の顔があることに気がついて、当夜は恥ずかしくなる。そこから逃げ出すように唐突に自分の席の椅子を引いて、小町から少し離れて立ち上がった。


「しーっ、みんなの注目を集めちゃうでしょ」

 確かにそれもそうだ、と当夜は思ったが、小声で話しかけてくることといい、どうしてわざわざ注目を避けるような振る舞いを小町が先ほどからしているかは謎だった。

 そのことを不思議に思いつつも、相手に同調して小声で答える。


「えっと、何か用事?」

 喉が全然震えないような発声で当夜はそう言ったが、小町はそれが聞き取れなかったようで、「ん?今なんて?」と言って歩み寄ってくる。近くに来られるのが恥ずかしいからわざわざ自分も立ち上がったというのに、その自分がまた近づかれる口実を作ったようだった。

「な、何か用事?」


 体の位置だけでも十分近いのに、さらに小町は当夜を覗きこむように顔を当夜の目の前まで近づける。身長差がそれほど大きくないせいか、その迫力はすさまじく、恐ろしいくらいに精緻な顔立ちに、当夜は呆気にとられてしまった。

 茹でだこのように茹で上がった当夜に、さらに畳みかけるかのように甘い言葉を小町は重ねた。

「ちょっと秘密の場所、行かない?みんなには内緒で」


 「秘密」という甘美な響きが当夜の中で反響する。この空間がまるで二人だけのものになったかのように感じる。


 いたずらな角度の小町の顔が、当夜を覗き込む。うなずいたわけでも、横に振ったわけでもない首の動きが、いつの間にか肯定に取られていた。


「ほらほら、それなら、行こうよ」


 強固に形作られてきたはずの、恐ろしい小町のイメージが音を立てて崩れていく。もっと言えば、それは別のベクトルの恐ろしさで塗り替えられる。


 小町は当夜の手を引く。その仕草は遠慮がちだったが、その手の力は当夜の想像以上に大胆だった。

 物理的な力では当夜も抗えるのだろう。それでも、それを許さないよう別の力が、その手その腕にはこもっていた。

 

 手と手が触れ合った瞬間が、当夜は自分の視界がぐるりと一回転したかのような心地を味わった。目の焦点も定まらないまま、手を引いてくる小町の足に遅れがちについていくのだった。


「はわわわ、階段くらい一人で歩かせてよ、危ないから……、ってうわぁ!」

 高度が足りずに引っかかる足を意外に強い小町の腕が引き上げる。


「ぐずぐずしてると見つかっちゃうぞ〜」

 小町は今までに見たことがないくらいの楽しそうな表情をしている。


「もういっそのことそれでもいいかも……」

 当夜がそう呟くと、小町はそのまま当夜の手を引っ張り続けながら、黙りこくった。


「……」

「……やっぱり嫌です」

「分かればよろしい」

 また楽しそうな表情で、時折当夜の方を振り返る。無言の圧力に当夜は屈した。


(でも僕も気にしてる余裕はなかったけど、きっと誰かは見てるだろうな……)


 そうこうしている間に一番上のフロアまでたどり着く。このフロアの教室は普段はあまり使われないので、人も全くいない。


「ええっと、それで、どうしたの?」

「見れば分かるよ」

 少し息が切れ気味の当夜に、ピンピンしている小町が答える。引っ張られている人間の方が、引っ張る側より疲れるのだ。


 すると、小町は学校には珍しい、中の伺えない扉の前に立つ。そして、ポケットの中で何やら金属音を鳴らした。

 振り回されっぱなしの当夜は、途方に暮れながら自分の上ってきた階段を振り返る。細い支柱に支えられた踊り場の柵が、なんだか心細い。窓の光は心なしか、他のフロアーよりも薄いように思えた。


 ガチャリという音が静粛なフロアーの中に響く。鍵穴が回る音だった。その音に驚いた当夜は再び小町の方を振り返る。銀色の鍵が照明を反射して、少しだけ眩しく感じた。


「それは……?」

「秘密の場所、だから他の人には気づかれちゃいけないの」

  輝く鍵を持った小町は、模範的な笑顔で当夜に振り返る。


 その表情があまりに愛らしく、そして美しかったので、当夜は自分のツッコミまで一瞬忘れかけた。


「……いやいや、どうしてその鍵を?そこがどこかは知らないけどね」

 自分の中に走った電流をを断ち切るかのように、当夜は大きく体を振りかぶって「いやいや」と口にする。


「ほらほら、私、例の役職に就いてるから……」

「……学級委員?」

 訝しげな表情を浮かべながら当夜は鋭く尋ねる。


「ご明察です、当夜くんっ」

 また小町が楽しげな表情を浮かべる。風の噂が吹き去る前には想像もできなかった表情。

 これほどまでに楽しそう、という感情を効果的に表現している顔が他にあるだろうか、というくらいの輝かしい笑顔。


 そんな表情を向けられながら、可愛らしい弾む声で自分の名前を呼ばれた当夜は、指をもじもじさせながら黙りこくってしまった。その姿を小町はいじらしく観察している。

 そんな恥ずかしさを感じると同時に、当夜はなぜか自分の心が着地点をまだ見つけていないような気がした。


 普段は見られない小町の笑顔。実際に口に出すことなど死んでもできないが、「その表情の方が綺麗だよ」と言いたくなってしまう。

 そんな笑顔は、今まで表に現れることのなかった素敵な表情が、なんだか一過性のもののように見えて、切なかった。


 寂しい?悲しい?悔しい?そんなもどかしい感情が、当夜の中に湧き上がってくる。でも、当夜にはこんな感情を感じる義理はないはずなのだ。


 分からなかった。だから当夜は、「振り回されっぱなしだな」と自分を突き放すように呟いた。

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