問いかけ
二人ほぼ同時に料理を受け取って空いていた席に座る。開けたテラスにつながる窓の目の前の席だった。
新しいテーブルと椅子、白を基調とした食堂のデザイン、そして窓から差し込む光は、優雅な昼の一時を演出するようであるが、今日の万智はそれを素直に受け取れなかった。
「新しい生活には慣れた?」
「なんでもないように」小町が万智に尋ねる。隣からねんごろにこちらの様子を伺うようにして、思いやりのこもった優しい口調で優等生らしい。
ますます万智には小町という人間が分からなくなった。万智という人間、その行き過ぎたイメージは噂の作り出した虚構のように見え、しかし目の前に広がるその姿も何かの目的のための人形に見える。
「うん、まあ……」
そんな考え事をしながら、万智は何も話が膨らまない返事の仕方をする。
状況が把握できないのなら、迂闊に動くべきではないのだ。
「まあ、当夜くんもいるみたいだしね」
「……!!!」
手を引こうとしていた万智は、その台詞を聞いて驚きを必死で呑み込む。
小町はそう言った直後にまた箸を進める。その間の会話の空白が、万智には恐ろしいものに感じられた。
「ま、まあ、本当に偶然再会できて良かった……と思う?」
万智がうろたえながら答える。
万智と当夜が「運命的再会」を果たしたことはクラスでももう周知の事実。流石に万智はまだそのことについていじられるような対象にはなっていないが、注目を集める立場になったのもまた事実だった。
「当夜くんって……面白い人だよね」
「面白い……?」
小町が突然切り出した話題に万智がまたもや驚く。
「なんというか、意外な人で」
「意外……?」
万智にはその言葉の意味が分からなかった。長年連れ添っていた幼馴染であるにも関わらず。
その意図を尋ねる間もなく、小町は新しい話を続ける。
「ねえ、万智さん」
「は、はい」
もう板についてしまった真面目キャラクターのせいか、万智は思わずかしこまった返事までしてしまう。
そこで小町がこう放った。
「あなたにとって、当夜くんはどういう人?」
「えっ……」
突然の質問に、万智は何の言葉も湧いてこない。
そうして沈黙が広がった。食堂の賑わいはもういつも通りの空気を取り戻している。
そのBGMだけが耳に入ってくる状態で、小町は再び料理に手をつける。まるで「なんてことはない質問だけど」とも言いたげに。
少なくとも、そういう風に振る舞っているように見える。
その沈黙が万智に与える圧力は計り知れない。
雑然とした周りの話し声が、自分を急かしているようにさえ聞こえる。
それにつられて、万智はつなぎの言葉を発した。
「――私は……」
でも、「――私は」の次に来る言葉が分からない。
これは自分の気持ちだ。それにも関わらず、それが万智には分からない。最も近くで触れている、誰よりも長く触れている、そんなもののはずなのに、ぼやけたその輪郭は決してその真の姿を覗かせることがない。
「分からない……」
その声は、自分自身に向けた呟きのようにも、小町への弱々しい返事にも聞こえた。
そして、自分が気づけば発していたその言葉への反応を、万智は恐る恐る伺う。
そうして横目で小町をちらりと見ていると、小町の目がパッと開かれた。
万智はその反応に驚いたが、その後に繰り出された言葉はさらに意外だった。
「あ、変なこと聞いちゃってごめんね……単純にどういう人か聞こうと思って――いや、これじゃあ説明になってないか。ごめん、自分でもよく分からないかも」
小町は目を見開いた後穏やかな表情に様変わりしてそう言った。
「はは、いや、気にしないでよ、そのくらい」
万智もフランクな外面に戻ってそう言った。
小町の先程の言葉達は、万智には単なるお飾りには見えない。「どういう人」という言葉にも真剣な意図があるように見えたし、「自分でも分からない」も本心のように迫真としていたように見えた。
小町の性格の変容ぶり(尤も、「変容」の基準は単なる噂に過ぎないが)を訝しく思っていた万智だったが、それが飾りなのか本心なのか、ますます分からなくなっていた。
当夜は、その時目の前で何が起こっているのか分からなかった。
四時間目も終わり、昼休みに差し掛かった直後の出来事。
自分の後ろの席にいる万智は、あの小町に自分から話しかけていたのだ。
「学級委員になる」という不可解な行動に走った小町に、その小町に突然話しかけてどこかに連れ込んでしまった万智。
二人のプレイヤーが織りなしている新たなダイナミズムが、当夜の見えない所で展開しようとしている。当夜にはそれが気がかりでならない。
「当夜、昼飯食べようぜ」
当夜の席まで弁当を持ってきた月見野が言う。当夜も今日は丁度弁当を持参している。
しかし、当夜はその声に反応しなかった。
「当夜、お~い、当夜?生きてますか~?」
呆然とどこかを見つめていた当夜が意識を取り戻したのは、その生存確認から数秒も後のことだった。
「なあ、当夜、どうした、何か悩みでもあったのか?」
当夜の様子を慎重に伺うようにして月見野は短い言葉を連ねる。丁度空席になっていた当夜の前の席の椅子を借りて、月見野は当夜の席で向かいあって会食をしている。
「いや、なんだか、分からなくてさ」
「分からない?」
「人の心は複雑怪奇だなって」
「ああ、小町さんのことか」
月見野は何でもないことのように言う。だが当夜が月見野に向けた視線は真剣そのものだった。
「確かにあれは分からないね、バラがいきなり桜に変わった感じだ」
窓の外を舞う桜の花びらと、小町の姿が一瞬重なる。
「とげがなくなった、ってことか?」
「どうだろうね、とげだったのやら」
月見野の言葉が不可解に思えて、当夜は首をかしげる。
「まあでも、良かったことじゃないか、これで平穏無事な高校生活が送れるぞ、当夜も」
「それもモテモテのな」
月見野はそう言って箸を口に運ぶ。おどけるような言い草で言われて、当夜もおどけるべきか否か悩んだ。
「それだといいけどな、でも不可解なことが多すぎて不気味だ」
わざわざ見栄を張って「モテモテが嫌だ」と言うような無粋なことは当夜もしなかった。ただ、今後の展望への不安を吐露した。
「?」
月見野が箸を動かす手を止める。
「どうした?」
当夜は自分の弁当から目をそらして、石像のように固まった月見野を見た。
「いや、なんというか……」
「らしくないな、当夜」
「どういうことだ?」
「いや、いつもの当夜なら、ここは『行雲流水のごとく、運命の赴くままに――』とかいうところだろう」
「いや、そんな言い回しはしないが」
月見野の仰々しい言葉遣いには咄嗟に突っ込んでみるものの、その指摘自体は無視できないものだった。
しばらく教室に響く笑い声を聞くだけの時間が二人の間で流れる。
「なあ」
「どうした」
月見野は当夜がそう切り出すのを待ち構えていたと言わんばかりに即座に反応した。
「……僕はそんなにいつもと違うか」
「そんなに、と言われるとそう言えるかどうかは分からないけどな」
「でも別に、これから先に何が起こるか分からない、なんて感情はよくあることだろ?」
当夜は月見野の様子を伺うようにしてそう聞いた。二人の箸はもう完全に止まっていて、月見野は弁当箱を当夜の机の上に固定するに至っている。
「そうか、当夜がそう言うなら、そうかもしれない」
「そうそう、って指示語だらけで分かりにくいな」
「そうかもしれない」
そう言って月見野は笑った。当夜もつられて少しだけ口元を緩めた。
その後一瞬だけ、当夜は自分が話から逃げてしまったかのように感じたが、風に流れる葉っぱを見て、その感情もどこか遠くに飛ばしてしまった。