両者相見ゆ
万智にとっても、「再会」ということの持つ意味は決して小さくなかった。
それは失われた時間の焼き増しでもあり、新たな地層の積み上げでもあった。
学園最寄り駅から南口を出て、西部第二学園からさらに徒歩十分くらいの場所、南けやき台。ここに万智は現在の居を構えている。
ビルの広がる北口や、隣駅のペデストリアンデッキを核にした近代的な街並みとは打って変わって、ここには自然豊かな光景が広がっている。
万智の家のすぐそばにある緑地を歩く。冬はもうとっくに過ぎたのだ。新しい命の芽吹きを道の両側から感じ、穏やかそうな顔で小犬の散歩をしているおばあちゃんとすれ違い、暖かな日差しの下で緑地の端に交差するサイクリングロードを走り去る自転車の姿を見る。
その先に広がる広い川の流れと、その水音とを肌で感じる。
その音は、当夜と語り合ったあの噴水の音を呼び起こさせた。
あの時よりももっと自分の遠くでその音が鳴っているのが、記憶としての思い出のイメージと重なって、より印象的に思えた。
川の土手には階段が付いているが、まだ人も少ないことだし、と万智は階段を無視して土手を駆け下りてみる。なんだか昔が思い出されるようだった。自分がもっと活発な女の子だった、あの時期が。
そして、そんな時期の思い出は当夜無しには語れないのだった。
――
それで、どうだろう。今自分が置かれている状況は。
目の前には当夜の席がある。何たる縁の深さか、と自分でも驚嘆してしまう。和歌だったらあらゆる技巧を尽くして前世の因縁どうとかを印象的に語りだす所だろう。
後ろ姿が妙に男らしくなったなあ……と思うが、それも当然だ。小学生の頃は、万智の方が下手をすると当夜よりも身長が高いくらいだったのだから。
ああ、時間が経ったんだなぁ……と万智は窓の外を眺めながら感傷に浸る。その感傷の中に、若干ながら陶酔のような感情が含ませているのは、確かに当夜が今目の前にいるからだろう。
だが。
万智にとって差し当たり一番の関心は、当夜本人では最早ない、と言っても良いかもしれない。
そう、問題はその隣の席。
悪女と噂の飛び交う、それでいて先日は当然学級委員に立候補。挙げ句の果てには当夜に甘~~い声を掛けてみたりなんかしちゃって。
い、いや、別に嫉妬しているわけではないんだけど、当夜にもそういう経験は必要だと思うし。それが友達としての気遣い、見守り役、そんな感じだと思うし。
それにしても、この小町という生徒、一体何を考えているのか本当に気になる。
その現実離れした美貌の後ろに、一体何を隠しているのだろうか。
いや、それが黒い一面であることはもう全員周知の事実であるはずなのだ。はずなのだが、小町には、どうもそれだけで話が片付くようには思えないのだ。
昼休み直前の四時間目の授業、だらだらと引き伸ばされた教師の話にピリオドを打つようにチャイムが鳴る。
「ああ、終わっちゃったか、それじゃあまた次回」
「また次回」の価値があるのかも万智には甚だ疑問だったが、ひとまずは「学級委員」小町の号令で立ち上がって礼をする。
そして生徒達は散り散りになった。皆が休み時間思い思いの場所へと向かう。
「小町さん」
万智は初めて小町に声を掛けた。
小町は最近新しくできた笑顔で、万智の方へと振り向いた。悔しいくらいに精緻な顔から繰り出される頬の綻び、丸みを帯びた目元が優しく引き伸ばされる姿、その迫力はそのままに、少しだけ垂れ下がる細い眉。完全な笑顔がそこにはあった。
「どうしたの、万智さん」
万智には小町が自分の名前を口にしたのが不思議で仕方が無かった。
確かに、「自己紹介」なるものは口にしたが、今まで小町は人に興味を示すタイプには到底見えなかった。当夜の隣に座っていたため、小町の姿は転校初日の万智にも良く目についたが、どのタイミングでも、小町は万智に関心を示しているようには思えなかった。
そして何より、自分はあえて自己紹介の時に名前を聞き取りづらくした。当夜がこの教室にいることは知っていたし、名前を伏せたら当夜がどんな反応をするのかが気になっていたからだ。
当夜が初め自分に気づかなかったのは、悲しい出来事のような気もしたし、嬉しい出来事のような気もした。自分が忘れられたという失望と、自分は大人になったのだという喜びがないまぜになっていた。
「小町さん、近くの席なのにあまり話したことがなかったなと思って……私の名前、覚えていてくれたんだ?」
今までに築き上げてきた、敵を作らない態度で小町にも接する。今の万智は、誰が見ても大人しい人物だ。それは眼鏡だけではなく、控えめに目立たないように、と何が無難か徹底的に研究し尽くした髪型と結び方、当たり障りのないような話し方、相手を不快にさせない適当な相槌にまで及ぶ。
「もちろん、転校生の名前くらいは、すぐにでも覚えるよ」
当然、という口振りで小町は言う。
小町は席に座っていて、万智はその隣で小町を覗きこむように立っている。
「嬉しい……」
あえて言葉足らずのように振る舞って、万智は小町の警戒心を解こうとする。尤も、学級委員ライクな今の小町には警戒心など微塵も見えてこないのだが。
万智は少ない表情のリソースを必死で動員しています、というアピールをするがごとく、控えめに嬉しそうな顔を覗かせてみせた。
「そんな、大げさだよ~、そうだ、今日万智さんってお弁当?」
万智は少しだけ意表を突かれた。それは自分から言う予定の台詞だったからだ。
「いいえ、今日は食堂に行く予定だったんだけど……」
「そう、それじゃあ良かったら一緒にどう?」
「え……っと、もちろん、いいよ!」
小町と一緒に廊下を歩いている万智は、やたらと生徒達の視線を感じる。
こんなに見られるなんて、生きづらそうだな……と無用に同情してみたりもするが、自分だってこんな噂の悪女と一緒にいて、変な目で見られているのだろうか、と少し自嘲もする。
平然と歩いている小町が、やはり不思議な存在に見える。それは自分だって何でもないような顔をして歩いているわけだが、心の底では驚いているのだ。
小町ももしかすると心の底では動揺しているのかな、と万智は考えてみるが、どうしてもそうは見えないな、と内心苦笑する。
「万智さんって、どこの高校から転校してきたんだっけ?」
「隣県の小川女子っていう所なんだ」
「へぇ、それじゃあ女子高からうちに?」
「まあそういうことになるかな」
そんな他愛のない話をしている内に、周りの様子は段々賑やかになってきて、食堂がもう近いことに気がつく。まるで繁華街に近づいていく大通りのようだ。
たくさんの生徒で溢れかえる食堂に入る。
すると、今までそっぽを向いていた生徒が一様に小町の方を向いた。
万智は思わず顔を引きつらせてしまう。
喧騒の声色はさっきよりも幾分かこわばって、列の流動性も少しだけ崩れているように見える。
噂話をするようなヒソヒソ声の生徒、その非現実な美貌に目を奪われる生徒、一瞬にして場に張り詰めた異様な空気を敏感に感じ取る生徒……それぞれの反応の仕方は様々だったが、全くこの変化に影響されない人間は誰一人としていなかった。
噂をされるような悪名もあり、同時に、その噂を知らない人をも惹きつける力が小町にはある。万智はそう感じた。
「……ごめんなさいね」
小町は小声で言う。その声が自分に向けられたものなのかどうか、万智も自信は持てなかった。
「さあ、並びましょう」
「え、ええ」
完璧な愛想笑いをしてみせた小町に対して、万智も必死でなんでもないように振る舞う。
少しずつ食堂の空気はまともなものに戻っていった。それでも、小町がいる限りはどこかこの空間は歪み続けていた。
クラスで感じた以上の小町の影響力に、万智は唖然とした。
カウンターのおばちゃんが注文を訪ねてくるまで、万智は呆然としていた。