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動揺

「当夜くん、おはよう」

 朝の教室。窓から入る清々しい光。賑わいを見せる友人達。ほんの少しだけど、会話を交わすようになった新しいクラスメイト。

 そんな輝かしい学校生活を、さらに彩るような挨拶。だって万智だって、いくら幼馴染とはいっても――


「おはよう」

 当夜は声が飛んできた背後に振り返ってそう返した。返したのだが……


「うん?」

 当夜はしばらく硬直する。各々好きな方向を向いて談笑に興じていた教室中の生徒も、皆一様にその声の主を振り返る。

 声量は確かに無駄に大きかった。けれども、教室にいたクラスメイト全員をことごとく驚かせたのはそのことではない。


「え?」

 当夜は意識こそ取り戻したが、まだ言語を取り戻せない。

 目の前に広がる少女。メガネをかけていない。スラッとした全身のシルエット。制服から七割だけ覗く手の妖艶さ。

 それは、紛れもなく九段下小町であった。


「どうしたの?当夜くん」

 とてもとても優しい模範的な美少女の包容力ある麗しい声でその少女は話しかけてくる。

「えっ、とごめんなさい、じゃなくておはよう」

「見てはいけないものを見てしまってごめんなさい、あっ、挨拶を返せなくてごめんなさい、おはよう」当夜の心の声はそんな感じだ。


「今日も良い天気だね、一日頑張ろうね、何か困ったことがあったら遠慮なく言ってよ、折角隣の席なんだし」


「えっと、誰?」

 これほど巧みな一文字の使い方があるだろうか。「誰」という言葉は、当夜が抱いた感情を最も的確に象徴している。


「えー、ひどい、私、小町だよ~」

 ……流石美人、演技をしても様になる。

 なんて当夜は思ってみる。あえて演技と言い切ってみた。


「ええと、ですからこれは何のご冗談で?」

「冗談なんかじゃないよ、私たち、これからも長い付き合いでしょ、そう固いことを言わずにさぁ……」

 その表情は人当たりの良い女子そのものだ。常ににこやかで、見ていて安心するような……そんな顔だ。


「うん、分かった、お、おはよう」

 為す術無く当夜は立ち尽くす。こんな時は魔法の言葉で……と考えてなんとかしてこの場をやり過ごそうとする。


 実際、あまりにもクラスメイトの注目を集めすぎている。見知った仲の人間にからかわれるのも面倒、良く知らないクラスメイトに噂を飛ばされるのも面倒。幸運にも今はこの場にいないが、万智に見られても面倒なことになりそうだ。


 そう当夜が考えていると、後ろの扉から万智が入ってきた。

 万智は当夜と小町が注目を集めている一幕を目にする。教室後方に立つ二人は、まるで演劇でもやっているのかというくらいに、観客の視線を一様に浴びている。

「な、なにか?」

 誰に語りかけるでもなく、万智は無意識の内にそう口にしてしまう。


 そうすると、小町は満足した表情で自分の席についた。


 視線は少しだけ緩和されて、代わりに教室の中からヒソヒソ声が湧き上がる。

 当夜はなんだか動揺しているようで、自分の席に座るとすぐに顔を伏せた。


 万智は当夜の席の後ろにある自分の席まで歩いていく。

「えっと、お、おはよう、当夜?」

 聞いていないかも、と思いながら恐る恐る万智は声をかける。

「お、おはよう……万智」

 当夜はその伏せた体勢のままで答えた。


 朝一番の一件のせいで、当夜は授業の内容が頭に入らない。

 黒板を滑るチョークの音は、ただのBGMにしか聞こえないし、そこに書かれている内容も最早白色のオブジェくらいにしか見えない。

 周りの生徒を見渡してみると、特段変わったことも無さそうに見えるのだが、今にも自分と小町のことを邪推していたりするのではないかと考えると気が気でない。


 小町の方はというと、そんなことを意に介するでもなく、普通の授業に集中しているように見える。その横顔は、今朝の弛緩しきった顔とは違っていつも通り真剣そうだ。

(あんな顔も、こんな顔もできるんだな)

 小町の顔をまじまじと眺めながら当夜はそう思う。その整った顔立ちを見つめている内に、次第に恥ずかしくなった。


「それじゃあ、次は柊凪くん」

「は、はい」

 意図しないタイミングで指名が飛んできて、おもわず素っ頓狂な声を上げてしまう。これは機械的な指名だから、別に小町を見ていたのを見咎められたわけでは……そんな風に自分への言い訳を繕いつつ、なんとかその問いに当夜は答えた。



 まだまだ春の暖かな日差しは続き、空は晴れやかな色に飾られている。

 窓から見える青空模様は、雲と青との調和が、遠くの山々と調和しながら描かれていて美しかった。

 そんな景色にうっとりと見とれながら、(実際にはさっきからずっと授業に集中できていないだけなのだが)当夜は頭の中で浮かんできた情報を処理する。


(やはり、ここは行かなければ駄目なのか……)

 このまま事情も分からないまま小町に振り回されるのは精神衛生上良くない。今まで築き上げてきた「普通」の高校生活が、今にも崩されようとしているのだ。もちろん当夜は抵抗しなければならない。


 気怠い心構えで臨んだ授業ももう四時間目。次の時間は昼休みだ。

 対話のタイミングは、ここにしかない――当夜はそう考えた。

 さあ、「普通」の高校生活を賭けた戦いのゴングが今鳴ろうとしている――

 まあ、自分の勇気との戦いなんだけどね、と当夜は思った。




「こ、小町さん」

 妙に声が上ずってしまったような気がして、当夜は気恥ずかしくなる。

 四時間目が終わって、教室が休み時間の空気のベールに包まれた直後のこと。

 立ち上がった当夜はそう言ったのだった。


 小町は横の席に座っている。その声を聞いて、純朴な瞳で当夜の方に振り向いた。

 その目からは恐ろしい噂の色も全く見えない。ただの一人の美少女にしか見えなかった。


「うん、どうしたの?」

 心なしかいつもより声のトーンが高い。いつもなら少し喋るだけで目立ってしまう小町だが、期間限定(?)の柔らかい声質のせいか場の空気は乱れない。

 そう発した直後に、小町は明るく笑顔を当夜に向けてみせる。完全に人当たりの良い女子だ。それも美少女。


「えっと……」

 そのことを認識した当夜は余計に緊張してしまう。「小町」という未知へ対応する勇気はこれまでの時間に蓄えたが、慣れない美少女と顔を突き合わせることに対する耐性は持ち合わせてはいない。


「えっと……よ、よろしく……」

 自分でも予想だにしなかった台詞が当夜の口からはこぼれた。

「よろしく」ってなんだ、「よろしく」って。


「え……」

 当然のように美少女・小町はこの発言に驚く。しかししばらくすると落ち着いた声で笑った。

「当夜くんって、面白いよね」

「と、言いますと?」

 もう何も言うまい、とさえ当夜は思っていた。結局当初の、学級委員になった真意を聞き出すという目的は果たせずじまいだ。


「そういうところ、としか言いようがないのですが」

 面白がっている顔で少々真面目ぶって小町が答える。整った表情は生き生きと感情の息遣いを伝えてくる。

「面白いのは君の方じゃないか」、そんな言葉は、当夜の頭の中に一瞬浮かんではまた消えた。


 何も分からないし、何もできない。

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