当夜
――物語はまだこれから先続いていく。
「聞いたよ、当夜」
「……万智さんと付き合い始めたんだってな」
「咲哉……ああ、たしかに」
咲哉が小町のことを気にかけていたのは明らかだった。……万智と付き合おうと決めたときから、こうなることは分かっていた。
「ありがとうな、当夜」
「えっ?」
咲哉が悲しむだろうと分かっていたからこそ、感謝の言葉を向けられて当夜は虚をつかれた。
「小町と話したんだ」
「……小町のあんな笑顔は、久しぶりに見た気がするよ」
「……」
小町の見せる笑いは、自分の前だけの強がりなのではないかとどこか心配していた当夜は、咲哉がそう言うのを聞いてほっとしたし、えもいわれぬ気持ちになった。
「俺が作れなかった繋がりを、当夜は小町に与えたんだ」
「そして、俺にもな」
当夜は小首を傾げる。
「俺のことを、特別な存在だと小町は言ってくれた。『あなたが幸せであることが、私の幸せでもある』とね」
いつか自分の発したその言葉か咲哉の口からを出てくるのを聞いて、当夜は気恥ずかしさを覚える。
「その言葉を聞いて、少しだけ昔の自分が救われた気がしたよ」
「たとえ俺のしたことが間違ってしたとしても、出会えたこと自体は肯定できるからーー」
「なんて、辛気臭い話をしてすまない、とにかく、ありがとう、当夜」
柄にもなくそんな話を切り出してきた咲哉の姿が遠ざかっていくのを見て、当夜は何とも言えない気持ちに襲われた。
――
「当夜、万智さんと付き合い始めたんだってな」
「……まあな」
月見野の突然の問いかけに、戸惑いを隠しながら当夜は答えた。
「それじゃ、小町さんは振ったんだな」
月見野がそこまで知ってたのか、と少し驚く。
「……」
「まっ、まさかお前、両方と……」
「振ったよ!!」
滑稽だが狡猾なジョークに思わず大きな声を上げてしまう。
「あらあら、罪な男だこと」
「……あまりからかうなよ」
月見野はほのかに笑う。
「でも、後悔はしてないだろ?」
話の調子が少し変わったのを感じ取って、当夜は少し真剣な顔つきに変わった。
「まあ、そうだな」
すると突然、月見野が声を上げて笑った。
「随分と真剣な眼差しだな、当夜」
「悪かったな」
ちょっとした照れ隠しを込めて言い返す。
「ごめんごめん、からかうつもりはないんだよ」
「どうだか……」
「なあ」
「『壊れそうなもの』は、守れたか?」
「……どうだろうな」
そう言って当夜は、立ち上がって風に向かう。
月見野からは当夜の横顔が覗く。
「……でも、新しく作れたものがあったよ」
「そうか」
月見野は多くを尋ねなかった。
ただ一言、
「やっぱり当夜は興味深い人間だな」
そう言って月見野はまたほのかに笑いかけた。
冬休みが明けた。
十両連なるオレンジ色のカラーの列車が、弾む発車メロディーと共に走り去ろうとしていた。
ホーム上に集まった通勤・通学の人々はそのメロディーに急かされるように、改札へと続く下りエスカレータへと急ぐ。
こちら側のホームとは対照的に意外と空いている逆方面のホームが、電車が走り去ると同時に顔を覗かせた。
今日は、いつもの見慣れた駅名標が格別綺麗に見える。
高架のホームの北口側の窓からは、ビルの連なる街の様子が見えた。
今日もこれだけ大勢の人が、朝の営みを始めようとしている。
改札を抜け、冷え込みの厳しい通学路を早足で歩く。
教室に入ると、万智と小町が楽しそうに談笑している姿が真っ先に当夜の目に入った。
幸せそうだな、と思った。
すると二人は当夜の方に気付いたようで、「おはよう」と挨拶してくる。
小町の笑顔は美しく楽しげだった。万智の笑顔には少しばかり照れのようなものも見えて愛おしかった。
幸せだな、と思った。
穏やかに目尻を下げながらただ二人を見ている当夜に、二人は訝しさを感じつつある。
「おはよう」
大分遅れて当夜は返事をした。
二人の顔を交互に見た。
板挟みだな、と思った。
その二つの笑顔は特別に思えるから。
壊さないだけじゃなく、作り上げていくために。
当夜はまた、力強く一歩を踏み出した。