小町
――物語はまだ終わりではなかった。
涙は流し尽くしていたからだろうか、小町はむしろ清々しい気持ちで残りの文化祭を過ごした。
何気なく歩いているとクラスメイトの女子の集団が私を見つける。
「あっ、小町さん!さっきどこかに行ってたみたいだから話しそびれちゃって……」
「あの脚本、私もすごく良かったと思うよ!」
「だよね~」
そういえば演劇の上演が終わった後だったということを今更ながら思い出す。
「ありがとう」
「今日の文化祭、うまく行ったのは小町さんのお陰だよ!」
「そんな、大げさだよ……」
直球の称賛に戸惑ってしまう。
その後も廊下を歩いていると何人かのクラスメイトに声をかけられることになって、小町はその度に照れ顔を見せた。
突然一人文化祭に投げ出されてみて、残り数時間をどう過ごすべきかと小町は困る。すると、咲哉の姿を見つけた。
咲哉はこちらに歩いてくると、小町に声を掛ける。
「あっ、小町……」
これまで浴びた称賛の空気からすると、なんだか冷たい雰囲気だった。
「お疲れ様、咲哉」
少し微妙な雰囲気になる。それでも、別れるでもなく二人は同じ場所にいた。
ややあって、咲哉が口を開く。
「……おめでとう、で良いのかな?」
「うん、ありがとう」
「その……大事な用とか、無かったか?引き止めちゃったけど」
自然にロビーの端の方に二人は行って、人の流れから外れる。
「ううん、もう終わったから」
「そっか」
「……私、当夜に振られてきた」
「……そうか」
「それだけ?」
「俺がとやかくいう資格はないかと思って」
「気付いてた?」
「まあ、そうなるかもしれないとは思ってた」
「そっか、咲哉にはお見通しだったね」
「……余計だったかな?」
「何が?」
「演劇のこと、小町が脚本だって当夜に教えたのが」
「ううん」
表情を少し緩めて小町は首を振る。
「むしろ、いいきっかけになった、ありがとう」
「……素直には喜べないけど」
咲哉はやはり複雑な表情を続ける。
「でもさ、振られたんだけどさ、良いこともあったよ」
「そうなのか?」
「当夜が言ってたの、私と当夜の関係は、間違いなく『縁』なんだって」
「私、告白しなかったらその言葉を聞くことはできなかった」
「『縁』か……」
それが綺麗事の強がりなのか、それとも心から価値があると小町が思っていたことなのかは咲哉には分からなかった。
「特別なんだ」
「特別なのか」
「うん」
「私、人間関係のヒントをもらった。もう少しで、見つけられそう――」
そう言って笑う小町の笑顔はことのほか無邪気に見えた。
咲哉は、きっとそれは嘘やまやかしじゃないんだろうと思えた。
自分が望んでいた小町の「幸せ」を、その笑顔の中に重ねたのだった。
「……小町が幸せそうでなりよりだよ」
そんな言葉を発するのは少し出過ぎているような気もしたが、そうであってほしいという願望も込めて咲哉はそう言った。
「『幸せ』か」
「ありがとう、咲哉」
咲哉はかつて無くした笑顔を小町のうちに見つけた。
「咲哉も、幸せだと嬉しいな」
唐突に飛んできた言葉に、咲哉は虚をつかれた。
――それこそがお互いの「縁」なのかもしれないと思った。
でもそれは今の関係性には気恥ずかしすぎるようにも思えて、口に出すのは憚った。
――
文化祭のファイナルセレモニーが終わって、クラスメイトが教室で一同に会すると、皆口々に小町への称賛を口にした。
ヒーローの当夜とヒロインの万智と対等に、その祭りの中に小町はあった。
後夜祭のキャンプファイヤーが点火される。
その様子を、あえて暗い教室の中から眺めてみた。
その輝きは一層眩しく見えたものだった。
グラウンドに出て、すぐに小町は当夜と万智の姿を見つける。
遠くから見てみても、その絶妙な距離感が見て取れる。
周りの視線を気にして、思うに任せずじれったい感じが傍目からも伝わってくる。
邪魔をしては悪いと思っていたが、これじゃ進展もなさそうだと思って、小町は二人に近づいていく。
「ほらほらお二人さん、せっかくの後夜祭なんですから」
「えっ、こ、小町さん?」
「小町!?」
小町は万智の手を取る。
「ほら、当夜も」
そう仕向けて、渋々ながら当夜は万智と手を繋ぐ。
「さあ、今日の成功を讃えて、三人で踊り明かしましょう!」
「「踊り!?」」
そうして自由気ままに踊って、次第に当夜と万智も、そして小町も、いつの間にかしゃにむに踊っている自分達がなんだかばかばかしくて笑わずにはいられなかった。
――
「小町さん、当夜くんと万智さんが付き合い始めたって本当?」
「ああ、やっぱり広まるの早いなあ……」
「……良かったの?」
成瀬はそう聞いてみて、少し後悔した。自分の思い通りにならないことなんていくらでもあるはずなのに、それを意思の問題にしてはいけないだろう。
「良かった、と言い切っていいのかどうかは、まだ分からないけれど」
そのように言い掛けてくる小町を、制止するように成瀬は、
「ごめん、ただの野次馬なのに、出過ぎたことを聞いちゃった」
そんな制止を振り切るかのようだった。
「でもこれだけは言える、恋心より大切なものを私は手に入れたからーー」
小町は柔らかな微笑みを内に含みながらそう口にする。
「そっか」
「……本当は本人達にしか価値が分からないことに、どこまで首を突っ込んでいいのか分からないの」
「そうやって踏み込むのは親しさでもあけど、目障りでもあるかもしれないから」
「だから、ごめんなさい。私、今まで余計な口出しを……」
急に神妙な面持ちを向けられて、小町はほの驚いた。
「ううん、私を気にかけてくれることは、掛け値なく嬉しいから」
小町はそう言って成瀬に抱きつく。
「ちょ、ちょっと小町さん!?そんないきなり来られると……」
「えへへ〜ありがとうのハグだよ」
「ちょ、ちょっと突然すぎるんだけど〜!?」
小町の良い匂いに包まれながら抱きつかれている。深呼吸をして落ち着こうーーとすると件の色香がさらに甚だしい。
気持ちを落ち着けるまでしばらく時間がかかったが、小町はまだ抱きついたままだ。きっとやめろというまで離す気はないのだろう。
「明るくなったよね、小町ちゃん」
ほんのささやき声だったが、この距離ならきっと届いている。