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近くて遠い幕切れ

 当夜が真摯な視線を投げかけた所で、小町が当夜に抱きついた。

「当夜……」


 物欲しそうな切なげな揺らぎを含みながら、けれども声音はあくまで明るかった。


 予想以上に直接的なアプローチに当夜もたじろぐ。

「こ、小町!?」

「今だけ、今だけだから、こうさせて」


「……このくらいのわがままは、許してほしいな」

 小町は引き続き当夜の体を強制的に自分の体と密着させる。


 今まで、小町の近くにいてもそれほどには働いてこなかった嗅覚までもが鮮明な信号を脳に送っている。

 ――なんとも形容しがたい、甘い匂いだ。


 緊張感が抜けたせいか、胸の感触などが強く意識される。

 ――先程とは別の所が固くなってしまいそうだった。


「私、魅力的かな?」

 直接的に死にそうなくらい魅力を体感してるよ!!という心の叫びを当夜は必死に抑えつつ、

「そ、そうだな」

 声は明らかに不自然に裏返った。


 小町はそっと、抱き寄せた当夜の体を遠ざける。今まで密着という暴挙に抑制されていた視覚が良く働いて、幾度となく見てきた小町の美しい顔立ちが目に入る。

 ……いつもと違うのは、今日の小町はいっそう美しく、しかし儚げだった。


 かと思うと、今度は小町が当夜の耳元に顔を近づけた。そして、そっと囁く。

「でも、まだ終わりじゃないからね」

 当夜は耳に吹きかけられる息の振動にゾクッとするハイジャックを味わった後に、現実的な思考を取り戻してしみじみと次なることを思う。


「……そうだな」

 そう言い終える頃には小町はとっくに従前までの距離感に戻っていた。

 ――いや、少しは近くなっているかな。


「どうしたの、しみじみしちゃってさ」

 さっきまでの切なげな雰囲気から一転、まるで気さくな旧友のように小町が話しかけてきた。

 ――その姿を見て、少しだけ当夜は安心する。


「……やっぱり僕は、小町に惹かれていたんだと思う」

「へっ?」

 小町はその声に少し怪訝な含みを残す。


「最初はその孤高さに、次はそのかわいらしさに、最後はその優しさと……強さに」

 当夜は至って真剣にその言葉を送ったが、小町にはもうシリアスは残っていなかった。


「ふふっ、そっか~、やっぱり私の当てられちゃってるんだ」

「0か1かの世界じゃなきゃな」

 当夜は切なげにそう漏らしたのだった。


 余計なことを口走ったかと当夜は思って、視線を落として口をつぐんでしまう。


「ほら、そろそろ行かないと」

 もう湿っぽい雰囲気は小町にはなかった。

「今すべきなのは万智さんに会いに行くことでしょ?」


 ーーそうやって自分を顧みない小町が嫌いだ、好きだ。

 でもそれを口に出すと少し好きの意味合いが曲がってしまうことに気がついて、当夜は何も言えなかった。


「ああ」

「ありがとう、小町、……いってくるよ」

 小町は笑顔で頷いた。


「お幸せに!」

 ……普通なら、その言葉はからかいの言葉なのだが、今度のそれは違うものに思えて、当夜は静かにそれを受け止めた。


 当夜は踵を返し、扉を開く。決意を固めたように開いた扉の前で一度頷いて、そして校舎の中に駆けていった。


 当夜が去った後の屋上は、どうしようもなく静かだ。

 この秘密の空間に、さっきまで怒涛の感情を持ち込んできたが、それももう終わり。


 普段から時々一人の気分転換に求めるような平穏が小町を包み込む。


 普段ここに来るのは一人になりたい時だ。

 でも今回のそれは、一人にさせられた時でもあった。


「もう少しわがままでいることもできたのかな」

 もう流す涙など無かったが、ただ空から直接吹き付ける風に切なげな声を乗せて飛ばした。


 当夜が行ってしばらくしてから、小町もまた屋上を出る。そうして階段を下る。


 そこには万智の姿があった。


 


「えっ……」

 小町は驚きを隠せず声にそれを表した。

「と、とうや――」

 と言い掛けてやめる。ここに万智がいるということは、きっと当夜が万智へ向かって駆けていったことも知っているということだ。


「――ごめんなさい、どうしても気になって、着いてきてしまいました」

 万智は申し訳無さそうに、ただそれとは別の暗さをも孕んだ表情で立っている。

「……聞こえてた?」

「全部ではないですが、ある程度は」


 あまりに突然の出来事だった。

 小町は思っていたのだ。

 自分に後押しされた当夜は必死で万智さんを探して、劇的に彼女を探し当てて、その勢いのまま二人きりになって、思いを告げて、そして結ばれて――私は正式に負ける。


 当夜と小町の話を少しでも聞いていたのなら、分かるはずだった。

 万智さんはずっと望んでいたものを手に入れられるのだということが。


 あの日、小町と万智がお互いの思いを告げた時、万智の答えはこうだった。

「私は、昔からずっと、どんなことがあっても変わらず、当夜が好き」

 必死に息継ぎをするかのような切迫感で、万智は小町にこう言ったのだ。


 ――それなのに、どうして?

 ――私が綺麗に退出していくことすら、運命は許してくれないの?

 そんな絶望的な観測を内に秘めながらも、小町は一応の問を万智に投げかけることにする。


「当夜は万智さんを探しているよ」

「それなのに、どうして万智さんは隠れるの?」


 当夜が万智の姿を見逃した経過を小町は知らないが、おそらく階段の裏に万智が隠れたのだろうと小町は推測した。だが、そんな推測をした所で、万智の気持ちの何たるかが分かるわけでもなく、ただ理知の無力さが感じられるばかりだ。


「……どうして、小町さんじゃないんですか……」

「私の目には、小町さんの勝ちに見えるんです」


 底知れない漆黒を瞳に携えて、何ら躊躇や疑いもなく万智は言ってのける。


「ううん、でも、それが当夜の気持ちなの。――私のことは気にしないで――」

「違う」

 優しげな態度を見せた小町に対して、万智は、冷たい声音で言い放つ。


「……小町さんが気の毒なのは確かにそうです、でも、今私が一番に思っているのは――思っているのは――その程度のことじゃなくて――もっと……」

 言語化できないことの苦しみをたたえながら、真剣に訴えかけるような視線を万智は小町にぶつける。


「ごめんなさい、私、当夜のことが『昔好きだった』なんて嘘をついて」

「違う、違う、私が言いたいのは、そんなことじゃないんです!!」

 万智が吐き出すのものは、焦燥でありながら軽薄ではない。


 続ける言葉が咄嗟には見つからなくて、万智は一旦その気迫を弱める。

 滔々と自分の中から湧き上がってくる気持ちは、しかしそれと同じくらいの速度で外に伝えられないのだと冷静に知る。


 遠くから文化祭の賑やかな声が聞こえる。そんな空間の中でも、二人の間には張り詰めた空気がしばらく流れた。


 そして、ついに万智が口を開く。

「――これは、多分、私の問題なんです」

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