答え
その潤んだ瞳は太陽の光を一筋切り取って当夜のもとへと叩きつける。
普段弱みを中々見せない完璧美少女だった小町が、上目遣いで当夜に語りかける。
言葉足らずだったが、気づかないうちに当夜のすぐ目の前までにじり寄っていた小町が、その整った顔立ちの全てを甘え縋るような態度に振り分けた姿は、ただの言葉なんかよりはるかに印象深い。
――この一瞬で、世界がとてつもなく揺らいだような気がした。
――今までは、自分のプレイヤーは自分だった。でもそれが、だんだんと侵食され、乗っ取られているような感覚。
小町から放たれる甘い褐色の何かが当夜の皮膚を透過して、体に染み渡っていく。
そんな気に意識のリソースを奪われている最中でも、五感は明瞭に、小町の全てを捉える。
どんどん小町の姿は大きくなっていった。……もとい、どんどん近くなっていく。
「当夜――」
真っ白に透き通った右手を小町は伸ばす。伸ばされた手は当夜の視界の中で際限なく大きくなって、やがて当夜の頬に乗った。
ピンと伸ばされた艶めかしい指先が触れた途端、その部分は火傷したように熱くなる。やがて小町の指先の緊張は緩んで、当夜の全てを包み込むかのように頬の上で指を広げた。
「当夜が万智さんと結ばれなくたって、幼馴染は幼馴染だから、だから壊れないよ?」
「……だから、私と付き合わない?」
「私は、当夜に私の全てをあげられる。――いままで当夜が私の心の中にずっと入り込んできたように、それを続けてくれるなら私はなんだってあげられる」
「……もちろん、見せるのは心だけじゃないよ?」
「女としての魅力になら、自信がないわけじゃないから」
一気に畳み掛けられて、当夜はドキドキしたというよりもはや成すすべがなかった。
これでもかと高鳴る心拍数は、意識を昂ぶらせるどころか自分の全てを硬直させているようでさえある。
屋上という開けた開放空間、広い広い空に繋がるその空間に、当夜は小町しか認識できなかった。
世界全てが小町に染まっているようだった。
そのまま当夜も飲み込まれてしまいそうだった。
「こ、小町……」
でも、最後に小町は弱さを見せた。
指先を当夜の頬を伝わらせながら離す。その感触が、またも当夜を釘付けにする。
「ごめんね、これは反則なの、反則だって分かってる」
「矛盾してるよね、それは分かってる」
……そうだった。確かにそれは矛盾していた。明確に万智のことを助けておきながら、それよりも弱い立場にある自分にその強い理屈を使おうとしていた。
小町の呪縛が解かれて、当夜は改めて気がついた。もしあのまま小町が踏み込み続けたら――いや、それでもきっと、最後結論は変わらなかっただろう。
あまりに残酷すぎて、その結論を実行するのにはもっと時間がかかっていたかもしれないが。
「――私は、羨ましい」
「私には力がないの」
「幼馴染って、ずるいよ」
そう、結論は動かない。つまりはそういうことだった。
――結局の所、僕は恐れていただけで、本当にやりたかったことはただ一つなのだ。
「……小町は強いな」
「そんなこと……」
「強いよ」
「僕が君だったら、そんなことは言えない」
当夜は初めて小町から目を逸らして、自分を映し出した大空に視線を向けることができた。
「……怖いよ、言って、関係が決まってしまうのは」
「――でも、そういう姿勢は、僕の憧れなんだ」
小町はその言葉と共に向けられた当夜に視線に思わずビクっとして肩を跳ねさせた。
――とことんまで、残酷だ。ここまで期待をさせることを言うなんて。
「それでも、私は弱いよ」
「……さっきも言ったように、これは反則だから」
「私にとっての強さは、『本当に親しくなんかなれない』って、諦めることだったの」
涙の枯れ果てた先に、あまりに麗しい顔を咲かせながら小町は言った。
「……万智さんにも私の気持ちを話したの」
さっき以上に真剣に、少し視線を下の方に向けて、小町は少し顔をこわばらせた。
「私は、万智さんが当夜のことをどう思っているのか聞く代わりに、私の気持ちも万智さんに話すことにした」
「それで、私は答えたの。『ちょっと前まで好きだったけど、今は好きじゃない』って」
「だから、これは反則。卑怯者は弱いから、私を持ち上げないでほしい」
だんだんと暗く、小町は涙の後もなお暗転を匂わせる。
当夜は落ち込んでいく小町の姿を見て、神妙な面持ちで、それでも目線は真正面に向けて言う。
「……僕も間違えた、それをこれから正したいと思う」
「だから、僕にとっては小町はお手本だ」
「……ありがと」
「……でも、そんなに優しいのは罪な男だからね」
「……ははは、いつから僕はそんな身分になったんだろう」
「最初から、当夜はそうだったけどね、私は当夜と出会ってからずっと、当夜に引っ張られてきたけど、当夜はいつも謙遜してるんだもん」
小町に久しぶりの笑みがこぼれる。――でもそれは少々の諦めという調味料がかかっているというべきだろう。
「……答えを言ってなかったね」
「……うん」
当夜が口を開いて、途端に空気は重い状態に戻った。
「ごめん、小町はとても魅力的だ、いつだって見惚れてしまうほど美しくて、いつだって見習いたいほど強い」
「でも僕には、心に決めた人がいるんだ」
「うん」
「……苦いけど、これも私の答えだと思う」
馬鹿の一つ覚えみたいに当夜は「強い」と連呼したくなった。でも、ここでそうやって押すのは少し繊細な感情に踏み込みすぎている気がして、当夜は静かに頷いた。
「でも、これからも小町は僕にとって大切な存在だから――」
「えっ?」
小町は驚いて少し間の抜けた顔をした。――それでも顔の均整は全く崩れたりはしないが。
「僕たちも、壊れないよ」
「だってこれは、縁だから。小町のものというだけで、他の人のものよりもずっと特別に感じられて、小町の気持ちというだけで、他の人のものよりずっと特別に感じられて、小町の幸せが自分の幸せになるような、そんな気持ちは恋心を離れたって嘘じゃないって、断言できるよ」




